「persona rondo(ペルソナ ロンド)~とある患者のカルテ~」
「persona rondo(ペルソナ ロンド)~とある患者のカルテ~」
作:九条顕彰
△はじめに…
こちらは声劇台本となっております。
この作品は著作権を放棄しておりません。
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コピー・ペースト等での無断転載、自作発言、二次創作はおやめ下さい。
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※YouTube等での録音した音声投稿(シチュエーションボイスや、ボイスドラマとしての音声投稿)や有償での発表(舞台での使用等)に関しては、作者の方に相談してください。
物語の内容にそっていれば、セリフアレンジ・アドリブは自由です。
ネット上での上演の際、台本の使用報告はなしでも構いませんが、なにか一言あるととても励みになります。飛んで喜びます。
ただし、大幅なセリフ改変・余計なアドリブを多く入れることはおやめ下さい。
〇上演時間:約70分~80分
〇story
「さあ、一緒に、踊りましょう?ここが私の、仮面舞踏会(ぶたい)よ。」
〇比率:2人
男1、不問1
〇登場人物
・スペンサー医師(男):30代。解離性同一性障害の患者を持つ精神科の医師。
・サロメ(不問):解離性同一性障害を持つ患者。見た目は性別が分からないほど、美しい。おそらく青年、基本、身体の状態は女性。サロメが主人格。
★ほか、サロメの人格↓
・ルル:気弱な少女(少年)
・ラガー:サロメより大人な感じの人格。飄々な感じ。
・ジョーカー:乱暴者。青年。
・カラス:サロメの親的存在の人格。
・シャドウ:性別も年齢も不明の人格。つかめない性格。
※すべてサロメ役の方が兼ねてください。
〇役表
・スペンサー:
・サロメ:
〇参加企画〇
昭和レトロキネマ企画・声劇台本・テーマ『秋🍁』
——本編セリフ——
スペンサー(M):これは私、アレックス・スペンサーが、彼…いや、彼女と過ごした、とある秋の話。
サロメ(タイトルコール):「persona rondo(ペルソナ ロンド)~とある患者のカルテ~」
———タイプライターをたたくスペンサー医師
スペンサー(M):1963年10月22日。…日本(にっぽん)でいうところの、昭和38年…といったところか。ここはイギリス、ロンドンの郊外に位置する街、イーストエンド。私はここで精神科医をしている、アレックス・スペンサーだ。この記録は、とある患者のカルテ、および日誌として、ここに記しておく。
———スペンサー、少し考えこみ、またタイプライターを打つ
スペンサー(M):…あれは去年の…ちょうど今日、10月22日だった。「暴行を受けた記憶喪失の日本人」を保護したとの連絡が入り、患者として受け入れた。日本人特有の童顔で、容姿端麗だったが、顔や体には無数の暴行された痕(あと)があり、どうやら、質(たち)の悪い人買いに拉致・監禁されていたところを、警察の手によって保護され、私の病院に回されたのだった。調べてみると、自分の名前はおろか、生まれた場所、誕生日など、自分のことについては一切覚えていない様子だった。幸い、英語だけはわかるようで、会話することに支障はなかった。記憶が戻ることを願っていたが、名前がないのは不便だと思い、私が勝手に呼び名を付けた。…以降、彼、いや、彼女…?…性別の呼び方が難しいな。…今は、「彼」という事にしょう。彼を「サロメ」と呼ぶこととする。先ほど、「性別の呼び方が難しい」といったが…そのあやふやな言い方の理由を、これから説明するとしよう…。
———時はさかのぼり、1962年、10月23日。サロメの病室にて。
スペンサー(M):私が彼の「症状」に気が付いたのは、次の日の事だった。
———ノック音。
サロメ:…はい。
スペンサー:私だ、スペンサーだ。今、入ってもいいかな?
サロメ:っ!先生!どうぞッ!
スペンサー:やあ、おはよう、サロメ。調子はどうかな。
サロメ:先生、おはようございますっ。調子は、昨日よりはだいぶ良いです。
スペンサー:そうか、よかった。それにしても…この痣、残らないといいが…。…人買いの人間たちに、とてもひどい仕打ちをされてきたんだね…。
サロメ:そう、ですね…。…できれば、もう思い出したくありません…。
スペンサー:…すまないな…。辛い記憶を思い出させてしまったか…。
サロメ:いえ、大丈夫です。みんな、そばにいたから…。自分の記憶は…自分のことは忘れてしまったけど…。あそこにいた間、みんなに守ってもらってました。だから、どれだけ酷い仕打ちを受けても…耐えられました。
スペンサー:みんな?…それは…他の奴隷たちの事かな?
サロメ:奴隷…。
スペンサー:…いや、「奴隷」という言葉を使うのは良くないな…すまない。日本人だろうが、欧米人だろうが、関係ない。みんな平等に同じ「人間」だ。肌の色や、外見や性別などで差別するのはいけないことだな。…貧困、差別、迫害は、妬みや恨みに代わる…その怨恨が積もり積もって、醜い争いの種になるんだ…。私もいろいろ辛いことを経験してきたよ。
サロメ:えっ…。先生も、辛いことが…?
スペンサー:あぁ…私は昔、軍医をしていたんだがね…。戦争というのは、本当に恐ろしく、残酷で醜いものだ…。絶えず、息もつかせないほどの大量の血と、「死」を見なければならない…。医師として、救えたはずの命が…手の平からポロポロと零れ落ちていくんだ…まるで掬えない水のように。…「生き地獄」とは、まさにああいう事を言うんだなと、心の底から思い知らされたよ。
サロメ:…先生…。
スペンサー:湿っぽい話をしてしまったな、すまない…。まぁ、今はこうして、医者としていられることを誇りに思っているし、なにより、サロメに出会えたからね。
サロメ:…自分、に?
スペンサー:あぁ、そうさ。…サロメ、長い間、本当によく耐えたな。よく、生きていてくれたな。
サロメ:…先生…。助けてくださり、本当に、ありがとうございました。
スペンサー:いいんだよ。患者の命を救い、守るのが医者の務めでもあるからね。…それで、どうかな?少しは何か思い出せたかな?
