Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

続編~儀式

2025.11.16 23:56

 私は、またやってしまったのだろうかと自分に問いかけながら、アルコーンの街路に足を踏み入れた。空は薄い藍色で、雲は紙のように薄く裂けていた。木造の建物が軒を連ね、瓦屋根の軒端が風に揺れる。行き交う人々は着物のような長衣をまとい、男女ともに髪は丁寧に結われている。町全体が時間を切り取ったように静謐で、しかし空気はどこか電化されており、街灯の柱には細い金属配線が走っていた。明治の観光絵葉書と、近代の配電盤が同居している風景だ。私は息を飲んだ。旅の興奮と、前回のジェーンで味わった自己嫌悪が混ざり合う。

「今回は、失敗しない」と自分に言い聞かせた。

ワープ船での長い並走中、私は翻訳デバイスのマニュアルを表裏全部、ページの綴じ目まで精読した。簡単な挨拶、敬語の使い方、ジェスチャーの注意点、食事のタブー・・・それらを暗記するように頭に叩き込んだ。翻訳デバイスは優秀だ。だが、それを使うのは私だ。

 でも、服装だけはマニュアルには載っていなかった。真面目に読みすぎるあまり、私の自己演出が抜け落ちていたのだ。目の前で風が吹き、ミニスカートの裾がひらりと踊る。地球での私は、短いスカートで軽やかに歩くのが好きだった。足元の感覚…靴底が石畳を刻むリズム、太ももに触れる冷たい風…それは自由の一形態だった。でもここでは、その自由が刃のように振るわれることになるとは思わなかった。

 私の足が露わになった瞬間、道行く人々の顔が一変した。柔和な表情が固まり、目が鋭くなった。子どもは親の袖に引き寄せられ、大人たちは立ち止まり、低い声で囁き合った。遠くで店の戸を引く音、箒で掃く音が止まった。翻訳デバイスが淡い光を放ち、周囲の言語を逐一私の耳に落としてくる・・・「冒涜だ」「不浄」「戒律違反」


 言葉は静かだが、その重さは鉛のようだった。

「まずい」と私は呟いた。翻訳デバイスの中和アルゴリズムは文化的語彙の微妙な差異を拾いきれないことがある。私の口から出た「こんにちは」は丁寧に変換されたが、身体の露出がもたらす宗教的意味については、どこにもアラートが出なかった。マニュアルにも「服装の基本的守則:露出を避ける」とは書かれていたが、私はそれを地球基準の「肌を大きく露出するかどうか」程度の概念に落としてしまったのだ。

「シンディ、落ち着け」と自分に言い聞かせる。私はバッグから薄いショールを取り出した。それはワープ船内で寒さ対策に買ったもので、明るいピンク色。だがここでピンクは派手すぎる。どう見ても観光客だと分かってしまう。しかも手早く巻けない。私がぎこちなくショールを肩にかけようとしていると、年配の女性が私に近づいてきた。顔にはしわが刻まれているが、その眼は厳しかった。彼女はゆっくりと、確かな動作で手を差し伸べ、私のショールを取って、自分の帯に引っ掛けた。

 彼女の手は暖かかった。翻訳デバイスは彼女の言葉をすぐに訳した。

「無礼でない者には、隣人の恥を覆うのは義務である」【訳】。その言葉は私の胸を刺した。私はうろたえながら頭を下げた。母性のようなものと、宗教的厳格さが同居するその行為に、私の中の防衛本能がぐらりと揺れた。

 だけど周囲の反応は沈静化しない。遠くで誰かが帳簿のようなものを取り出して、急ぎ足で集会所へ向かう。人々の視線は私の足元に戻る。年配の女性が低く言葉を続ける。

「彼女は知らぬのだ。これが禁忌であることを」【訳】。

それは私への弁護か、それとも単なる説明か、判断がつかない。

 集会所から出てきた若者たちの顔は硬い。彼らは偶像崇拝の議論のように目を光らせ、私のような外来者をどう扱うべきかを巡って言葉を交わしている。翻訳デバイスの文字は走るように更新される。

「異文化の尊重」だの「儀礼的浄化」だの。だがそれらは論争の種にすぎない。

「私は悪気はない」私は声を震わせて言った。

翻訳デバイスは穏やかなトーンで私の言葉を投げ返した。しかし私の声は、周囲の古い戒律の壁に吸い込まれ、かえって彼らの警戒心を刺激しただけだ。ジェーンでの失敗が胸の底で疼く。あのときも私は、言葉の裏側にある感情や宗教的連続性を読み切れなかった。あのとき学んだはずなのに、また同じ場所で躓いている自分に腹が立った。

