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詩作の意味と手順

2025.10.23 08:54

https://note.com/kiyoekawazu/n/nbe677659fe21 【世界・社会・私・他者と関わるものとしての一篇の詩(2024.4.25詩作講座「詩を書こう」第一回)】より      河津聖恵

この記事は2024年4月25日に京都新聞文化センターで行った講座「詩を書こう」第一回のレジュメを改稿したものです。講座の初回ということもあり、詩作の意味と手順を手探りで書いたものに、少し手を加えました。

I 詩作のみちすじ

1.出発点

詩は抽象的なものではない。この講座では詩とは自分が今この時惹かれる、あるいは書きたいと思う具体的な一篇の詩だと考える。詩は書きたいと思う時すでに生まれている。詩でしか言えない、詩になって初めて現れる思い、感情が書き手には存在する。詩はそれらを救い上げることばである。書き始めなければ詩は存在しないし、あなたの詩はあなたが書いて初めて生まれるのだ。

「詩に特有な表現法というものが、何時の時代にも存続していて、その利用の仕方はさまざまに変化してゆくが、人間の経験の性質が全然変わってしまわぬかぎり、われわれの経験の中には詩の表現に頼らなければ満足されない心的状態が存在するのである。」(鮎川信夫『現代詩とは何か』)

「感情がつよくはたらくばあいにはどんな感情からでも詩は生れるのです。神を愛する心からも詩が生れます。それとおなじで人間のにくしみからも詩が生れます。」(C.D.ルイース『詩をよむ若き人々のために』)

また同じく出発点にあるのは、書き手それぞれのこの世の言葉への不満と不信である。多くのすぐれた詩人は時代の中でのそれぞれの「不満」と向き合ってきた。「いまは、人間の声はどこへもとどかない時代です。自分の声はどこへもとどかないのに、ひとの声ばかりきこえる時代です。」この石原吉郎の言葉について辺見庸はこう述べる。「まるで二十一世紀現在のコミュニケーション不能を語っているようだが、70年初期、自他の声がまだよくとどいていたとみなされていた時代のことである。」(『水の透視画法』)

2.

1で述べた「心的状態」または「感情」は、何らかの現実的きっかけによって形を与えられ、詩へ向かう過程で言葉を獲得していく。詩作過程においては「心的状態」または「感情」がぼんやり形を取り始めた段階で、さらに誘い出すためのイメージ、時空の設定、言葉の飛躍などを試行錯誤して工夫する必要がある。1で述べた「「心的状態」または「感情」がつよまれば、それらはおのずと呼び寄せられて来るだろう。

3.

2で直感的に立ち現れてきたものを、関係づける文脈、ストーリーを詩的だと感じる方向であれこれと考える。

.4.

3の後もまだ既視感があるならば、自分のものになっていないはずなので、言葉の飛躍や逆説や逆のイメージなどによって半ば壊してみる。(仕掛けの例:意外な文脈、意外な矛盾、対極からの視点→詩の展開、動因。第三者の導入や時空の転換→詩の立体性)

5.

4で詩の時空が現実とは別の時空になったと感じたら、さらに比喩、文末処理、倒置、音の細かな工夫などによって膨らみを持たせたり、リズミカルなものにする。

6.

音読してリズム調整して完成。

7.

時間を置いて客観的に見直す。読者の立場になってみて詩が立ち上がって来るか。一人よがりではなく、読者の想像を自由に膨らますものになっているか(詩のテーマははっきり明示して書かない。テーマとははっきり語れば散文にすぎなくなる)。

★基本的な注意点

①オーソドックスな起承転結になることを恐れず、最初はむしろ人に安心感を与える効果を活用する気持ちで書いてみる。

②言葉を反復しない。詩は言葉の一回性が大切。「これでしかない」という言葉は無意識から来ることが多く、いきなりやって来るか、待機したのちに来ることも。そのためにも言葉の置換力を養う。

③詩は一行で決まる。「決まった一行」はテーマを直感的に凝縮したもの。そのための思考と表現を求めて、自分のテーマに関連した断章からヒントを得ることも出来る(まるごとの引用は出典を明示し、剽窃にならないように注意)。