サロメ:…思い…出す…。えっと…。…ッ…。(←頭を押さえる)
スペンサー:あぁ。何か、名前だけでも思い出せたかなと思って…。
サロメ:う、ううっ…。(←頭を押さえて苦しみだす)
スペンサー:!?サロメ?どうしたっ?大丈夫か?頭が痛むのか?
サロメ(ルル):うっ…ッ…あ…。…お、おじさん、だれっ?…ここは、どこ…?
スペンサー:は…?な、何を言ってるんだ、サロメ?
ルル:うわああっ!こ、こわいよぉっ!!こわいよおおおっ!!おじさん、だれ!?ねぇ、ここどこ、どこなのぉ!?
スペンサー:!?おっ、落ち着いて、落ち着きなさい。大丈夫だ、大丈夫だから、ね。ゆっくり、深呼吸して。吸って、吐いて…。
ルル:…っ…う…うん。…すぅー…はぁー…。
スペンサー:そう…そうだ、ゆっくり…。
ルル:すぅ―…はぁー…。
スペンサー:…よし、いい子だ…。落ち着いたかい?
ルル:…う、うん…。おち、つい、た…。
スペンサー:では、よく聞くんだよ?ここは、「カサブランカ精神病院」、どこよりも安全な場所だ。
ルル:…ぁ…あん、ぜん…?
スペンサー:そう、「安全」だ。なんにも怖いものはないよ。そして、私は、君の担当医の、スペンサーだ。
ルル:…たんとうい?…たんとういって、なぁに…?
スペンサー:えっと…そうだな。簡単に言えば、「医者」だ。私はこの病院のお医者さんだよ。
ルル:…おいしゃさん?おじさんは、おいしゃさんなの?
スペンサー:ああ、そうだよ。…サロメ、一体、どうしたんだ?なんでいきなり、言葉遣いが幼くなって…。
ルル:さ、ろめ…?ボク、「サロメ」じゃないよ。ボクの名前は「ルル」だよっ。
スペンサー:…ルル?それが君の名前なのか?
ルル:そう、ボク、ルル!…でも、ここ、病院なら…ボク、「びょうき」なの?
スペンサー:いや、病気…というか…。…君は、私をからかっているのか?
ルル:え!?か、からかってなんかないよおっ!?な、なんで、そんなこと言うの?…せ、先生、もしかして、お、怒ってる…?
スペンサー:お、怒ってない、怒ってないよ、大丈夫だ。…ただ、なんというか…。ルル、ちょっと質問してもいいかな?
ルル:…お、怒らない?
スペンサー:大丈夫、怒ったりなんかしないよ。ルルは先生が怒ってるように見えるかい?
ルル:…ううん。見えない…。
スペンサー:じゃあ、先生の質問にちゃんと答えられるね?
ルル:うんっ!
スペンサー:…君は今、幾つだい?
ルル:ボクは、えっと、いまは10歳だよっ。
スペンサー:!?…じ、10歳…?
ルル:そう!10歳!
スペンサー:…。
スペンサー(M):驚いたことに、「ルル」と名乗るその「人物」は、目の前の「サロメ」の実年齢とは、あまりにも差がありすぎた…。記憶喪失で本当の年齢はわからなかったが、外骨格から見ても、サロメの年齢はおよそ、18~20歳前半。すでに立派な大人だ…「大人」のはずなのだ…。彼の口から出た「10歳」という答えに少し動揺したが、私には今の「サロメ」がふざけているようにも、ましてや嘘を言っているようにも見えなかった。その時、私はある一つの「可能性」を思い浮かべていた。
スペンサー:…サロメ…。君はずっと、「みんなに守られている」と言っていたが…まさか…。
ルル:?だから、ボクの名前、「ルル」だよ?
スペンサー:あ…。あぁ、ごめんな、「ルル」。もう一つ質問してもいいかな?…君には他に、「友達」はいるのかな?
ルル:ともだち?
スペンサー:そうだ、「友達」だ。
ルル:う~んと…いる、けど…。勝手に紹介していいのかな…。
スペンサー:…いるなら、ぜひ教えてほしい。先生は、ルルとも、ルルの「友達」とも仲良くなりたいんだ。
ルル:…うん、わかった。でも、明日でいい?
スペンサー:明日?…どうして「明日」なんだい?
ルル:ルルはね、もう「寝る時間」なの。だから、明日にしてほしいな。
スペンサー:…そうか、わかった。ゆっくりおやすみ、ルル。
ルル:うんっ。おやすみなさい、せんせい…。
スペンサー(M):そう言って、目を瞑る「ルル」。だが、次の瞬間に目覚めたのは、「ルル」ではなかった。
サロメ:……んっ…。…あれ、すみません、先生。自分、話の途中で寝てましたか…?
スペンサー:は?…さ、サロメ…?君はサロメか?
サロメ:…?はい、そうですけど…え?な、何かありました?
スペンサー(M):サロメは、「ルル」という人物になっていた時の記憶が、一切なかったのだ。
スペンサー:…サロメ、急ですまないが、明日から君に、ちょっとした治療を行いたいと思う。
サロメ:治療?
スペンサー:ああ。治療だ。大丈夫、痛いことはないから、安心して私を信じてほしい。
サロメ:…わかりました。自分は、先生を信じてます。
スペンサー(M):そう言って、優しく微笑むサロメ。…サロメに詳しい治療法を話さなかったのは申し訳なかったが、きっと詳しく話したら、今のサロメでは、精神が持たないだろうと思った。私はサロメに「催眠療法」を試し、サロメの中に、いったい何人の「人格」が眠っているのか…知りたかったのだ。サロメはおそらく、「解離性同一性障害」、いわゆる「多重人格障害」の疑惑が出てきた。サロメの記憶喪失も、「人格」の誰かが、サロメの辛い記憶を隠すために、記憶操作をしているに違いない…そう思った。これまでにたくさんの患者を診てきたが、サロメのような「ケース」は非常に稀で、もし仮に「内なる人格」の誰かによって、彼自身の記憶を操作されているなら…その真相を突き止めたかったのだ。そして、この病院で初めてとなる「解離性同一性障害患者に対する催眠療法」が行われようとしていた…。
———次の日…。
サロメ:…先生、この治療…本当に寝てるだけでいいんですか?
