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霊性への旅

劣等感(2)★ヴィパッサナー瞑想合宿(3b)

2019.02.28 10:23

5. 存在は苦なのか

◆再びメガネの錯覚

瞑想状態が次第に良くなるのと前後して、前回の合宿のときに課題となったメガネの錯覚が再び現れ、徐々に強くなっていった。確か3日目には、両目の下あたりに時折フレームがかすかにあたる程度の感覚だった。それが日を追う毎に徐々に強くなり、最終的には前の合宿の時の感覚とほとんど変らない強さとなった。

6日目の午後だったと思う。3階へ階段を上がったところにある小さな喫茶スペースの椅子に坐っていた。他の人と同席した時は、まず目を閉じてその人に対し「慈悲の瞑想」をすることにしていた。その時も「慈悲の瞑想」を終えて目を開けると、かけていないメガネの感覚が目のあたりにはっきりとあった。と同時に原始仏教の存在(煩悩)否定論が頭をかすめた。そして「見たくない」というサティが入った。「本当に私は、存在否定論から目をそらしたいのだな」という実感があった。その直後にメガネの感覚がまったく消えているのに気づいた。

消えたのは一時的であったし、7日目、8日目とメガネの感覚はますます強くなっていったのだが、これでひとつはっきりした。メガネが、仏教の生命否定的な世界観から目をそらしたいという思いの象徴になっていることが。少なくともメガネの意味のひとつであることは間違いない。ちなみに、その日のダンマトークは、梵我思想と原始仏教の思想を対比する内容を含んでいた。

◆存在(煩悩)否定論

先生は、これまでもずっと、私が原始仏教の存在否定論に引っかかっていることが修行の深まりにとってマイナスになると判断していた。全部で9回あった面接で、少しでもこの問題に触れない日はなかった。ダンマトークでも、直接間接に何度かこの問題に触れた。しかし、私の引っかかりは取れなかった。むしろダンマトークでこの問題が語られるたびに錯覚が強まる傾向があったかもしれない。

これは合宿の体験レポートなので、今この問題をめぐる議論に深入りするつもりはない。しかし、先生が何を語り、私がなぜどのような点に納得できないのか、かんたんに触れておく必要はあるだろう。

一般的に原始仏教は、この世の中のすべては生滅を繰り返す泡のようなはかない存在であり、生命は輪廻をくりかえす苦にみちた存在であると説く。だからこそ、苦を滅しさり、輪廻からのがれる、すなわち解脱することを求め、また人々に説くのだ。存在の本質にドゥッカ(苦)を見て、離欲によって究極の解脱を目指すことがブッダの説いた道だ。

地橋先生もこう語る。‥‥存在を生命と限定して考えても、貪瞋痴(とんじんち:貪[むさぼり]瞋[いかり]痴[おろかさ]の三毒で諸々の煩悩の根元)が生命の基本にあるから、生命は内在的に苦を含み、そこからまぬかれることはできない。たとえば、生き物は生きる以上、他の生命を犠牲にせざるを得ない。生命の基本である貪瞋痴が出力されるかぎり、つまり生存を続けるかぎり、苦はあり続ける。生命を肯定することは、煩悩を肯定することになる。因果にしばられた生存=苦から脱出するには、生存を離欲して涅槃に至るしか道はない。

そして私は、「生存からの離欲」という生命否定論に躓いてしまうのだ。

◆受容と容認

私が存在(煩悩)否定論を受け入れがたいと感じるもっとも素朴な理由は、私を、そして他のすべての生き物を貫いて流れるこの生命を、なぜ苦として否定的に捉えるのか、という疑問だ。一般に生命は、生きようとするかぎり、自らのいのちを否定的に捉えたりはしない。自分に流れているいのちを肯定的に捉えるか、否定的に捉えるかは、いのちの根源に食い込んでくる問いだ。私は、与えられたいのちの営みをそのままに肯定したい、と何よりも心情的に感じる。

もうひとつ疑問に思うのは、ヴィパッサナー瞑想があるがままの受容を説くことと、存在(煩悩)否定論との関係だ。ヴィパッサナー瞑想が、事実を事実としてあるがままに観察し、受容していくという、その徹底性に私は深く共感した。自我という主観性のフィルタで事実を編集したり、歪曲したりしているのが、私たちの常だ。その歪曲にもとづいて私たちは、争ったり、嫉妬したり、傷ついたりして苦悩する。自我による歪曲が少なくなればなるほど、なまの現実に心を開き、それを受け入れられるようになる。心の外の現実だけではなく、内側の現実をも歪曲せずに受容できるようになる。それは、自分に与えられたいのちをかぎりなく受容して、いのちの全体を取り戻していく道ではなかったのか。ヴィパッサナー瞑想の受容の道は、なぜいのちそのものの受容につながっていかないのか。この問いは、面談の最中に地橋先生にぶつけた。先生の答えは、受容と容認は違うというものであった。事実をあるがままに受容していくことと、その事実を容認してしまうこととは別だということ。煩悩が苦を生み出すという事実を受容することと、煩悩を容認することとは違うということであった。