④③とも関係するが、好きな詩を模倣してみるのも良い。模倣する内自分だけの詩が見えて来る。

⑤大切なのは、「自分のテーマとは何か」を一貫して追求しつづけること。同時に詩を書くことで思いのつよさを養うこと。愛でも反戦でも自分の身のうちにあるもので、また「詩を書きたい」あなたの背中を押してくれるものがテーマである(テーマが先ではない)。あなた自身の「詩の表現に頼らなければ満足されない心的状態」は、どんなテーマによって解放されるのか。(一方で「詩を書きたい」状態よりもテーマが先んじて、「詩を書かなくてはならない」状態になってはいけない。)

⑥具体的なモチーフを主眼にして連作することで、テーマを追求することも出来る。

⑦テーマが見えて来たら、ただの「「自分語り」に陥らないようにテーマをめぐって事実やその表現の歴史を調べること。

II詩と世界、社会、私、他者との相関図

*「アウシュヴィッツの後、言葉以外を破壊された自分にとって、詩作だけが生きること可能にした。詩を書くことによってのみ、『自分を方向づけ』「自分の居場所を知り」「自分に現実を設定する」こと、そして「語りかけ得るきみ」の可能性を感じることができた――。つまりツェランは詩作によって自己と他者という人間の精神にとって不可欠な両極をかろうじて保ちえたのだ。」(河津「パウル・ツェラン-アウシュヴィッツ以後、詩を書くのは野蛮か」『闇より黒い光のうたを』)他者Aへの「投壜通信」としての詩。

Ⅲ他者をテーマとする作品例

①吉野弘「生命は」(改稿前)

生命は 自分自身だけでは完結できないように つくられているらしい

花も めしべとおしべが揃っているだけでは 不充分で 虫や風が訪れてめしべとおしべを仲立ちする 生命はすべて その中に欠如を抱(いだ)き それを他者から満たしてもらうのだ

私は今日 どこかの花のための虻だったかもしれない そして明日は誰かが

私という花のための虻であるかもしれない

②吉野弘「生命は」(最終形)

生命は 自分自身だけでは完結できないように つくられているらしい

花も めしべとおしべが揃っているだけでは 不充分で 虫や風が訪れて

めしべとおしべを仲立ちする

生命は その中に欠如を抱き それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分、他者の総和

しかし 互いに欠如を満たすなどとは 知りもせず 知らされもせず

ばらまかれている者同士 無関心でいられる間柄

ときにうとましく思うことさえも許されている間柄

そのように世界がゆるやかに構成されているのは なぜ? 

花が咲いている すぐ近くまで 虻の姿をした他者が 光をまとって飛んできている

私も あるとき 誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき 私のための風だったかもしれない

★吉野氏自身による解説(吉野弘「他者・欠如」(『現代詩入門』)より)

1「夏の日盛り、大輪の白い芙蓉の花を眺めていたとき、不意に「他者」という言葉が私の脳裡をかすめた。これがひとつのきっかけになり、少しばかりの曲折を経て、一篇の詩になった。」→すでに芙蓉について知識があった。同時に他者を大切に思っていた。

2「花の意志といえば、実を結ぶことに他ならないが、芙蓉の場合は、めしべの長さとは対照的に、おしべは実に短く、めしべの下半分に生えている。めしべを取り巻き、従者然としている。/いうまでもないことだが、花が実を結ぶためには、おしべの花粉がめしべの先端に付着して受精することが必要だ。にもかかわらず芙蓉の場合、長いめしべの先端と矮小なおしべとの間にはかなりの隔りがある。つまり、受精しにくいように仕組まれている。これは芙蓉に限ったことではなく、進化した植物ほど、こういう仕組みになっているらしい。」