スペンサー:あぁ、そうだよ。そのままリラックスして、私の言葉だけに耳を澄ませて…。
スペンサー(M):次の日、いよいよサロメへの「催眠療法」が始まった。
スペンサー:それじゃあ、サロメ。そのまま、目を閉じて…。
サロメ:…はい。
スペンサー:今は私の声だけに集中していて。
サロメ:わかりました。
スペンサー:いいかい…。こう想像するんだ。君はふわふわと、広い海の水面(すいめん)に浮かんでいる…。空には綺麗な星空が広がっていて、夜であることが分かる。水は不思議とあったかくて、とても心地よい。…サロメ、君はその水に浮かんで、だんだん眠たくなってくる…。
サロメ:…あったかい、水の中…。
スペンサー:そう、怖がらなくて大丈夫、私もそばにいるからね。水の流れに任せて。そしてどんどん、水の中に沈んでいくのをイメージして。沈むけども、ちゃんと息はできるし、むしろ暖かいものに包まれて、心地よくなってくる。
サロメ:…あ…からだが…沈んでいく…。先生の言う通り…とても…心地いいです…。
スペンサー:いいよ…そのまま、どんどん沈んでいって…。深く底まで行くまでに、君は眠くなって、だけど意識だけは起きている状態になる。起きた時には、ここでの私との会話は忘れてる…いいね?
サロメ:…はい…。すごく…眠たい…。
スペンサー:眠っていいよ、サロメ。
サロメ:…はい、せん、せ…。
スペンサー:…沈んだね…。よし、サロメ、いまから、君の心の中を見てみるよ…。
サロメ:…はい…。
スペンサー:…サロメ、君は前に、「みんなそばにいる」、「守られている」と言っていたね。
サロメ:はい…。
スペンサー:あの時は、奴隷市(どれいいち)で一緒に幽閉されていた子達のことかと思ったが、それはちがうね?…君をそばで守ってくれている人が誰なのか、教えてくれないかな…?
サロメ:……。
スペンサー:サロメ…?
サロメ(ラガー):やめなっ!
スペンサー:…!…サロメ?
ラガー:ちがう、この子の名前は「サロメ」じゃないよ。この子は、「アタシたち」のことを、あの人買いのところで「一緒に幽閉されていた子」だと思っているんだ。あの頃の、辛い日々を、思い出させないでおくれ。
スペンサー:その声…口調…。君は「ルル」じゃないね?…君の名前は?
ラガー:…アタシは…ラガー。この子達を守り、「まとめてる者」さ。
スペンサー:…ラガー。なるほど、君が「まとめ役」か…。君はさっき、「この子達」といったね?…君の他にも「人格」がいるのかい?
ラガー:ふん…「人格」ねぇ…。アタシらの事をどう呼ぼうが構わないが、「人格」と一括りでまとめられることは気に食わないな…。アタシも「ルル」もそうだ。アタシら一人ひとりには、「人格」でなく、ちゃんとした「個性」がある。それにアンタ、「この病院の先生」なんだろ?「ルル」から聞いたよ。この子を助けてくれたことには感謝してるけど、これ以上余計な詮索するなら、こっちにも考えがあるよ。
スペンサー:あ…あぁ、そうだな。すまなかった、ラガー。医師として、一人の人間として、君たちの「個性」をちゃんと尊重するよ。だから、話してくれないか?…君たちの「仲間」が何人いるのか…。
ラガー:ふん…。この子にこんな「実験まがい」なことをしておいて、素直に答えると思ってるのかい?
スペンサー:…それについては申し訳ないと思ってる。ただ、わかってほしい。君が、ラガーが「この子」を守ろうとしているのと同じく、私も医者として「この子」を守りたい、助けたいと思ってるんだ。だから、頼む。
ラガー:はぁ…わかったよ。アタシが認知していて、管理している限りでは「この子」の中には「二人」いる。「ルル」と「カラス」ってやつだ。
スペンサー:「カラス」?それは日本語かな?
ラガー:そうだね、こっちでは「クロウ」って言えばわかるかな?
スペンサー:なるほど、カラスね…。
ラガー:アタシよりも、「カラス」の方が「ほかの奴ら」について詳しいから、なんなら「カラス」に変わろうか?
スペンサー:…!そうなのか?なら、お願いしてもいいかな。…私も詳しく知りたいんだ。せめて、「この子」のけがや心の傷が治ったら、生まれた場所へ、故郷へ帰してやりたいんだ。…人買いに攫われ酷い仕打ちを受けて、その上、帰る場所も、家族もわからないままのは、あまりにもかわいそうだからね…。
ラガー:…ふん、わかったよ。…先生、一つ約束しておくれ。「この子」を必ず助けるって。
スペンサー:あぁ、もちろんだ、約束する。
ラガー:じゃあ、変わるよ…。
————ラガー、カラスと入れ替わる。
カラス:…僕を呼んだのはあなたですね?
スペンサー:…!…あぁ、そうだ。私はアレックス・スペンサー。この精神病院の医者だ…。
カラス:ふふ、そんなに固くならないでください、アレックス先生。僕は「みんな」の、いわば「親的存在」です。
スペンサー:「親」…なるほど…。道理で、ほかの子達よりしっかりした話し方だ。
カラス:お褒めの言葉、ありがとうございます。ふふ、こんな事をラガーが聞いたら嫉妬されてしまいますね…。
スペンサー:…ラガーは…先ほどの、「みんなをまとめている」という?
カラス:まあ、表向きはね?実際、裏で「全員」をまとめているのは、この僕です。
スペンサー:裏?…という事は君が…。カラス、私の言葉は、他の者には聞こえていないのかな?
カラス:ええ、「今は」聞こえてません。僕がそれを止めているから。もちろん主人格の「サロメ」にも。
スペンサー:…自らの意思で、全員への記憶の共有を遮断している、ということかい?
