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三島町「おおたに新そばまつり」 2025年 秋

2025.11.09 11:14

“蕎麦どころ”三島町の大谷地区で開催された「おおたに新そばまつり」に行くため、JR只見線の列車に乗って会津宮下駅で下車した。

 

三島町大谷地区は、只見線の会津宮下駅から南に3kmほどに位置し、大谷川沿いに集落が延びている。

大谷地区(旧大谷村)は、明治以降に沼田(伊北)街道や鉄道(現在の只見線)が整備されるまで、(会津)若松城下と沼田(伊北)街道を結んでいた短絡路である「(会津)銀山街道」が通っていたこともあってか、江戸期には大谷組の中心村だったようだ。

会津藩の地誌「新編會津風土記」(1809(文化6)年編纂完了)には、大谷組十六箇村の冒頭に大谷村の記述があり、「(会津)銀山街道」の峠となる「石神峠」も記されている。

*下出処:「新編會津風土記」 巻之八十一「陸奥國大沼郡之十」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第33巻」p100‐102 URL: https://dl.ndl.go.jp/pid/1179220/1/57)

「新編會津風土記」卷之八十一 「陸奥國大沼郡之十」
大谷組
此地府城の西に當り本郡の中央にあり、東北は共に瀧谷組に隣り、西は大石組に界ひ、南は野尻組に接す、東西三里計、東は瀧谷組牧澤村の山界より西は大石組沼澤村の山界に至る 疊山亂峙ち中に二條の谷あり、東の谷を中川流れ、西の谷を大谷川流る、人家多くは其两岸に住し、土地薄く田畠少し、常に麻を植へ蠶を飼て生計の資とす、此組の諸村皆金山鄕と稱す、凡て十六村あり、
大谷組十六箇村
大谷村 小名 中居 端村 鳥海 河井村 大登村 宮下村 桑原村 淺岐村 間方村 端村 入間方 小野河原村 砂子原村 小名 上湯 五疊敷村 小名 下湯 荒湯 黒澤村 冑中村 芋子屋村 大成澤村 漆東峠村 琵琶首村 木地小屋 下平
●大谷村 小名 中居 端村 鳥海
府城の西に當り行程十里餘、家數三十軒、東西三十二間南北三町二十四間、山間に住す、西は大谷川に臨み、南北に田圃あり、村中に官より令せらるゝ掟條目の制札あり

  

この大谷地区で開催される「おおたに新そばまつり」は、新型コロナの影響で2020年から2023年まで中止となっていたが昨年から再開し、今年で19回目を迎えた。只見線の列車に頻繁に乗るようになった2016年にはこのイベントを知ったが、10年を経てようやく都合がつき訪れることになった。

このイベントへの参加は、電話予約もしくは前売り券購入方式で、当日は「ざる蕎麦」・「高遠蕎麦」・「会津地鶏けんちん蕎麦」の3種が食べ放題となっている。私は、予約開始日の10月11日に事務局に連絡を入れ、午前の部の予約を入れて今日を迎えた。

*参考:

 ・福島県:只見線ポータルサイト 

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日) 

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線沿線の蕎麦/ラーメン- / -只見線の秋-

 

 


  

  

今朝、自宅のある郡山市から、磐越西線の始発列車に乗って会津に向かった。

猪苗代を過ぎると、日本百名山(22座)に挙げられている「磐梯山」(1,816.0m、会津百名山18座)がよく見えた。今日の会津地方の天気予報は曇りで、降水確率も40%ほどだったので心配していたが、只見線沿線も雨雲に覆われることはないのではと思った。

 

7:11、会津若松に到着し、只見線の4-5番線ホームに向かうため跨線橋を渡ると、会津川口駅からやってきた只見線上り1番列車(キハE120・2両編成)が到着するところだった。

会津平野の西部山地の上空に広がる雲は薄い鼠色で、その奥に位置する只見線沿線の奥会津地域は雨は降ってはいないようだと思った。

 