「生殖が、たやすく確実におこなわれるためには、めしべの長さとおしべの長さが、ひとつの花の中で揃っているほうが好都合なのではないか、そう思っていた。/「「他者」という言葉を思い浮かべる直前もそんなことをぼんやり考えながら芙蓉の花を眺めていた。そこへ、めしべとおしべを結ぶ虻のイメージが不意に閃いたのである。/ひらたく言えば「他者」は、虫媒花に於ける虫、風媒花に於ける風、水媒花における水であるが、実は、虫、風、水それ自体ではなくて、ある生命を別の生命に関係づけるところの媒介者なのであった。/そのとき私は、花が実を結ぶために、花以外のものの力を借りるという仕組みを、ひどく新鮮に感じ、ある種の驚きを覚えていた、と言えば、幾分かは、私の気持を伝えたことになるだろう。」

「こうした現象をみると、生物の生殖過程が安易に進行することを避けようとする自然の配慮が、私には感じられる。/ここには、生命の自己完結を阻もうとする自然の意志が感じられないだろうか。思うに生命というものは、自己に同意し、自己の思い通りに振舞っている末には、ついに衰滅してしまうような性質のものではないか。その自己完結を破る力として、外部から、ことさら、他者を介入させるのが、生命の世界の維持管理なのではあるまいか。」

「生命体はすべて、その内部に、それ自身だけでは完結できない「欠如」を抱いており、その欠如を他者によって埋めるように運命づけられている、ということができないだろうか。/実を言うと、「「他者」という観念は「欠如」と殆ど同時に、私に感じられたものであった。「欠如を抱いている」というような言い方は、日本語に、あまり馴染まなく言い方で、どこかホンヤクくさいところがあるのだが、この言い方は、他に言い替えがきかないものであった。生命は、本質的に「欠けたもの」であるという感じ方が、その根拠をなしているが、こういう生命観は、大変私の気に入ったのである。/他者なしでは完結することの不可能な生命、そして、お互いが、お互いにとって、必要な他者である関係、それは大仰に言えば、私の感じとった世界の構造なのであった。/いうまでもなく私は、ここで、花と虫、花と風、花と水の関係だけを見ているのではない。この関係は、そのまま人間同士の関係なのである。つまり、私は、あるとき、ある人にとっての虻や蜂や風であり、ある人の幸福や恋や、時には不幸の実るのを、知らずに助けているのであり、又、私の見知らぬ誰かが、私の花の結実を助けてくれる虻や蜂や風である筈なのだ。/この「他者同士」の関係は、お互いがお互いのための虻や風であることを意識していない関係である。ここが良い。他者に対して、一々、礼を言わなくてもいい。恩に着せたり、又、恩に着せられたりという関係がない。/世界をそのようにつくった配慮は、実に巧妙で粋なものだとつくづく思う。ひとつの生命が、自分だけで完結できるなどと万が一にも自惚れないよう、すべてのものに欠如を与え、欠如の充足を他者に委ねた自然の摂理の妙を思わないわけにはゆかない。」

★なぜ改稿したか

「ところが、少したって、この詩には「他者」についての、私のもうひとつの偏見が充分に表現されていないことに気付いた。この詩では「他者」が大層なつかしい存在としてとらえられている。しかし私は「他者」を必ずしも好ましいものとばかりは思っていない。いや、むしろ、煩わしいものとさえ感じている。(略)人間は本質的に自己中心に生きるものであって、他者よりは自己を大切にする生物だと思う。他者についても、本来は無関心なのであり、他者をうとましく思うことが普通なのである。/しかし――である。それにもかかわらず、私たちは、そのような「他者」によって自己の欠如を埋めてもらうのであり、人間の世界は、「他者」で構成されている。私も、「他者」の一人である。/そこで、単になつかしいのではなく、うとましくもある他者、同時に、うとましいだけではなく、なつかしくもある他者 ――そういう視点を、いくらか苦心して、この詩の中にすべりこませた。そうして出来上がったのが次の作である。