カラス:そういうことです。だから今は、先生の聞きたいことを好きに聞いてください。
スペンサー:…では…遠慮なく聞こうか…。まず、この子の、「サロメ」の本名は?
カラス:すみません、それは言えません。
スペンサー:なぜ?さっきは聞いてもいいと…。
カラス:ええ。けど「なんでも」とは言ってません。…この子は、「本名」で呼ばれているときからずっと、酷い目にあってきました。辛いことから逃げるために生まれたのが「僕たち」です。
スペンサー:!!…そうか、本名を思い出す、イコール、奴隷市の人間たちに「されてきたこと」を思い出して、精神が壊れてしまう…ということか。
カラス:えぇ…。けどそれ以前から…この子はひどい目にあってきました。この子は、実の親に売られたんです。借金の肩代わりに。
スペンサー:なっ!?
カラス:あの奴隷市に売られる以前、この子は両親から酷い虐待を受けていました…。父親からは性的虐待を、母親からは暴力を…。そのときに、親の代わりに寄り添うために、一番初めに「生まれた」のが「僕」でした。ラガー達は、奴隷市に売られた時に生まれてきたので、どちらかというと「親」というより「兄弟ポジション」ですかね。だから、たとえ精神科医の先生でも、「この子」の本名は教えられません。間違って名前を呼んでしまって、色々思い出されたら、それこそ本当に「この子」の精神は崩壊してしまいます。
スペンサー:…そうだったのか…。なら、今は本名を聞くのはあきらめよう。それが、「サロメ」のためになるなら。
カラス:ええ、そうしてください。それに、この子はあなたがつけてくれた「サロメ」という名前を、とても気に入っていますよ。
スペンサー:…それなら良かった…。しかし、カラス…君の笑顔はまるで、人を殺すような笑顔だね…。笑ってるのに、なぜか刃物のような冷たさを感じる…。
カラス:ふふ、そうですか?これでも普通に笑っているつもりですが。
スペンサー:…まあ、それはいい。では違うことを聞こう…。そうだな…この子の中にあと「何人」いるんだい?
カラス:ふふ、率直な質問ですね。…僕が「把握してる」時点では…僕を含め「5人」です。
スペンサー:…5人?
カラス:ええ、僕、ラガー、ルル、そして…暴れん坊の「ジョーカー」と無口な「シャドウ」。
スペンサー:暴れん坊と、無口…?
カラス:「僕ら」の間ではそう呼んでます。シャドウは何を考えているのかわからない子です。口数も少ない、話しかけても無駄でしょう。…だけど、ジョーカーは…。
スペンサー:…カラス?
カラス:先生、忠告です。ジョーカーだけは決して「起こしてはいけません。」
スペンサー:どういうことだ?
カラス:さっきも言ったでしょう、「暴れん坊」だと。実際、ジョーカーはこの子が監禁中、人買いの人間を少なくとも「3人」、殺してます。まあ「あくまで」正当防衛ですが。僕でも、ジョーカーの暴走を止められませんでした…。
スペンサー:な、なんだってっ?!人を殺した!?
カラス:ええ。けど、わかってください、先生。殺しは「ジョーカー」がやったことで「サロメ」自身が望んでやったことではない、ということを…。
スペンサー:あ、あぁ、わかっているっ…わかってはいるが…。もしサロメが…人を殺したなんてことを思い出したら…。
カラス:だから、そのことを思い出さないように僕がサロメの記憶に「鍵」を掛けました。サロメの心を守るために。
スペンサー:…!?…やはり君だったのか。記憶喪失の原因は…。
カラス:ふふふ、「原因」だなんてひどい言い方だな…。「サロメの心を守った」と言ってほしいですね。…サロメのためを想ってやった事です。それに、たとえ殺人の場では「別人」になっていたとはいえ、自分の手で人を殺した、なんてこと思い出したら…この子は自分を守るために、また新たな「人格」を生んでしまうかもしれない。そうなったら、ラガー達にも、僕にも、きっと止められないでしょう…。そうなった時は…先生。あなたがきっちり「始末」をつけてくださいね。
スペンサー:し、始末?…どういう意味だ?
カラス:そのままの意味ですよ?ふふふ…。
スペンサー:…わかった。その時は私が「始末」をつけると約束しよう。
カラス:その言葉…しっかりと覚えましたからね。さて…そろそろこの子の体力も限界です。僕は「みんな」を連れて深く眠ります。どうか、くれぐれも「起こさないよう」に、お気をつけて…。
スペンサー:…ああ、わかった…。
————目を閉じるカラス。主人格のサロメに戻る。
サロメ:…んん…。…あれ…せ、んせい…。
スペンサー:あぁ、目が覚めたかい、サロメ。
サロメ:せんせい…。なんだろう…なんだか、とても長く眠っていたはずなのに、凄く疲れました…。それに、何か…変な夢を見たような…。
スペンサー:…!…なに、ただの「夢」だ、大丈夫だよ。長いこと、よく治療に耐えてくれたね、サロメ。さあ、今日はもう病室に戻って休もう。立てるかい?
サロメ:…はい、先生…。
スペンサー(M):サロメを支えながら、病室へ戻っていく道すがら、私は「カラス」の言った助言や、含みのある言葉の数々を思い出し、考え込んでいた。今日の治療で分かったことは、サロメの中には起こしてはいけない「人物」がいること、そして、思い出させてはいけない記憶があること。…サロメを無事に「日本(にっぽん)」へ帰してやりたい、その気持ちとは裏腹に、サロメを自分のそばに置きたいという気持ちが、ふつふつと沸き上がってきていた。…この気持ちは何なのだろうか。…私はまだ、この感情に気づいていなかった。
————次の日。
サロメ:あの…先生、今日は「治療」はやらないんですか?
スペンサー:あ、あぁ…。昨日、長時間頑張ったからね、今日はお休みだよ。
スペンサー(M):正直に言うと、私は、サロメへ再び「催眠療法」を行うことが怖かった。いつ、「ジョーカー」という「人格」が出てきて、暴れ出すかわからない。「カラス」の言葉が頭をよぎり、サロメへの警戒がより強くなっていた。
スペンサー:…。
サロメ:…?先生、どうしました?
