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純粋観照でモノをみること

2019.03.01 01:38

人には目があるから、

何でも見たもので正確に認識できると考える人が多い。


でも、実際には、

物事をありのままに観ることができず、

判断ミスをおかしてしまうことがある。

  

例えば、

ここにひとりのヤクザの親分がいます。

このヤクザの親分に対するまわりの認識は異なります。  


刑事の場合。

こいつは悪だと。

地域で問題を起こす否定すべき悪人に見えるでしょう。  

しかし、子分には、刑事こそが悪で、対象は面倒見のよい親分に映ってみえます。

(場合によっては、命を賭けたい恩人にも見えるかも)  


妻の場合。

短気で世間的には悪ではあるが、

豊かな生活を与えてくれるよい人に映るでしょう。   

幼い娘には、欲しいものを買ってくれる優しい父親に映ってみえる。  


また、友好関係のヤクザには、義理に厚いよい親分に映って見え、

敵対するヤクザには、うっとおしい嫌な男に映っている。

  

さらに、近所の人。

差別観念が少ない人は、それほど気にならず、

嫌悪が強烈な人は、ヤクザというだけで生ゴミを見るように嫌うでしょう。  


このように、

ひとつの対象に対して、それを認識する観念やエゴによって、

全く違う映し方をしています。  



刑事は、法的観念によってのみ、見つめるので悪と認識し、

幼い娘は、自己に優しいという観点から良き父と見て、  

友好団体のヤクザは、自己の利害関係によって敵味方と振り分ける。  


つまり、

自分にとって対象がどうであるか「エゴの介入」で真実が見えなくなる。


純粋観照とは。

それは、エゴや観念を超え、真理で物事を正確に見つめることを意味します。


ソースや醤油をつけすぎたり、

味の濃いものを食べると、

素材本来の味がわからなくなるように、

自分のエゴ、固定観念、先入観、過去の経験が

対象をありのままに見ることへの邪魔にならないように、

自分自身を出来るだけ清めておこう。