②河津聖恵「ハッキョへの坂」

春の光に梢が煌めく うれしそうに鳥たちがやってくる 鳥たちを呼ぶのは

輝く木のよろこび

光の 輝くことそのものにあるよろこび長い冬にたえてすべてが輝きだした

この朝も あなたはハッキョへの坂をあゆんでいく雨あがりなのか

靴はちょっと汚れたか 靴はまだ履いて間もないだろうか

桜舞う頃か きれいにといた髪に なつくようにまつわる花びらを

後ろから見つけたトンムは オンニのように笑って肩を叩き

つまんで見せてくれるだろうか

一緒に見つめる花びらは 切ないほど美しいか

二人三人で腕を組み 肩を抱いて駆ければ 水色の空はふうわりと揺れ

みえないウリマルの花びらが 他人のものでもあり自分のものでもあるこの国に

ふりしきるだろうか

あなたが目を閉じれば あなたの大好きな日本は/一面雪原のように白く

愛するウリナラへと変わっていくか

あなたが夢見るその風景を 私も見知っている気がするのはなぜか

私の中の母の そのまた母の中の母の 遥かな遺伝子が

今もそこへはらはらと流れているのか 一つの詩が終わるように 静かに坂が終わる

あなたはふと黙り 透き通り

あなたを生みだした無数のオモニたちによく似た横顔をひきしめる

花ふぶきの中から現れた アボジを思わせる大きなコンクリートの体軀の

ハッキョの窓があなたをまなざすとき グラウンドを駆け去った

無数のオッパが残した風が あなたに素敵な腕を伸ばすだろうか

風は柔らかな頬と髪を撫で すべてのひとびとが花ふぶきのように笑いあう

未来へと包んでいくだろうか 少し遅れたあなたが

窓から見下ろすソンセンニムと目が合い七色の微笑をこぼしやまぬとき

麓からたちのぼるざわめき 静かな高台のハッキョで

歌のようなウリマルを話すあなたを知らないまま

黄砂でかすんだ地上のグラウンドで もうひとりのあなたは

携帯電話を片手に佇んでいた 風に肩を叩かれて

ふと透明な日本語を喋りやめふりむけばひらひら舞いおりながら

こぼせない涙のようになかぞらをたゆたう不思議ないちまいの花びら

もうひとりのあなたは 思わずてのひらを差しだし

花びらを受け止めまだ見ぬあなたに出会おうと 爪先立ちになる

(注:ハッキョ=学校、トンム=友だち、オンニ=姉、ウリマル=私たちの言葉、朝鮮語のこと、ウリナラ=私たちの国、朝鮮のこと、オモニ=母、アボジ=父、オッパ=兄、ソンセンニム=先生)

★河津自身による解説(「虻と風になった詩人」『現代詩手帖』(2014年4月号)

「(前略)「夕焼け」との出会いから長い時を経た2009年、映画館の闇の中で吉野さんの詩と再会した。是枝裕和監督の『空気人形』で、人形役の韓国の女優ぺ・ドゥナが朗読する「生命は」である。生命を持ち始めた人形の、舌足らずなカタコトの日本語による朗読だった。カタコトであるだけに「タシャ」や「ケツジョ」や「セカイ」といった言葉が観念の重みから解き放たれ、春の光と風に融け込んでいくようにも思えた。詩は、現在の殺伐とした町並みと孤独な人々の映像に被さっていったが、それは「夕焼け」の「娘」が戻っていった町の疲れた未来の姿だったかもしれない。/朗読を聴いてまもなく、2010年私に生まれて初めて在日朝鮮人の友人が出来た。彼女にとっても私が生まれてから三番目の「長い話をした日本人」だった。そのエピソードにもとづいて私は「友だち」という詩を書いたが、エピグラフに引用したのが「「生命は」の一節である。また同時期朝鮮学校の生徒たちに宛てて書いた詩「ハッキョへの坂」の、少女たちが笑い合い風や光や花びらの交錯するイメージもまた、「生命は」への遥かな応答だった。「世界は多分/他者の総和/しかし/互いに欠如を満たすなどとは/知りもせず/知らされもせず/ばらまかれている者同士/無関心でいられる間柄/ときに/うとましく思うことさえも許されている間柄/そのように/世界がゆるやかに構成されているのは/なぜ?」意識はしなかったが、詩を書きつつ私はこの一節を反芻していたと思う。「セカイハタブン/タシャノソウワ」という響きは、木々のようにざわめいていただろう。人間が、自分が他者の他者であると気づき、他者と「うとましく思うことさえも許されている間柄」であることに苦笑するならば、社会はきっと変わる、変わると気づくこともなく緑の葉の光合成のように変わる――そのように向き直り、新しい友人たちに宛てて胸からあふれるように書いたのである。」「吉野さんの詩は繰り返し読んでも、その時々の生きる深さにおいてきちんと応じてくれるものがある。テーマ、モチーフ、技法、語彙、世界観、そして丁寧に描かれる筆致。それらが相互に響き合い、詩の空間がそのつど花のようにひらく。別世界へ連れていかれるのではない。私が生きる空間がそのまま透明化し魂が裸形になり、居ながらにして世界は根本的な転換、つまり光合成をおのずと促されるのだ。」