スペンサー:…え…?
サロメ:なんか…今日は先生、ぼーっとしてるような…。何かありました?
スペンサー:そう、かい?気が付かなかった…。あはは…仕事の疲れが出たのかな…。すまないね、こんな姿を見せて…。
サロメ:いえ、それはいいんです。ただ…先生が心配で…。
スペンサー:…大丈夫だよ、心配させてしまったね。
サロメ:…先生…。
————サロメ、スペンサーの手を取り、優しく握る。
スペンサー:…!?サ、サロメ…?
サロメ:…先生が落ち込んだ時、慰めたくても…自分は口下手だし…。…こういうことしかできないから…。
スペンサー:…いいんだ、いいんだよ、サロメ。私は大丈夫だから…。
サロメ:…先生を支えたい…。自分、先生が好きです。
スペンサー:っ…!
サロメ:先生…。患者が、医者に恋しちゃ…いけませんか…?
スペンサー:…サロメ…それは…。
サロメ:…ダメ、ですよね…。すみません、こんな事言って…。今の、忘れてください…。
スペンサー:あぁ…そうだな…。まずは、君の治療が先だ…。
サロメ:…はい…。
スペンサー:…君の記憶が戻って、怪我が治ったら、さっきの「告白」に、きちんと返事をしよう。
サロメ:…え…そ、それってっ…。
スペンサー:だから、一刻も早く治さないとな?君の言う通り、今はまだ僕たちは「医者と患者」だからね?
サロメ:…っ!は、はいっ…!自分…いや…私、頑張って治します!…き、記憶もっ…頑張って取り戻しますっ!
スペンサー:ふふ。あぁ、そうしてくれ、サロメ。
サロメ:は、はいっ。
スペンサー:そういえば、もう10月25日か…。もうすぐハロウィンだね。
サロメ:はろ、いん?
スペンサー:ハロウィン。子供たちがお化けの格好をして、家々(いえいえ)を回ってお菓子をもらう、お祭りだ。
サロメ:お祭りっ!初めて聞きました!
スペンサー:あぁ、そうか、日本にはない行事だったな。…ハロウィンの日は、この病院で、毎年恒例のダンスパーティーが開かれるんだが、その時に、一緒に踊ろう。
サロメ:え…?でも、私…多分…その時はまだ、記憶も…。
スペンサー:大丈夫だよ。ハロウィンの日はね、ここの患者と病院のスタッフたちとの交流の日でもあるんだ。
サロメ:!!
スペンサー:だから、ね。この事は僕ら二人だけの秘密だよ。サロメ、「Shall we Dance?」(僕と一緒に踊っていただけませんか?)
サロメ:ぜ、ぜひっ、私で良ければ喜んでっ!!
スペンサー:ふふ、その調子なら、ハロウィンダンスパーティー当日も大丈夫だね。
サロメ:へへっ、とても楽しみですっ、先生ッ。
スペンサー:…初めてちゃんと笑ってくれたね、サロメ。
サロメ:え…そうでしたか…?自分では全然、気づきませんでした…。
スペンサー:あぁ…今までずっと、何か…気を張り詰めているように見えたからな…。
サロメ:きっと、ここが「安全な場所」だって、気づけたからかもしれません。
スペンサー:そうか、ならよかった。
サロメ:…先生、もし、私の怪我が治ったら…先生のお傍にいさせてください。私にはもう、帰るところもありません…。そもそも、帰る場所も思い出せないし…。
スペンサー:…それは、考えておくことにしよう。
サロメ:……。
スペンサー:…?…サロメ?
サロメ(シャドウ):…あなたに…この子を…救える…?
スペンサー:っ!…その声、今までの誰でもない…君は誰だ?
シャドウ:…シャドウ…。この子の、「影」…。
スペンサー:…影?
シャドウ:…カラスの言葉は…信じるな…。
スペンサー:っ!?ど、どういう意味だ!?
シャドウ:…本当に…人を、殺したのは…。
スペンサー:…何が言いたいんだ?
シャドウ:…ダメだ、これ以上は…聞かれてる…。
スペンサー:誰に?誰に聞かれてるんだ?
シャドウ:…それは…言えない…。
スペンサー:…カラスか?それとも違う「人物」か?
シャドウ:……。
スペンサー:…いいかい、シャドウ。君がこの子の「影」というのなら…。真実を知ってるんじゃないのか?この子を、助けたいから、出てきたんじゃないのか?…助けたいなら、どうか話してくれ、頼む。
シャドウ:…この子は、かわいそうな子…。(←自分を抱きしめるように)
スペンサー:?…どういうことだ?
シャドウ:…この子の親は、男の子が欲しかった。…けど、生まれたのは、この子…。この子は生まれた時から、「いらない子」だった。…でも、この子の親は、もう、子供を産む力は、なかった。…だから、親は、この子を「男の子」として育てようとした…。カラスの言ってた、虐待の話…。あれは、全部、ホント…。
スペンサー:!?…なっ…なんて親だ…。生まれた子供に対してすることかっ…。
シャドウ:…貧乏な…貴族の家の子供に…生まれた、から…。
スペンサー:…え…。今なんて?
シャドウ:…貴族の、子供…。
スペンサー:…サロメは…貴族の家柄なのか…。
シャドウ:…そう…。
スペンサー:…ッ…ほかに、何か知っていることはッ?なんでもいい、サロメの情報を…。
カラス:おーっと、そこまでですよ、先生。
スペンサー:っ!?
カラス:ふふ、僕との約束、忘れたわけじゃありませんよね?
スペンサー:…カラス…。
カラス:はぁ…ダメじゃないか、シャドウ。無口だけが君の取り柄だと思っていたのに…。まったく君には失望したよ…。そろそろ「処分」することにしようか。
スペンサー:!?ま、まて、カラス!「処分」って、主人格でもない君にそんなことができるわけ…。
カラス:できるんですよ…僕なら、ね?