ホームに下り、4番線に入線した折返し会津川口行きとなるこの列車に乗り込んだ。

7:41、会津川口行きの列車が会津若松を出発。乗客は先頭に3人、私が乗った後部が4人と少数だった。平日は沿線の2つの高校に通学する高校生で混雑するが、土日休日の会津川口止まりの列車は空席が目立ついつもの光景だった。

 

列車は、七日町西若松で部活に行く高校生を乗せ、大川(阿賀川)を渡った。上流側には「大戸岳」(1,415.7m、会津百名山36座)の山塊が見えた。

 

会津本郷出発直後に会津若松市から会津美里町に入った列車は、会津高田に停車し会津西陵高校の生徒数名を下ろした。北に目を向けると、先月登った「飯豊山」(2,105.0m、同3座)を東端とする“飯豊連峰”のそれぞれの山頂付近が冠雪していて、冬が近いことを実感した。

 

会津高田を出発すると、列車は“高田 大カーブ”を右に大きく曲がり、進路を西から北に変えた。

 

左車窓から会津盆地の西部山地を見ると、会津総鎮守・伊佐須美神社の奥ノ院があり、同社の第三遷座地である「明神ヶ岳」(1,073.9m、同61座)と、その左後方(南南西)に第二遷座地の「博士山」(1,481.7m、同33座)が見えた。*参考:伊佐須美神社「御由緒・歴史

 

根岸に停車すると、町のPR板があり、水の張られた田の脇を駆ける只見線の列車の大きな写真が掲げられていた、以前この板は町の観光案内図だったが、今年になりこの写真に変わっていた。

 

そして、次駅・新鶴にまもなく到着という位置で、列車が停まってしまうのではないかと思えるほどスピードを落とし、何度も警笛を鳴らした。いつもとは違う雰囲気に、『クマでもいるのか⁉ まさかな...』と思ったが、駅に停まり乗降可能となり車内放送も無かったため、この時は気に留めなかった。

 

新鶴を出ると、右車窓から会津平野の広大な刈田越しに「磐梯山」の稜線が見えた。

そして、会津坂下町に入り若宮手前では、住宅越しに“飯豊連峰”がより大きく見えた。


列車は減速しながら左に大きく曲がり、進路を再び西に変えて会津坂下に停車し、会津農林高校の生徒を中心に大半の客を降ろした。そして、1番線に停車中の会津川口発の上り2番列車と交換を行った。

 

会津坂下を出ると、ディーゼルエンジンの出力を上げて、右に大きく曲がりながら七折峠に向かって登坂を始めた。

峠の中の塔寺を経た後に登坂を終えると、エンジンの出力を抑えた列車は“坂本の眺め”を通過。“飯豊連峰”を見収めた。

 

列車は会津坂本に停車。貨車駅舎(待合室)に描かれた「キハちゃん」が、満面の笑みで迎え見送ってくれた。*参考:会津坂下町「只見線応援キャラクター誕生!!」(2015年3月13日) https://www.town.aizubange.fukushima.jp/soshiki/2/3337.html / YouTube「キハちゃんねる」URL: https://www.youtube.com/channel/UChBGESkzNzqsYXqjMQmsgbg

 

会津坂本を出発直後に柳津町に入った列車は、会津柳津を経て郷戸手前で“Myビューポイント”を通過。「飯谷山」(783m、同86座)の山肌は、見頃を迎えている色付きだった。

 

列車は滝谷を出ると滝谷川橋梁を渡り、三島町に入った。渓谷の紅葉も見頃を迎えていた。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋検索

 

列車は会津桧原を経て桧の原トンネルを抜けると、「第一只見川橋梁」を渡った。落葉した木々も見えられたが、ここも紅葉は見頃だった。そして、只見川の水面は冴え、水鏡となり周囲を綺麗に映し込んでいた。*只見川は東北電力㈱柳津発電所・ダムのダム湖

