私の体を通りすぎたもの
体重はものすごい勢いで増えている。服ははち切れそうにムチムチだ。どうしてこれほど太ったのか。理由はわかっている。食生活がだらけていき、「焼肉を食べる」ことが日常的になったからだ。肥満というのは、精神と深く結びついている。そう、以前お話した“焼肉事件”は、私の心と体に大きな傷を残したのね…。
しかしグレイのような、薄いブルーのような美しいそのコートを、私はあるファッション誌のグラビアで見てしまった。モデルさんが着て、森の中に立っている。洋服が欲しいというとき、人は頭の中でモデルさんと自分とが入れ替わってしまう。
ショップで試着したら、店員さんは「お似合いですよ」と誉めてくれる。自分でもそう思った。ひと目惚れの気持ちは強い確信へと変わり、包んでもらい帰路につく。
ショップで見たときはすごく可愛かったのに、家できてみたら、ほうきにのったヘンな魔法使いになってしまった。これにはつい笑い出してしまった私である。いや、全く笑いごとじゃない。浮かんでくるのは「人間と肥満について」という、トレーニングの先生にこんこんと説明される図である。
さすがの私も心を入れ替えた。少しでも励みになるようにと、体重のグラフをつくることにした。しかし、壁に貼る段階で私は躊躇してしまった。もちろんここは玄関口からは離れているので、宅急便のお兄さんに見られることはない。友人もこちらの方にはやってこない。だからグラフを見るのは私ひとりなのだが、それがどうしても恥ずかしいのだ。
もし私が事故などで帰らぬ人になったら、このグラフはどうなるのだろう。記録好きが仇となって、自分の恥を世間にさらけ出すことになるかもしれない。私は左側の単位を消して、線だけが見えるように書きかえようとしたが、それではあまりやり甲斐がないような気がする。単位が明確でない記録など、人の心に何の影響もあたえないにきまっているではないか。
いろいろ考えた結果、私は壁に貼る方式をやめて、ノートに書きつけることにした。このノートは普通の大学ノートを使い、人の興味をひかないようになっている。これならば、私にもしものことがあっても、すぐに他人に発見されることはないだろう。
このように私は、記録ということに気を使っている。それはなにも私の体重ということに限らない。よくマナーの本などで、名刺をもらったら、その人の特徴を裏に書いておきなさいとあるが、それはとても失礼なことではないだろうか。
「ハゲ。はなはだ顔色悪し。胃でも悪いのか、ときどき気持ちの悪いゲップをする」
などということが名刺の裏に書いてあったらどうだろう。何かの拍子に見られたら、大変なことになるのは当然だ。
人はなぜ記録を好むのか。答えはいわずとも知れている。すぎていく日々をひきとめておくためなのだ。たとえば、ダイエットをした日々を考えてほしい。野放図に食べていると、あっという間に時間はすぎるのに、記録をつけて自分の体を整えようとすると、信じられないほど時間はスピードを落とすのだ。
さて、ダイエットを成功させるにあたって、これがいちばん重要なことであるが、目標をもつということである。それもごく近い卑小なことの方が効果がある。すんごい変化を遂げて、女優になるなどと大それたことを考える人はいないだろうが、女の人はただ漠然と「キレイになりたい、変わりたい」と考えることが多いようだ。これは挫折しやすい。
友人の結婚式に出るためとか、就職するのをきっかけに、というのもなんかいまひとつパワーがわかない。やはり奇跡的変化を遂げる、我ながら惚れ惚れするほど努力の人となる、といったらやはり恋であろう。
ダイエットがうまくいく、嬉しい、おしゃれをしまくるという三つが三位一体となって、女性のエネルギーは全開になる。そしてロマンティックなことが起こるのだ。乱暴な言い方をすれば、女性の人生はこれで決まることになる。
残念ながら、ここ数カ月の間に私の形はかなり変わっている。クローゼットの中で、おべべたちは袖を通されることなく眠り続けているわけだ。これから先、私たちの距離は広がるばかりであろう。
物言わぬ洋服が情け容赦なくメッセージを突きつける「私に近づいてくるんだったら、相当のレベルじゃなきゃダメよ」
私は心の中でわびた。洋服たちよ、安逸に走った私を許してほしい。これから少しずつ仲を修復しようではないか。私は皆に約束しよう。まるで職人がのみをふるうように、自分のボディをコツコツとつくり上げていくと。
いや約束ではない。私は希望したのだ。希望といのは、約束のように人を縛らないけれども、もっと強い力を持つこともある。
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