◆なぜ苦でしかない世界があるのか

この答えに対しさらに私の問いはあるが、ここでは別の角度からの疑問に進もう。もし存在そのものが苦であるとするなら、なぜ苦でしかない存在が生じたのか。そこから解脱することでしか救われない世界がなぜ存在するのか、という疑問だ。これは、キリスト教でいう「善なる神が、なぜこのように悪に満ちた世界を創造したのか」という問いに似ているかも知れない。

この問いについての地橋先生の答えは、「ブッダの宿命通(過去世を遡って想起する能力)は空前絶後のものであったが、あらん限りのその力をもってしても、『この世の始りというものは、見られないのだ』というのが仏教の答だ」というものであった。

◆進化論

私は、もうひとつ進化の問題についても質問した。もちろんブッダの時代に今でいう進化論はなかっただろう。しかし進化をどのように理解するかは、存在、生命を否定的に捉えるか、肯定的に捉えるかに深く関係する。

私は「原始的な生命から、高等な生物、そして人間へと進化を推し進めてきた力は何だとお考えですか」と質問した。先生の答えは、少なくとも目的論的なものではなかったと記憶する。盲目的な推進力によって偶然的な要素が重なって人間の出現にまで及んだ、という意味合いの答だったと思う。

先生とはこれ以上に議論をすすめなかったが、ここでは私の考えをかんたんに述べておく。私は、人間の出現にいたる生命の進化に、偶然では説明のつかない何らかの「意志」が働いていると思う。ケン・ウィルバーは「現在までの進化のコースをみるがよい。アメーバから人類までの道のりを! それならば、このアメーバから人間への進化率を未来の進化に適用したらどうであろうか。つまりアメーバが人間に対する関係は、人間がXに対する関係に等しいのである。Xとは何か?」と問いかけた(『構造としての神』)。Xには、超越心(スーパーマインド)とか、超越意識とか呼ばれるようなあり方が当てはまるようだ。私が言いたいのは、もし進化をこのような方向性において理解するなら、進化する存在、生命を肯定的に捉える視点もありうるだろう、ということだ。私自身は、ウィルバーの壮大な哲学に大きな影響を受けている。

◆ドゥッカ(苦)

原始仏教の存在(煩悩)否定論について先生は、もっと多くのことを熱心に語ってくれ、私も質問した。しかしここでは割愛し瞑想体験の話に戻ろう。7日目の朝いちばんの瞑想は、一瞬頭をよぎる言葉になるかならないかの思考や、細やかな身体の感覚にもサティが入ったと書いた。しかし7時半から9時頃までダンマトークがあり、その後は再び思考が多くなった。ダンマトークの内容が瞑想に影響していたかも知れない。この日のダンマトークは、ドゥッカ(苦)の問題をテーマとしていた。

ダンマトークでは、苦が「苦々、変移苦、行苦」に分けられて詳しく説明された。ドゥッカが本当の意味で分からないとテーラワーダ仏教の充分な理解は得られないという。苦々は、苦の状態を意味し、現在も地球上に満ち満ちている個々それぞれの苦の状態を指す。変移苦は、楽が変滅するという苦。幸福な状態は維持できない。また完璧な幸福が続けば、やがてはそれに飽き、不満が生じる。最後の行苦は少し難しい。行(サンカーラ)は、形成力を意味するという。因果のエネルギーが働いて何かが作られる。しかし新しい何かが作られるということは、古いものが壊れるということ、生成と消滅はいっしょだということだ。因果の拘束性のなかで生成と消滅が繰り返されるということが苦と認識される。

そして、サンカーラの苦をなくすには、涅槃に至るほかないという。存在の根底において、因果にしばられたドゥッカを認識するからこそ、生存を離欲して涅槃に至るしか道はない、というのだ。

6. 劣等感への気づき

◆取れないメガネ

ダンマトークの後の瞑想は全体的に不調だった。一部の瞑想を除いて、思考が連続し、サティが入らないことが多かった。思考は、ダンマトークの内容や面接でのやりとりについてのものが多かった。メガネの錯覚は、この頃になると前回の合宿で感じたのとほとんど同じような実在感をもつようになっていた。やはり存在(煩悩)否定論に対する抵抗という意味が強いのだろうか。