スペンサー:…まさか…。
カラス:ハロウィンダンスパーティー、僕も楽しみにしてますよ。
スペンサー:!!?
カラス:では…また。
スペンサー:まて、カラス!
サロメ:…ッ……えっ?…先生?カラスって、誰ですか?
スペンサー:!…さ、サロメ…?
サロメ:はい…?…どうしたんですか?
スペンサー:…すまない。今日は疲れてるみたいだ…また明日ね。
サロメ:先生、どうしました?私、何かしましたか?
スペンサー:…いや、君は何もしていない。君は何も悪くないよ。
サロメ:先生…。
スペンサー:…明日から、飲み薬を少し増やそう。毎日飲んで、記憶も、怪我もしっかり治そうな。ちゃんと飲むように。でなきゃ、ダンスパーティーはなしだぞ?
サロメ:っ!が、頑張ります!
スペンサー:ふふ、よし、いい子だ。では、また明日ね。
スペンサー(M):10月26日。サロメへの、解離性同一性障害者疾患用の投薬治療を開始。ハロウィンのダンスパーティーまで、残り5日間。それまで何事もないことを願った。…あの後、「シャドウ」という人格はどうなったのか…。私にはもう知るすべも、知りたくもなかった…。
————10月30日、ハロウィン前夜。薬を飲むサロメ。
スペンサー:はい、ゆっくり飲んで…。
サロメ:…んぐっ…。ぷはぁ…。
スペンサー:よしよし、ちゃんと飲めたね。
サロメ:うぅ、お薬って、苦くていやです…。
スペンサー:それは仕方ない、良薬口に苦し、だからね。それに、ちゃんと飲まなきゃ、明日のダンスパーティーはなしだよ?
サロメ:っ!そ、それはいやっ!
スペンサー:はははっ。じゃあ、頑張れるね?
サロメ:はいっ。
スペンサー:…それで、どうかな?薬を飲み始めてみて。何か、変わったことはあるかい?何か思い出したとか…。
サロメ:いえ…記憶の方は、まったく思い出せません…。けど最近、変な夢を見るようになりました。
スペンサー:どんな夢か、覚えてる?
サロメ:…私が夢の中で目を覚ますと、真っ白い空間に一人でいるんです。そこに、顔が見えない「誰か」がいて、まるで、おいでおいでするみたいに、ずっと手招きしてるんです。
スペンサー:手招き?
サロメ:はい…私は、近づきたくないのに、どうしてもその人から目が離せなくて…。勝手に体が動いて、ゆっくりと、その人に近づいていくんです。
スペンサー:…それで?
サロメ:あと少しで触れられるくらいに近づいて、もう駄目だ、そう思ったら、急に後ろから変な力に引っ張られて、その人から離されて…。そこでいつも目が覚めます…。起きると、びっしょりと汗をかいていて…夜勤の看護婦さんにはいつもご迷惑をおかけしています…。
スペンサー:…そうか…。その夢は、怖いと感じるかい?
サロメ:…わかりません…。怖いような、どこか懐かしいような…。けど、あの夢の中の人に触れちゃいけないのは、なんとなくわかるんです。もしも、あれに触れたら…。
スペンサー:…触れたら?
サロメ:「自分」が「自分じゃなくなる」ような…そんな気がするんです。
スペンサー:…そうか…。話してくれてありがとう。…そうだ、君にこれを…。
———スペンサー、大きな箱をサロメに渡す。
サロメ:え…?先生、これは?
スペンサー:いいから、開けてみて?
サロメ:は、はい…。
———サロメ、箱を開ける。中には紫色の綺麗なドレスセットが入っている。
サロメ:…っ!せ、先生!これって…。
スペンサー:ふふ、サプライズ成功、かな?怪我が治ったお祝いに、君へプレゼントだ。紫のドレスだよ。色が、似合うと思ってね…それに、明日のダンスパーティーにドレスなしじゃ、なんだかその、変だろ?
サロメ:…!先生!!
———スペンサーに抱き着くサロメ。
スペンサー:おっとっ!
サロメ:先生、ありがとう!サプライズプレゼント、とっても嬉しいっ!
スペンサー:はははっ。よかった、喜んでくれて。
サロメ:もちろんです!こんな素敵なものいただいて、むしろ喜ばないほうが変ですよ!
スペンサー:ふふふ、そうだな。君ならそう言ってくれると思った。…明日、これを着て、僕と一緒に踊ろう。サロメのドレス姿、楽しみにしてるよ。
サロメ:…!は、はいっ、先生ッ。
スペンサー(M):彼…いや、彼女の心の支えになれるのなら、何でもしようと思った。ドレスのことについては、我ながら気障(キザ)なことをしたと思ったが、彼女の最高の笑顔が見れて、とても嬉しかったのだ。そう、その日までは…。
———その晩、悪夢にうなされるサロメ。丁度、巡回中だったスペンサー。
サロメ:…うっ…い、いや…。おねがい、来ないで…さわらないで…。いや、いやっ…いやああああああああ!!!!!!
スペンサー:!?サロメ!?どうしたんだ?!
サロメ:っ…!!っ…はぁ、はぁっ…せ、んせ…。
スペンサー:大丈夫か?すごい汗だ…風邪をひいてしまう、着替えよう、サロメ。
サロメ:せんせ…ま、また、あの夢を…。
スペンサー:!
サロメ:こんどは、お、おいかけてきたんです…、わ、わたしのこと、さわろうと、ずっと…ずっと…。
スペンサー:大丈夫、大丈夫だサロメ。今は私がいる、ずっとそばにいるから。
サロメ:…ほんと…?ずっと、そばにいてくれる?
スペンサー:あぁ、約束する。…愛してるよ、サロメ。
サロメ:っ!!…うっ…うぅっ…ぐずっ…。
スペンサー:はは、泣くほど嬉しいか?