上流側、駒啼瀬は両岸が見事に色付き、より綺麗だった。

左岸上方にあり「第一只見川橋梁ビューポイント」に向けてカメラをズームにすると、上段のC・Dポイントに人影は見られず、その下のBポイントに人だかりができていた。

三島町でも今年のクマ出没は多く、この「第一只見川橋梁ビューポイント」付近でも目撃情報があったため、現在は上部のC・Dポイントは一時閉鎖され、国道252号線と道の駅「尾瀬街道みしま」に近接したBポイントだけを開放しているという。*下図出処:三島町観光ポータルサイト 

会津西方を出発直後には「第二只見川橋梁」を渡った。ここも只見川の水面に水鏡が現われ、良い眺めだった。上流側に見える「三坂山」(831.7m、同82座)は全体が色付いているようだった。*只見川は柳津ダム湖

 

 

列車は減速し、「みやしたアーチ3橋(兄)弟」の長男・大谷川橋梁を渡った。下流側には次男・宮下橋(県道237号線)があり、両岸はまずまずの色付きで良い眺めだった。*参考:福島県土木部 まちづくり推進課「ふくしまインフラツーリズム」: 「宮下アーチ3兄(橋)弟」 URL: https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/infra/miyashita-arch.html

 

9:07、会津宮下に到着。輪行バッグを抱え下車すると、まもなく小出発・会津若松行きの全線走行1番列車がやってきて、交換を行った。上り列車は2両編成で、双方とも空席は見られたがそれぞれ10名を超える客を乗せているようだった。

構内踏切を渡り駅舎に入ると、待合スペースの隅に“Youはどこから?”ボードが立てかけられていた。相変わらず台湾からの来訪者が多く、ベトナムやフランス、イタリアからはそれぞれ1枚のシールが貼ってあった。

 

駅頭に出ると、台湾出身の歌手テレサ・テンの歌碑があり曲が流れていた。


この歌碑は1977(昭和52)年3月に三島町を訪れ、以後“特別町民”として町と交流を持ちづけた彼女との『ゆかりを後世に残すため』、彼女が三島町を訪れる『きっかけとなった「ふるさと運動」が50年の節目を迎えた記念事業』として建立され、昨年11月8日に除幕式が行われた。*参考:三島町「ふるさと運動 50周年記念 特設サイト」特別町民とテレサ・テン 

 

自転車を組み立てて、熊鈴を身に着け、クマ除けの電子ホイッスルを手に持ち、会津宮下駅前を出発。


 

一旦国道252号線に出て、少し会津若松方面に進んだ。

まもなく、県道59号()線への分岐となった。県道の隅には“大谷新そばまつり 会場入口”と墨書された看板が置かれていた。

県道の緩やかな坂を上り進み、まもなく拡幅されたバイパス部から狭隘部に入った。

車の往来が少なく、木々や藪が道路に迫っているためクマの存在が気になり、電子ホイッスルを鳴らしながら自転車を漕ぎ進めた。

県道の上り坂が終わると、大谷川はかなり下の方に見られた。

緩やかに下る坂を進むと、大谷川の支流・倉掛沢を渡った。

そして、倉掛橋の先には、バイパスの工事現場が現れた。現道の狭隘部を解消し、特に積雪時の孤立化を防ぐための敷設だという。

 

さらに県道を進むと、鳥海地区に入った。

集落の中にある田に近づくと、獣害防止の電気柵が張り巡らされていた。

 

鳥海集落を抜けると、大谷川に架かる春日橋となった。橋のたもとには“大谷新そばまつり 会場まで500m”との記された看板が立てられていた。

春日橋を渡ると、「(会津)銀山街道」石神峠への分岐となり、また少し進むと大谷地区の建物が見えてきた。*参考:拙著「柳津町-三島町「石神峠」トレッキング 2019年 紅葉」(2019年11月9日)

 

集落に入りまもなく、県道脇に駐車した車が目立つようになり、濃紺の大屋根の大谷活性化センターが見えた。センターの周辺には多くのテントが張られていた。

来場者の車を誘導している係員に自転車を停めていい場所を聞いた後、自転車を置いてセンターに向かった。入口の両脇のテントでは、物販が行われ建物の右(北)に立てられたテントでは、蕎麦がゆでられていた。