この日の前後、何時だったか喫茶室で慈悲の瞑想をし、その後メガネの錯覚についてこんなイメージ・ワークをした。試しにイメージのなかでメガネを無理やりはずそうとしたのだ。ところが顔面にしっかりくっついてなかなかとれない。なおも取ろうとすると、メガネが顔面に溶け込んで消えていくイメージが見えた。目を開けるとメガネの感覚はなくなっていた。しかし、そのすぐ後にメガネの錯覚は復活した。メガネは無理に取ろうとしても取れないことがよく分かった。

メガネを無理に取ろうとすれば引っ込んでしまう。しかし、またすぐに出てくる。とすれば、やはりそれは私に何かの存在を訴えかけようとしているのだ。私が見ることを避けている何かを。メガネが私に呼びかけている、「お前が見ようとしない真実がまだあるよ」と。でなければ、錯覚がこんなに執拗に続く分けがない。

◆「達成ゲームやる?」

8日目のダンマトークでは、恒例の「達成ゲーム」についての説明があった。8日目、9日目の二日間で厳密なサティの連続状態を2時間続ける。それを2回達成できるよう全員がチャレンジするのだ。先生は、今回「達成ゲーム」を行うかどうか、若干の迷いがあったらしい。今回の合宿は、どちらかというと心随観に重きを置くように指示されていたからだ。

心随観は「特化」型のサティに入るだろう。対象を個別化し、特化していく。ひとつの感情対象を識別し、その本質に迫り、洞察を深めていく。これに対して「達成ゲーム」は、「撤退」型のサティが中心となる。対象の中味には入っていかない。たとえば外から「ワンワン」と聞こえた瞬間に「音」とサティし、中味には入らず、そのつど「撤退」していく。これを繰り返すのだ。

私は、「撤退」型のサティをどのように厳密に行うかの説明を聞きながら、「今回は達成の自信が全然ないな」と思った。昨晩の瞑想状態から判断して、かすかな思考=妄想にもすべてサティを入れ続けるのは、かなり難しいと感じた。

そんな私の思いを察してか、ダンマトークが終わった後、地橋先生が私に近づいて小声で言った、「石井さん、達成ゲームやる? 他のやり方でもいいけど‥‥」  私は、とっさに「やります、とりあえずは」と答えた。すでにダンマトーク中に、たいへんだけどやろうという気にはなっていた。

しかし、実際に3階で歩行瞑想を始めると、一歩行毎に思考が湧いてきて、それらにいちいちサティを入れていると混乱状態におちいった。どうしても思考の中味に入り込み、心随観状態になってしまう。出てくる思考がどれも、自分のエゴに根ざしていることが分かる。「この状態をレポートにどう表現するか」、「面接でどう報告するか」‥‥。そんなことを一生懸命に考えている。要するに自分がどう評価されるかが気になるのだ。少しでも自分を高く評価されたいという思いが、様々な思考となって湧出する。

◆補償

それでも必死に壁伝いに歩行瞑想を続けていた。数分に一回はサティの入らない思考があった。「達成ゲーム」どころではなかった。窓際まで来た。向きを変えようと回転しているとき、束ねられたカーテンの模様や壁紙が視野に入った。そのときにふいに地橋先生との先ほどの会話を思い出した。

「やります、とりあえずは」と答えた直後の自分に何かしら弱さのようなものを感じたのだ。かすかな感覚だったが、それは自分の対人関係に共通した弱さのようだった。何とサティを入れたのか、あるいは入れなかったのか、覚えていない。確かなのは、その直後に自分自身の精神世界探求への強い思い、本やホームページなどで知的な探求を続けることへの熱情のようなものを感じたことだ。

「そうだったのか」と思った。知的な探求を続け、自分の理論的な世界を探求することは、この弱さの裏返しだったのだ。自分の弱さ、自信のなさを打ち消すために精神世界への知的な探求を続けている面がある。ある一面での自信のなさを別の面での自信で「補償」しようとしていたのだ。

◆「本本本‥‥‥」という模様

その時、もう一つ思い出したことがあった。数日前、一階の和室で坐禅をしていた。目を開けるとすぐ目の前にレースのカーテンがあった。その向こうは小さな前庭だった。何気なくカーテンを見ていると、レースの模様の一列が小さく本本本本本本本本本‥‥‥‥‥‥‥という模様に見える。目を瞬いてもう一度見るが、やはりそう見える。見る角度を少し変えたがやはりはっきりと本本本‥‥と見える。