 「説明をさせて!」と私は言った。

だが年配の女性は首を振った。

「説明は許されるが、まず儀式が必要である」【訳】。

彼女の一言は、悠久の時間を感じさせた。儀式…それは私が軽視してきた、文化の見えない骨格だ。私は儀式の詳細を尋ねると、彼女は静かに近くの茶屋に私を導いた。茶屋は木の香りが濃く、湯気が小さな笠のように立ち上っていた。中に通されると、壁には古い巻物が掛かり、墨で規則のようなものが克明に書かれている。

 翻訳デバイスが訳すのは言葉だけではない。巻物の端々に張られた小さな押印、座り方、茶碗の回し方…それらも解説してくれる。

それでも解説はあくまで解説だ。体で覚えるには時間がいる。

 「儀式は、汚れを祓うためと、共同体の調和を回復するためにある」年配の女性が私に言った【訳】。

 彼女の声には、厳しさと慈愛が混じる。私は急に畏怖の念を覚えた。ジェーンのときの「謝罪」の儀式は、私をただ小さくさせた。ここでの「儀式」は私を更に小さくしてしまうかもしれない。畏れと羞恥が私を支配する。

だけど私は逃げたくない。地球が核廃棄を宣言し、銀河連合に加盟したのだから、私たちの代表としての振る舞いが問われる場面も増える。私は今日の行動を通じて学ぶ必要があった。そして、学ぶことでしか誠意を示せないと感じていた。だから私は静かに頷いた。

 茶屋の主人は白い手拭いを持ってきて、私の足元を覆うように差し出した。それは布というよりも約束のように感じられた。私は一瞬ためらった。手拭いの向こう側にある「覆い隠す」行為は、外来者としての私のプライドを削る。しかし同時に、その布は、この共同体が私を受け容れようとしている証でもある。私はゆっくりとスカートの端を伸ばし、手拭いを足元に置いた。布が触れる冷たい感触に、かつてないほど現実が迫った。

 儀式が始まると、私は身体の動きを一つずつ教えられた。座り方、頭の下げ方、手の合わせ方。すべてに意味があり、すべてがこの土地に根差していた。翻訳デバイスはそれを逐一説明するが、説明と実行の感覚は一致しない。私はぎこちなく動き、何度も間違えた。周りの視線が痛い。だが年配の女性は一度として厳罰を与えなかった。むしろ、私の指先が震えるたびに、彼女はそっと指を取って正しい位置に導いた。彼女の手のひらは硬く、稲の収穫を思わせる匂いがした。

 儀式の最中、何人かの人が席を外し、議会らしき場へ集まっていった。私はそこが、私の問題を正式に審議する場だと理解した。翻訳デバイスが「公開審議」と表示する。私の胸の鼓動は速く、手が汗ばんだ。公開審議という言葉の向こうに、法と宗教の複合体が見える。もしそこで「処罰」という文字が下されれば、私の旅は終わるかもしれない。ジェーンでの傷が疼く。

しかし、想像とは違う結果が出た。

 議会に出向いた使者が戻ってきて、年配の女性は静かに微笑んだ。

「彼らは言う。彼女は罪を犯したが、悪意はない。儀式を完了し、共同体の律を学ぶことが条件である」【訳】。

 微笑みは、初めてこの日、私が安堵する理由になった。条件…学ぶこと。私にとってそれは救いだった。学ぶことで、私はここに居場所を得られる可能性がある。それは単なる許しではなく、関係の再構築を意味した。

 私はその夜、茶屋の奥の部屋に泊めてもらった。

 

 畳の隙間からは微かな虫の声が聞こえ、月は欄干の隙間から銀色に顔を出していた。頭の中で、今日の一連の出来事が反芻された。

 恥ずかしさ、恐れ、そして奇妙な慰め。年配の女性の手のぬくもりが、まだ指先に残っている。私は自分がまた地面に立ち、誰かの文化の中に入っていく練習をしていることを実感した。失敗の痛みは小さくなっていない。しかしその痛みは、学習の燃料にもなった。

 朝になったとき、茶屋の主人が小さな朝粥を持ってきた。塩気は控えめで、身体に滲み入るようだった。

彼が言った。「共同体は外来者を恐れる。しかし、恐れは知識で和らぐ。あなたが真摯に学ぶなら、道は開かれるだろう」【訳】。

その言葉を聞いて、私は初めて自分がこの星で少しだけ信頼を得られるかもしれないと感じた。

 アルコーンは見た目こそ古風だが、根っこは深く現代的だった。彼らの戒律や儀式は、表層の模様ではなく、共同体の連続性を守るための高度な社会設計だった。私がミニスカートで踏み込んだのは、無知の暴力だったかもしれない。しかし今は、その暴力を認め、修復し、学ぶ責任がある。


年配の女性が最後に教えてくれた「儀式」の本当の意味は・・・

私の「日中のミニスカート姿」は…この星では「娼婦」を現わしていて、それを浄化するためのものだったのだ。


 私はもう一度深く息を吸い、窓の外に広がる町並みを見つめた。足元の冷たさは、もう恐怖ではない。

…学びの始まりだった。


…続く