サロメ:だって、せんせい…あいしてるって…。
スペンサー:本心での言葉だ。本気で、君を愛してる、サロメ。
サロメ:…はじめて、言われました…。愛してるって、とっても素敵な言葉なんですね…。
スペンサー:そうだな、世界で一番、素敵で特別な言葉だ。だって、特別な人にしか、伝えない言葉だからね。
サロメ:…特別な、ひと…。
スペンサー:そうだよ、君は僕にとって、「特別」なんだ。…安心しろ、サロメ、僕は絶対に君から離れない…。もう、大丈夫だ…。
サロメ:…うん、うんっ…。せんせ…私も、愛しています。ずっとお傍にいさせてください。
スペンサー:ああ、いいとも。…明日は二人で楽しもう。
サロメ:はい、ダンス、初めてだけど…。
スペンサー:僕がリードするから、大丈夫だよ。
サロメ:ふふっ…頼りにしてます、先生…。
スペンサー:…今日は夜勤で、明日はダンスパーティーの始まる夕方頃に病院に行くから、ドレスを着て、待っていてほしい。
サロメ:はい、わかりました…。お待ちしてます、先生。
———サロメ、軽くほほにキスをする。
スペンサー:…ん、さあ、服を着替えて、明日に備えて寝よう。
サロメ:…先生…。
スペンサー:なんだい?
サロメ:おやすみのキスは?
スペンサー:…君は一体、どこからそういうのを覚えたんだ?
サロメ:それは…秘密、です。
スペンサー:ははっ、まったく、君には負けるよ。
———スペンサー、おでこにキスをする。
スペンサー:…おやすみ、サロメ。また明日。
サロメ:はい…おやすみなさい、先生。
サロメ:(大丈夫…先生がいてくれる…。もう怖いものは何もない…。何も、怖くない…。)
————目を閉じるサロメ。続いて起きるカラス。
カラス:…そうは…させるものか…。ふふふ、君はずっと、僕らのものだよ、「サロメ」。ふふ、あはは…。
————10月31日。ハロウィン当日。夕暮れ、病院へ急ぐスペンサー
スペンサー:…はあ、まずいな、寝過ごした…。もう始まってる頃だろうな…。間に合うといいが…。
————病院のドアを開けるスペンサー。
スペンサー:すまない、またせた……っ!?
———そこら中におびただしい血痕。患者も看護師も医師も全員、殺害されてる。
スペンサー:な…なんだ、これはっ…!!…患者も看護婦も、全員、死んでる!?どういうことだ…っ…だ、誰か!!誰か生きてる者はいないのか!?
———その時、奥のホールからワルツの音楽が聞こえる。
スペンサー:っ!!…これは…ワルツ?蓄音機の音だ…ホールの方から聞こえる…誰か、生きてるのか?…おい!誰か!!いたら返事してくれ!!…そうだ、サロメ…サロメは!?
———スペンサー院内を走る。音のする方へ向かう。
スペンサー:はぁ、はぁっ…頼む、サロメ、無事でいてくれっ…!!
———ホールのドアを勢いよく開ける。
スペンサー:サロメ!!………っ!!!
サロメ(ジョーカー):…あぁ、これはこれは、だいせんせーの登場だあ。ひゃはははっ!!…遅かったなあ、センセ?…「さあ、センセェ、一緒に踊りましょう、ここがワタシの仮面舞踏会(ぶたい)よ…」なんてなぁ!ひゃはははっ!
———そこら中、おびただしい血で汚れているホールの真ん中。血まみれのドレスをまとい、ナイフを持って、ひとり踊っているサロメ(ジョーカー)
スペンサー:さ…サロメ…?
ジョーカー:はあ!?ちげえよばぁーか!!俺は「ジョーカー」!!この体の「支配者」だああ!!
スペンサー:っ!?ジ、ジョーカー!?そんな…馬鹿な…。薬で抑え込んでいたはず…。
ジョーカー:はっ!あんな薬、効くわけねえだろうが!!てか、お前、よくも俺の事、ずっと閉じ込めてくれたなあ?
スペンサー:さ、サロメは!?あの子を返してくれ!!
ジョーカー:ひゃはははっ!!やーなこった!!やっと自由になれる体を手に入れたんだ!!…もう、誰の指図も受けねえ。カラスも約束してくれたぜっ。
スペンサー:か、カラスだと!?
ジョーカー:あぁ、そうだ。ここの病院の奴らを殺す代わりに、「好きなだけ、自由にしていい」ってなあ!!
スペンサー:!!…まさか…。
シャドウ:『…カラスの言葉は…信じるな…。』
スペンサー:あれは…シャドウのあの言葉は、そういう意味だったのか…。くそがっ!!すべてはカラス、お前が仕組んだことだったんだなっ!?
ジョーカー:ふん、今は俺が「主人格」だぜ!?カラスも、ラガーもルルも!全員俺が殺して飲み込んだ、お前の好きな「サロメ」も奥深くに閉じ込めた!!もう「サロメ」はどこにもいねえんだよ!!!
スペンサー:!?…そ、そんな…。サロメ…。
ジョーカー:さあ、残るはセンセ、アンタ一人だ…。おとなしく、死になあ!!
———ナイフをスペンサーに向けて走っていくジョーカー。
スペンサー:…なあ、サロメ…。まだ「そこ」にいるんだろ?
ジョーカー:てめえ、何言ってやがる!?サロメはもういねえんだよ!!諦めて死ねぇぇぇぇぇっ!!!
スペンサー:…私は、諦めない…私は、医者だっ!!!
———ジョーカーのナイフを受け止め刺されるスペンサー。
スペンサー:っ…ぐはッ!!
ジョーカー:っひゃはははああっ!!馬鹿が!自分から飛び込んできて刺されるなんてなあっ!!
スペンサー:…ッ…!
———刺されたまま、ジョーカーとなったサロメを強く抱きしめるスペンサー
ジョーカー:っ!?おい、触んなっ!!放せ、気持ちわりぃ!!
スペンサー:…サロメ…。すまない。もっと早くに…君が…解離性同一性障害だと…打ち明ければよかった…。君の告白にすぐに返事をするべきだった…。「君を、サロメを愛している」と、もっと伝えるべきだった…。本当に、すまなかった…。
ジョーカー:だから、何言ってんだよてめえ!!サロメはもういねえ!!放しやがれ!!