短い階段を昇り、スタッフに名前を告げ、入場券代(2,700円)を支払い受付をした。

受付後、少し周辺を見て回った後、靴を脱いでセンター内に入り、スタッフの誘導で奥の座敷に向かった。客は10名ほどで少なく、『どこでもどうぞ』ということで正面奥に座った。

まもなく、給仕の女性スタッフがお茶とおしぼりを持ってきて、説明を受けた。まずは「ざるそば」から出され、その後「ざるそば」、「高遠そば」、「地鶏けんちん」を自由に選び注文するということだった。

 

最初の蕎麦は、思った以上に早く運ばれてきた。蕎麦だけではなく、天ぷらやリンゴなどが並ぶ豪華な膳だった。

大きく盛られた蕎麦は、細切りだった。まずは、そのまま食べてみた。香りは弱かったが、意外にもコシがあり風味が楽しめた。

そばつゆや濃いめだったが、蕎麦は風味を失うことなく喉を通った『これは、当たり!』と思いながら、あっという間に1枚平らげた。

 

天ぷらは春菊、椎茸、サツマイモの3種。冷めてはいたが、薄い衣はサクサクで、とても旨かった。 

 

「ざるそば」をもう1枚頂いた後、「高遠そば」を頼んだ。そば猪口の辛味大根のおろし汁は、香りから辛さが伝わるものだった。私は、金山町名物のアザキ大根のおろしが添えられた蕎麦は食べたことがあったが、おろし汁を付けるこの形は初めてだった。

おろし汁に蕎麦をつけて食べて見ると、思ったほど辛くはなく、甘みも感じられた。好みが分かれる味だったが、蕎麦の風味が違った形で感じられて良いものだと思った。

 

最後は、「地鶏けんちんそば」を頼んだ。運ばれてくれると、立ち上る地鶏出汁と醤油の香りに、食欲が復活した。蕎麦が隠れるほどに盛られた、汁がしみ込んだ細切り大根を主とする具材にもそそられた。

まずは、汁を飲んだ。旨さに笑顔になった。醤油と地鶏出汁の風味とコクが調和し、さっぱりとしながらその旨さの余韻が残る汁だった。地鶏はホロホロと崩れてはいたが、汁がしっかりとしみ込んだ大根や人参、ゴボウと一緒に食べられちょうど良かった。

そして肝心の蕎麦は、細切りのためか小間切れになってしまっていたが、コシがあるので蕎麦の食感は失わず温蕎麦として味わうことができた。この「地鶏けんちんそば」は素晴らしい逸品で、これだけを食べに「おおたに新そばまつり」に来る価値はある、と思った。

 

私が都合4食の蕎麦楽しんでいる間に、大広間の席は次から次に埋まり、10時30分頃にはほぼ満席になった。『少し間を置いてから5食め...』と欲が出たが、席を空けなければと帰る事にした。

玄関に向かいスタッフに『ごちそうさまでした』と挨拶すると、『蕎麦のゆで加減はどうでしたか?、柔らかくはなかったですか?』など聞かれたので、『ちょうどよく、とても美味しかったです』と応えた。

 

表に出ると、入口脇のテントでは、三島町の名物・会津地鶏のネギマが焼かれていた。『帰りの列車の中で食べよう』と、国産地鶏のモモとこのネギマを頂くことにした。

 

会場周辺の県道を見ると、多くの車が停車していた。大半が会津ナンバーだったが、郡山や福島、そして新潟ナンバーの車両も見られた。

 

 

大谷活性化センターを後にして、クマの出没を警戒しながら、15分ほどで会津宮下駅に戻った。

列車の到着まで、待合スペースの椅子に座り待つことにした。

11時20分頃、駅頭に観光バスが停車し、多くの人が降りて駅舎に入ってきた。ここ会津宮下駅から乗車し、「第二只見川橋梁」と「第一只見川橋梁」を中心とする車窓からの景色を見て会津柳津駅で降りて、再び観光バスに乗車して次の目的地に向かうツアー客のようだった。

