消えぬ後悔・・・
弟から連絡があった。「会っておいた方が良いと病院から連絡があった」
火曜日だったので、30分だけ早く上がらせてもらって直行した。
私は毎年母親と初詣に行っていた。幼少期からずっと。親父が他界してからもずっと。
その日、珍しく「家あがって行けば?」と言ってきた。私は次の用事までそんなに時間がなかったので、「またにするわ」と家まで送ってそのまま帰った。
次の日、弟からの連絡で事を知った。
私が寄っていけば、またにするわと帰らなければこんなことにはなっていなかったんじゃないかとずっと後悔している。これは今もずっと。この後悔は消えない。
あれから約5年。よく頑張ってくれたと思う。
私はその約5年、1度も見舞いに行ってない。
姿を見る勇気がなかった。
自分を責めた5年でもあったし申し訳ない気持ちでいっぱいだったし。
後悔とその姿とに耐えられないと思っていたから。
行ってしまったら、母親の命は終わってしまうという自惚れもあった。
会いに行くまで頑張って生きてください、そう思っていた。
その間、弟家族が面倒をみてくれていた。画像もくれていた。
そして、弟から連絡のあった10/24に初めて姿を見に行った。
「まー君来たよ。わかる?」
「もう一回来るから、それまで頑張ってね。これで安心しないでね。」
耳元で話しかけた。
遷延性意識障害(植物人間)なので、目は開いているけど私が誰かはわからない。耳は聞こえるのでと看護師さんは言うが音としてしか聞こえないので言葉の意味もわからない。嗅覚はあるのかわからないが、目が見えない・言葉を聞き取れないとなると私が来たという事をわかってもらえる可能性があるとしたら香りしかない。昔から変えていないボディクリームとオイルを少々多めにしていった。
看護師さんに「お母さん、いらしたのわかってますよ。ずっと低かった血圧が上がりましたから。」と言われた。
香りでわかってくれたか、母親であるが故の感覚でわかってくれたのかは定かではないが
私は、それを聞いて「あっ、お別れだな」と覚悟した。
とっくに面会時間は過ぎていた。状況が状況だけに特別にということで会わせてくれた。
他の患者さんに迷惑が掛かるので、20分くらいで部屋をあとにした。
そして10/26午後一弟から連絡が入った。
1つレッスンをして、病院に向かった。
面会
「僕が来るまでの約5年、よく頑張ってくれました。もっと早く来て、もっと早く楽になってもらえば良かったのかな?」
本当に静かに、眠るように息を引き取ったそうです。
父親も母親も、私たちに大きく負担を掛けずに旅立った。
世には親御さんが認知症やその他長期にわたる要介護だという方は大勢いらっしゃる。
私の父方の祖母が認知症で、父や父の妹夫婦が凄く苦労されていたのを知っている。
最後まで私たちの両親らしかった。
感謝しかない。ありがとうございました。