スペンサー:いるさっ!!!
ジョーカー:っ!!
スペンサー:…まだ、いるさ…。「ここ」に…ちゃんといる。なあ、サロメ…。
———ぽつぽつと涙を流すジョーカー
ジョーカー:…あ、あれ?なんで俺…泣いて…。
スペンサー:…それは、「君の涙」じゃない。…ッ…「彼女の心」だ!!
ジョーカー:っ!?う、嘘だ…。だってあいつはもう…出てこられな…っ…。
———スペンサーに刺さったナイフを引き抜き、離れるジョーカー
スペンサー:っ…うぐっ…。
ジョーカー:な、なんで、体が、勝手にっ…!?
スペンサー:あぁ、やはり、君は「そこ」にいるんだね…。
ジョーカー:…っ…サロメ…お前なのか?!どうやってでてきたっ!!?…くそ、カラスの奴、裏切りやがったのかっ!!?
スペンサー:くっ…。…この刺し傷…思ったより、傷は浅いな…。これもサロメのおかげ、か…。
カラス:違う!!僕は裏切ってない!!
ジョーカー:てめえ…じゃあなんでこの体、いうこと聞かねえんだよっ!!?
カラス:そんなの、僕にもわからないっ!!
スペンサー:…解離性同一性障害の…バグ…か。心と身体がバラバラだ……何とか、しないと……サロメが…。
———ナイフを自分の首元に突き立てるジョーカー
ジョーカー:なっ!?や、やめろよ!!なんでナイフが勝手に首元にっ!?
カラス:まさか、死ぬ気か、サロメ!!?
スペンサー:っ!?サロメ、やめてくれ!!それだけは!!
ジョーカー:ひっ…や、やめろおおおおおおおおおおお!!!!!!
———ナイフで首元を引き裂く。血が噴き出る。
スペンサー:…っ!!サロメええええ!!!
ジョーカー:ぐふっ…がはぁッ…っ!
———倒れるサロメ。必死に近づき抱きかかえるスペンサー
スペンサー:くっ、はあ、はあっ…さ、サロメっ…。
サロメ:…せ…んせ…。ご、めんなさ…。
スペンサー:いい、いいんだよ、サロメっ。もうしゃべるなっ。すぐに助けてやるからなっ。
サロメ:…もう、いい、の…。
スペンサー:そんなこと言うな、諦めるなっ、サロメ!
サロメ:……ドレス…汚しちゃって…ごめんなさ…。
スペンサー:いいよ、大丈夫だから、本当に、もうしゃべらないでくれ…傷が…血が止まらない…。
サロメ:…せんせ…。あの、ね…わたし、おもいだした、よ…。
スペンサー:!!
サロメ:…わたしの、ほんとの…なまえ…。
スペンサー:…なんていうんだ…?
沙苗:…さなえ…。真水沙苗(しみずさなえ)…。
スペンサー:…沙苗…。そうか、かわいい名前だな、サナエ。
沙苗:…先生…私の、「最期のお願い」…聞いてくれる…?
スペンサー:…っ!!…なんだい?先生にできることなら、何でも…。
沙苗:…家(うち)に…帰りたい…。
スペンサー:…っ…!…あぁ、そうだね。一緒に日本に行こう…。連れてってあげるよ。
沙苗:…わたしの、うまれたばしょは…たくさんの、自然があって…周りは、山に囲まれてるんだよ…。
スペンサー:そうか…。良い環境で育ったんだね…。
沙苗:…わ、たしの…お父さんと、お母さんは…良い人じゃ、なかったけど…。いまは、うまれてきて、良かったって、思えるよ…。先生みたいな…素敵な人に、出会えたから…。いま、とても…しあわせ、だよ…。
スペンサー:…っ…あぁ、あぁっ…。君がそう言ってくれて、私も幸せだよ…。沙苗、君に出会えてよかった。
沙苗:…せんせ…ありが、とう…。あいして…る……。
スペンサー:…サロメ…?…なあ、返事してくれ…ッ…お願いだ…目を開けてくれ…。…う、うぅっ…。私も、愛してるよ…沙苗…。
———冷たくなった唇にキスをするスペンサー。
スペンサー(M):これが、私と、とある患者との、秋の記録である。その後、カサブランカ精神病院は廃病院になり、警察はこの事件を「精神疾患患者の暴走」として処理。サロメ自身にお咎めはなかった。私も、怪我が治ったあと、他の病院へ転勤した。———後日談にはなるが、私は沙苗をきちんと埋葬するために、すぐに日本へと向かった。日本の秋は、それはそれは美しく、とある人物が言った、「黄金の国・ジパング」という言葉の通り、木々が赤や黄色、橙色に染まり、神々(こうごう)しく輝いていた。私は日本人ではないが、日本の歴史や自然を守りたい、そう思った。ここが、サロメの…いや、沙苗の故郷(ふるさと)であるからこそ。
———沙苗の骨壺を手に、日本の山々を見ているスペンサー
スペンサー:ふぅ…やっと日本についた。…ここが、沙苗の故郷なんだね。とても美しい場所だ…。できれば…生きている君と…一緒にここを歩きたかった…。さて…沙苗のお墓に、きちんと埋葬しなきゃね。
———沙苗の幻を見るスペンサー
沙苗:『先生ー!!こっちこっち!!これが紅葉(もみじ)だよ!それと、こっちが銀杏(いちょう)!あれは枯れてるけど、桜っていって、春になると綺麗なピンク色の花をさかすのっ!それとねっ…———。』
スペンサー:っ!…ははっ、幽霊を見てしまったようだな。…ああ、今度はちゃんと、日本に観光に来たいな…。その時は、案内してくれよ…サロメ…。
スペンサー(M):昭和38年、イギリス人の私は、一人の日本人に恋をした。彼女は明るくて、美しくて、笑顔が素敵な女性。名前は、真水沙苗(しみずさなえ)。今でも忘れられない、私の、大切な人…。
ーおわりー