11時30分過ぎに列車が到着すると、20名ほどのツアー客は2両編成の列車にゾロゾロと乗り込んだ。

私も、彼等の最後尾について乗り込んだが、この列車は会津川口発ということもあってか、各車両に数名しか乗っておらず、私は後部車両の1×1BOX席に座ることができた。

 

少し待っていると、小出行きの列車が反対側に入線した。紅葉シーズンに合わせて運行された秋の臨時列車だが、会津若松発が10時台ということもあり、車内は立客がいるほど混雑していた。 

11:42、会津若松行きの列車が定刻を過ぎて会津宮下を出発。通常、この列車は12時57分に会津宮下を出るが、この小出行きの臨時列車が運行される日は、交換ができるよう1時間以上早いダイヤに変更されていた。

 

車内では、新そばまつり会場で買った焼鳥を肴に名倉山酒造㈱のワンカップ(にごり酒)を呑んだ。焼鳥は冷めて少し硬くなっていたが、只見線で呑む地酒は旨く格別だった。

 

会津西方手前で「第二只見川橋梁」を渡った。往路ほどの冴えは無かったが、只見川の水面は水鏡になっていて、下流側は町道の歳時記橋まで良い景色が見られた。*只見川は柳津ダム湖

 

名入トンネルを抜けると、「第一只見川橋梁」を渡った。ここでも良い眺めが見られた。

往路同様に、右岸上流側の「第一只見川橋梁ビューポイント」に向けてカメラをズームにすると、立入制限されているC・Dポイントに人が居ないのは当然だったが、なんとBポイントには1人しか居なかった。この列車の運行時間が変更されているためだろうと思った。

 

会津柳津では、会津宮下駅から乗り込んだツアー客が降り、駅舎脇の駐車場に停められた観光バスに乗り込んでいた。

 

ツアー客が降りて、車内が一気に静かになった列車は快調を駆けたが、会津坂本を出発後に突入した七折峠の登坂を始めてまもなく異音が響いた。落ち葉による車輪の空転でスピードが一気に落ち、ディーゼルエンジンを細かく震わせたためだった。車体はエンジンの排気に包まれ、ノロノロと進んだ。

大沢-元屋敷-第二花笠-第一花笠と続く“四連トンネル”を抜けてまもなく登坂を終え、ようやく車内は静かになり、スピードも上がった。会津平野(盆地)と奥会津地域を隔てる七折峠は、紅葉終盤の落葉期に車輪の空転事故が多発し、時折、列車の大幅遅延のみならず運行取り止めが発生する難所。今回も『まさか、列車が止まって...』と心配したが、無事“七折越え”を終えてホッとした。

 

塔寺を経た列車は、七折峠を抜けて左に大きく曲がり会津平野に滑り込んだ。刈田と市街地の先には「磐梯山」の稜線が見えていた。

 

ただ、若宮を出て会津美里町に入った列車が、新鶴手前で警笛を大きく鳴らした。『何事かっ⁉』と思い、外を見るとパトカーが停まっていて、スピードを大きく落として滑り込んだホームには、透明な防護盾を持った警官が周囲を警戒しながら、1人の客を列車の乗車扉の前に誘導していた。

この時は、この新鶴駅で何が起こっていたのか分からなかったが、後刻スマホでニュースを見て合点。何と、駅構内のみならず、ホームでクマが目撃されたという。“午前8時すぎ”ということは、私が乗っていた往路の列車で、あの時の異常な警笛はこの事だったと思い、今年のクマ出没の異常さを実感した。

 


13:05、列車は、七折峠での車輪空転などの影響で、20分近く遅れて会津若松の3番線に到着。

磐越西線・郡山行きが入線する1番線ホームから、“只見線の定位置”である4番線見ると、小出行き(13時5分発)の列車が発車を待っていた。2両編成の車両は、双方とも満席に近い状態だった。

 

14:36、郡山に戻り、今日の只見線の旅を終えた。駅舎上空には雲が広がっていたが、雨は降っていなかった。

 

 

(了)

  

  

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

  

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