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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

今日はフレデリックの誕生日。そして、わたしのこと、

2019.03.01 06:15

こんにちは、ご訪問ありがとうございます。毎日ブログを更新しています。私はピアニスト

の宇野由美子です。

今日はショパンの誕生日ですね。ショパンのお話を綴る手を休めて、今日は少しおしゃべり

したいと思います。

このブログはショパンの残した実際の言葉や歴史を読み解き、事実に基づいて私の解釈

で物語を綴っています。

そのため、ショパンの側から見た表現になることが場面場面で起こりますが、私は、その他

の作曲家の名誉を損ねる意図はございませんのでどうぞご了承願います。

今日は、ショパンの誕生日にちなんで、私の話をします。私は6人家族の次女として生まれ

ました。私は姉と2才違いで、ふたりは性格も全く違うため親からは別々のことをそれぞれ

言われて育ちました。

私はピアノを小さなときから習っていましたが、ピアノのガリ勉タイプでありませんでし

た。私はピアノを練習しながらも家のために多くの時間と労力を割きました。

家族がバラバラにならないように仲裁に入ることも私の大事な役目でした。

祖父は私が7歳のときに亡くなりました。祖父とは暮らした時間は短かったけれど、ショパン

のお話にも出てくるニコラスのように道徳心を祖父に教えられたと思います。

私たち家族は4人家族だった時期があり、その期間は10年ほどありました。そして、祖母

を含めた5人家族の時代が長く続きました。

私は子供の頃から家の中が明るくなるよういつもいろいろ試みました。家族の中で誰かひと

りが悲しんでいることがないように私はひとりひとりの表情を注意深く観ているような子供

でした。これはいい意味で、私の役割はムードメーカーとでも言いましょうか。

父は仕事で忙しいことが殆どでした。私は母の家事や母の心配事にいつも寄り添ってき

ました。

ショパンのお話の場面にも、ショパン家の家族の絆がさまざまな形で出て来ますね。

また、ショパンは孤独に苛まれたりと辛い時期を経て、今、お話は1836年のパリで、家族の

愛情に恵まれているフレデリックは離ればなれの家族に支えられながら、様々な人間関係に

悩みながらも作曲家として大成しようと歩んでいるところです。

では、明日からまた、私のブログ「パリの音色」でお会いしましょう。

よろしく応援お願い致します。(*^_^*)