さいごのよる
もし今、軽い文章が読みたい気分の方がいたら、飛ばしてくださいね
役者という立場を経験しているからなのか、
“生と死の境目”に触れた日の記憶を
どうしてもどこかで言葉にしておきたかった・・・という気持ちがあり、
残しておきたいと思い書いています。
私にとって特別な夜の記録です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
姉との最期の時間のこと、
病室で過ごした数時間のこと、書いておきたく。
もちろん特別な時間だったけど、同時に、不思議なくらい日常の延長に思えて、
怖いくらい穏やかな夜だった。
けれどその夜、たしかに私はひとつの命が終わる瞬間を見届けた。
きっと一生忘れない時間。
その日、仕事中に母から着信があった。
折り返しながら「父が倒れたかな」と予感していた私に、
母は、姉が施設で倒れて救急搬送されたと伝えた。
あまりに意外で、「えっ!?」と思わず声が出たのを覚えている。
動転する母の声を聞きながらも状況は掴めず、
「とにかく病院に行く」とだけ言って電話を切った。
病院に着いた時には、両親はすでに説明を受けていた。
「諸々の処置をしても、意識が戻る可能性はほとんどない」と言われたらしい。
そして父と母は、「何もしない」選択をしようと思うがいいよね?と尋ねた。
正直、反対する理由はなかった。
痛い思いをさせるより、静かに見送ってあげようと。
万が一目を覚ます可能性…もよぎらなかったわけじゃないけど、
姉がこれまで背負ってきた人生を思えば、その決断に迷いはなかった。
その夜、病室に泊まるのは私になった。
苦しそうな呼吸音を聴きながら、時間がただ静かに過ぎていく。
遅い時間だったけど、眠れるはずもなく、機械の音だけが独特のリズムで響いていた。
じっとしていると何かに飲み込まれそうで、
私は芝居のレッスンで使うミサンガを編み始めた。
タモリさんが出ているラジオを流しながら、その音は耳を通り抜けていったけど、
変に冷静な自分がいた。
姉は今にも消えそうな呼吸をしているのに、“この人は大丈夫な気がする”と思っていた。
どんな時も強くて明るくて、みんなの前で笑っていた「スーパー姉ちゃん」だったから。
けれど、呼吸が乱れるたびに
“何もしない”と決めたはずなのに、看護師さんを呼んでしまう。
割り切れたと思っていても、身体は簡単に割り切れない。
冷静と動揺が交互に巡っていく自分を感じながら、
人間って、本当に不思議だと思った。
そしてなんとなく、「もうそろそろかもしれない」という気がして
姉のそばに寄って、顔をじっくり眺めながら、
「ありがとう」「すごいね」「大丈夫だよ」「ごめんね」——
今までうまく伝えられなかった言葉を、息をしているうちに伝えた。
「姉ちゃんは自慢の姉ちゃんだよ。スーパー姉ちゃんだよ。」
言いながら、ぼろぼろ涙が出てきたけれど拭うことはせず
大量の鼻水とともに姉の顔のそばにぼたぼた垂れ流しながらつたえた。
きったね・・・って思われるかもな・・・とかなんとか考えながら、
とにかく声にだして、伝えた。
病室に二人きりだったから言えた言葉。
あの夜の私だから言えた言葉。
深夜2時か3時ごろ、看護師さんに言われて家族に連絡した。
それから、呼吸が静かに途切れていくのを感じていた。
“あ、もう息してないな”とわかった瞬間、悲しみというより、「生きることの不思議」を感じていた。
人は最後の瞬間まで“呼吸する”んだなって。
その境目は、驚くほど曖昧で、静かだった。
それからしばらくして
少しずつ時間が経過するごとに
悲しさや寂しさはじわじわと確かに、容赦なく押し寄せてきたけれど、
姉の最期を見届けた時間は、
私にとって「特別な時間」であり、
嘘みたいなぐらい穏やかで、なぜか「日常の延長」に思える時間として
私の中に残っている。