Ⅳ今回名前を挙げた作者たちの詩と略歴1

1吉野弘の略歴1926-2014

戦後労働運動に参加するが、肺結核のため3年間療養。入院中に詩作に目覚める。会社員、コピーライターを経て文筆業。

2鮎川信夫「死んだ男」

「たとえば霧や/あらゆる階段の跫音のなかから、/遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。/――これがすべての始まりである//遠い昨日……/ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、/ゆがんだ顔をもてあましたり/手紙の封筒を裏返すようなことがあった。/「実際は、影も、形もない?」/――死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった。//Mよ、昨日の冷ややかな青空が/剃刀の刃にいつまでも残っているね。/だがぼくは、何時何処で/きみを見失ったのか忘れてしまったよ。/短かかった黄金時代―― /活字の置き換えや神様ごっこーー/「それがぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて…… //いつも季節は秋だった、昨日も今日も、/「淋しさの中に落葉がふる」/その声は人影へ、そして街へ、/黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。//埋葬の日は、言葉もなく/立会う者もなかった/憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。きみはただ重たい靴の中に足をつっ込んで静かに横たわったのだ。/「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」/Mよ、地下に眠るMよ、/きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。」鮎川信夫の略歴「 1920 年- 1986 年。日本の戦後詩のグループ「荒地」の中心的人物。戦後の詩作の根底には、戦死した親友森川義信への深い追悼の念があった。

3パウル・ツェラン「「無題」

「ハコヤナギよ、お前の葉が暗闇のなかを 白く見つめている。/ぼくの母の髪は 決して 白く ならなかった。//タンポポよ、こんなにも緑だ ウクライナは。/ぼくの金髪の母は 帰って来なかった。//雨雲よ、お前は 泉のほとりでためらっているのか?/ぼくのひそやかな母は 皆のために 泣いている。//丸い星よ。お前は 金色のリボンを結ぶ。/ぼくの母の心臓は 鉛で 傷ついた。//樫の扉よ、誰がお前を 蝶番から 外したのか?/ぼくの優しい母は 来られない。」

・パウル・ツェランの略歴1920年-1970年。ルーマニア王国・「チェルノヴィッツ(現ウクライナ)のユダヤ人家庭に生まれる。1942年両親はナチスの強制収容所で死去、自身も労働収容所で強制労働に従事。戦後はパリでユダヤ神秘主義とシュルレアリスムを交錯させるような詩を書き続けるが、やがて精神を病みセーヌ川に身を投げる。その詩作の原点には最愛の母の死がある。

4石原吉郎「花であること」

「花であることでしか/拮抗できない外部というものが/なければならぬ/花へおしかぶさる重みを/花のかたちのまま/おしかえす/そのとき花であることは/もはや ひとつの宣言である/ひとつの花でしか/ありえぬ日々をこえて/花でしかついにありえぬために/花の周辺は適確にめざめ/花の輪郭は/鋼鉄のようでなければならぬ」

・石原吉郎の略歴1915年-1977年。1945年から1953年までシベリアに抑留される。戦後、8年間の抑留の記憶を昇華し自己を救済するような詩を発表。プロテスタントの信者でもあった。