そんなはずはないと思い、一度目を閉じてから、今度はしっかり見つめ直すと、そこには平凡なレースの模様しかなかった。しかしまた何気なくカーテンを見ると、やはり本本‥‥という模様になっていた。その時は「俺はそんなに本が好きなのか」と思っただけだった。

しかし、達成ゲーム中に地橋先生とのやりとりを思い出した時は違っていた。カーテンに本の模様を見た時、何か自分が慣れ親しんだものを見るような、安心感、自由感を感じたことも思い出した。そして、本の世界への親和感や安心感、自由感と、対人関係での臆病さや自信のなさとが一対のものとして感じられた。

私は、しばらくその場に立ったまま心随観を続けていた。そして目を開けた。からだがすっきりとして楽になっているのを感じた。そしてさっきまでしっかりと実在感をもって顔面にあったメガネが消えていた。

◆努力なしにサティが

からだがすっきりとしただけではない。サティがこれまでのような努力感なしに、どんどん入っていく。かすかに脳裏をかすめる思考にもサティが入った。そして、それらがみなエゴに根ざした思考であることが、いやと言うほど分かった。

たとえば昼食のとき、箸やお椀の上げ下ろしなどには連続してサティが入っていくが、目を閉じてゆっくり噛み始めると思考がはじまった。そして「以前の合宿でいっしょだったAさんは、食事中のサティが全くだめだったな」と思い出した。「思い出」とサティを入れ、さらに「比較」「優越意識」と続けた。自分が思考に陥ったからこそ、Aさんを思い出して優越意識に浸り、思考に陥った「まずい自分」を中和させたかったのだろう。すべてこんな具合に、自分のエゴが見えてくるのだ。

昼食後、すぐに坐禅を始めたが眠くなったので、15分ほど仮眠をした。目覚めるとすぐにまた坐禅を始めた。頭がすっきりして、腹の動きにも思考にもクリアなサティが連続していく。自分の思考が、ほとんどエゴに根ざしていることがさらによく見える。そして、午前中はお手上げ状態だった「達成ゲーム」が、今度は意図もしないのに達成されていく感じだった。実際は、時計で2時間を計る気はなかったが。

◆劣等感

こうしてサティを続けるうちにさらに見えてきた。対人関係での「弱さ」「自信のなさ」「怯え」「恐れ」‥‥。そんなサティが続いた。そして「自分には、かなり劣等感があるんだな」と思った。

「あがりやすさ」‥‥千人以上の前で話すときは、かなり準備をするけれど、いつも相当に緊張していた。準備している場合ともかく、とっさに人前で話すように仕向けられると、かなりあがってしまう。

人と話すときに感じている、いつもどこかでびくびくしているような感じ‥‥。自分を安心してさらけ出していない感じ。いつも何かを隠して怯えている。これも劣等感だ。「あっ、これも劣等感だ、あれも劣等感だ」と次々発見した。様々なことが結びついてくる感じだった。

思春期から今に至るまで、私は劣等感に苦しんだ記憶がない。若い頃、ある会合で「私は、劣等感を感じない」と言って周囲をびっくりさせた。主観的には嘘ではなかった。

◆どんな弱さ?

地橋先生に「石井さん、達成ゲームやる?」と聞かれ、とっさに「やります」と答えた後の私の心の動きは、どうだったのだろうか。少なくとも、答えた直後の私は何も感じていない。その後、歩行瞑想をしている最中に、この会話での自分の心の動きに何かしら「弱さ」を感じた。 さらにその後の瞑想中、何かのきっかけでそのとき感じた弱さの内容が少し分かったような気がした。人に何か提案された時に、自分の気持ちがどうであれ、まずはそれを受け入れようとする、そんなところが私にはある。地橋先生に「他のやり方でもいいけど‥‥」と言われたとき、瞬時に私は、何か別の提案があるなら受け入れようとする心の動きをとっていた。自分でも気づかないような一瞬の反応ではあったが。それに私は、後から気づき「弱さ」と自覚したのだ。

人の意志と対立するようなことは、少しでも避けようとする弱さ。人と対立して傷つくことを恐れ、防衛している。あの歩行瞑想中にはじめて、そういう自分の弱さに「劣等感」を感じていることを自覚した。「あっ、私は自分のこの弱さに劣等感をもっているのだな」と気づいた。劣等感を「劣等感」として自覚したのだ。

私は、「劣等感」を持たない人間だった。もちろん個々の人と比較して、あるいは個々の状況下で、「彼にくらべ劣っている」とか、「これが苦手だ」、「ここがダメだ」と思うことは日常的にいくらでもある。しかし、そうした個々の思いを「劣等感」として意識して、「自分は劣等感を感じている」と自覚したことがなかった。それがやっと、「自分はいつも対人関係において劣等感を感じていたのだ」と分かった。それと同時に、精神世界の知的な探求、それをホームページや本の形で発表することが、劣等感の補償になっているなと、見えてきたのだ。

◆イライラ

若い頃はともかく、おそらく20代の後半から、私は「嫌いな人」がいなくなった。苦手な人物は何人もいるが、嫌いだと感じる人はいない。若い頃は、「カッコをつけるやつ」がすごく嫌いだったが、それは自分自身が「いいカッコしー」だったからだろう。自分の嫌な面を他者に投影していたのだ。今は、自分のそういう面をある程度は受容できるから嫌だとは感じないのだろう。

ただ、嫌いということではないが、一人だけ自分の嫌な面を投影していると思う人物がいる。それが同居している父だ。父は真面目でおとなしく気弱で善良な人物だ。そんな父の、特定の行動傾向に私はイライラを感じることが多い。強くののしったりすることはないが、態度がつっけんどんになったり、自分で冷たいと思ったりすることが多々ある。

同居しているとはいっても別棟になっていてちょっとした廊下でつながっている。食事は、父側の棟の居間で家族でいっしょに食べる。ささいなことだが、父は私たち夫婦の棟や私の書斎の鍵閉め・電気消しなどをいちいち確認しないと気がすまない。こちらでやるから気にするなと言っても気になるらしくて止めない。その他、挙げるのも恥ずかしい他愛もないことだが、同様の父の行動に私は、毎日のようにいらついている。年老いた(年のわりに元気だが)父の心配性から来る、若干はた迷惑な行動を寛容に見過ごせればよいのだが、相変わらず私は感情的に反応している。明らかに自分の過剰反応だとは思う。少し父が頑固になっているせいもあり、私のいらつきも多くなっている気がする。

瞑想合宿で対人関係での自分の劣等感に気づいていくなかで、私は、受容していなかった自分自身の弱さを、父親に投影していたようだと思うようになった。これまでももちろん、自分の父親への態度には何らかの投影があるとは思っていた。もっと複雑なコンプレックスがあるような気もしていた。

しかし、自分の内面的な弱さへの劣等感と、その補償としての「研究への情熱」という一面に気づいたことが、自分の弱さへの劣等感を父に対して投影したという気づきにつながった。自分にとってもっとも深い血縁である父親だからこそ、自分自身で赦せない自分の嫌なところを投影し、長いこと冷たくあたってきた。しかし、この問題を超えずして自分のさらなる成長はあり得ない。今ようやく成長への糸口が見えてきた。

◆メガネの意味

ところで、以上のような劣等感への気づきが、メガネの錯覚を解消したり、少なくとも弱めたりすることにはならなかった。何回かメガネの感覚がとれたことはあったが、永続的なものではなかった。むしろ8日目、9日目がいちばんメガネの錯覚が強くなっていた。ほとんどいつもメガネが顔面にある感じになったのだ。前回の合宿のときの感覚と変らなかった。たとえば歩行瞑想中に、目がかゆくなって左手でこすりたくなったとき、思わず右手でメガネを取ろうとする動作をしていまい、苦笑した。ふだんはメガネをかけていないから、習慣的な動作とはいえない。前回、ずり落ちそうなフレームを何度も挙げようとしたのと同じである。

メガネが抵抗と抑圧のシンボルであることは、今回ますますはっきりした。瞑想中にメガネの感じにサティをした。「抵抗と抑圧のシンボル」「見まいとする心」とサティしたとき、メガネが一時的にスーと消えていくのを感じた。

グリーンヒルの瞑想合宿という場は、私にあるがままの真実を見ることを迫る。一方で私は、真実を見たいと切に願い、他方では、真実を見ることに対して必死に抵抗している。メガネは、そのような抵抗のシンボルなのだ。

と同時にメガネの錯覚は、「お前が、見ようとせず、避けていることがまだまだあるぞ」と語りかけている。私が見るのを避けていることが何なのかは分からない。むしろ、見ようとせず、分からないからこそ、メガネの錯覚が執拗に続くのだろう。

あえて言えば、私が見ようとしない「何か」とは、恐らく私が抑圧していることの一切なのだ。抑圧が解消されない限り、メガネの錯覚は続くのだろう。言い換えれば、私が「自我」を捨てきれず、「自我」に都合のよいことだけを見、都合の悪いことから目をそらせているかぎり、錯覚は続くのだ。メガネが消えるときとは、「自我」という防御の壁が消えるときなのかも知れない。