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倭文神社・掃守神社(加守神社)・二上神社

2025.11.18 07:39

https://asamoyosi.wordpress.com/2024/11/24/%E8%91%9B%E6%9C%A8%E5%80%AD%E6%96%87%E5%9D%90%E5%A4%A9%E7%BE%BD%E9%9B%B7%E5%91%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%80%80%EF%BC%88%E8%91%9B%E5%9F%8E%E5%B8%82%E5%8A%A0%E5%AE%88%EF%BC%89/ 【葛木倭文坐天羽雷命神社 (葛城市加守)】より

今回の香芝市周辺の神社巡りの中で一番興味をそそられたのは葛木倭文坐天羽雷命神社。何故かというと、その読み方が分からないのに加え、神秘的な感じが漂っているように思ったからです。行ってみるとこんな感じ・・・。二本の柱の間に注連縄を張った鳥居(多分これも鳥居だと思うのですが・・・)も古い歴史を感じさせてくれます。まさに期待していた通りの雰囲気です。

手水舎に掲げられている案内板には、ご覧のように3つの神社の名前があるではありませんか。目的の神社は真ん中の神社で、「かつらぎしとりにいますあめのはいかづちのみことじんじゃ」と読むようです。「倭文」は「しとり」と読むのか・・・。一社ではなく、3社あるのは想定外でしたが、とりあえず階段を上ってみることにします。

鬱蒼と茂った木々に囲まれた境内には人影も見えずとっても静か。最近はどこへ行っても外国人が多く、閉口しますが、こういった雰囲気こそ日本人の信仰の原点だよね・・・などと思いながら、もう一段階段を上ります。

誰もいない拝殿で参拝しました。静かな拝殿に柏手を打つ音が清々しく響きます。これが葛木倭文坐天羽雷命神社なのかと思いながら・・・。

拝殿を出て扁額を見上げ、確かめてみると「倭文神社」と書かれていますので、これが葛木倭文坐天羽雷命神社であることは間違いないと思われます。それではあと2つの神社、葛木二上神社と加守神社は?と探してみたのですが見つけることが出来ません。

もしかして二つの神社は倭文神社と同じ域内に祀られているのかもと思い、探したところ、やっと拝殿右側から中の様子をうかがうことが出来ました。本殿の右に小さなお社があります。案内板の通りだとすると、これが葛木二上神社になるのでしょうか。 そうすると本殿の左に加守神社があるはずですが、見ることは出来ませんでした。

それで、もう一度扁額を確かめたところ「倭文神社」の右に小さく掃守神社、同じく左に二上神社と書かれていました。と言うことは、この小さな神社が掃守(加守)神社になるのかな? 手水舎にあったの案内(2枚目の写真)には右側に二上神社、左側に加守(掃守)神社とあったのですが、逆なのかも知れません。多分扁額の方が正しいと思われますので、こちらが加守(掃守)神社ということになると思います。

誰もいないことを良いことに、あっちに行ったりこっちに来たりしながらお参りした葛木倭文坐天羽雷命神社でした。

ところで、「天羽雷命は天照大神の荒衣和衣の御衣を織り、天孫降臨の時、御衣職賭して共に降臨、機織の術を授けられた神です」と案内板に出ていましたが、機織りと言えばこの神社の少し南に機織神社があります。以前その「棚織(たなばた)神社」を取り上げたのですが、ここも織物(機織り)に関係する神社だったのですね。ということは、昔このあたり一体が織物に関係する人々が住んでいたということになるのでしょうか。こちらが大和系の織物技術とするなら、棚機神社は渡来系の織物技術・・・。そう考えると面白いですね。


https://www.zero-position.com/entry/2025/07/13/190303 【夏の朝の光に輝く大和二上山のふもと、葛城の古社】より

5年ぶりに #大和二上山 の麓 #葛木倭文坐天羽雷命神社(かつらぎ・しとりにいます・あまのはいかづちのみこと・じんじゃ)に参拝。私が #アラハバキ信仰 に興味を持つキッカケとなった古社。境内は夏の早朝の光を浴びて輝いていました

「かつらぎ・しとりにいます・あまのはいかづちのみこと・じんじゃ」。

もう5年前の夏になるのですが、大和二上山の麓、二上神社・倭文神社・加守神社が合祀された古社に参拝。

ここと宮城県多賀城市の荒脛巾神社(あらはばきじんじゃ)の共通点を考えたことがキッカケとなって、「アラハバキ解・汎日本古代信仰の謎に迫る」を書き始めました(全54話)

ありがたいことに今でも読まれる件数が伸びており、先月にはプレビュー数が40万を超えました。葛木倭文坐天羽雷命神社(二上神社・倭文神社・加守神社)

全国に散らばる蟹守(かにもり)と倭文(しとり)の信仰はここから始まったのではないか、後背の二上山をイメージさせる男女二神の信仰をベースとした古代の「アラハバキ信仰」の謎解きにつながるのではないか、と考えました。(加守は蟹守に由来)

今回もあらためて古代史妄想の考察に参拝したのですが、そのあたりは次回以降として😀。

神社は東の大和盆地に向いており、早朝の境内や拝殿には朝の明るい光が射し込んでいました。

今回はその美しい景色をおすそ分けします。

古社の朝の光

拝殿の白壁に樹々の陰が映り込みます 早朝にもかかわらず、拝殿内には蚊取り線香の香り。

神職さんが朝から祈祷をされていたのでしょう。い草の円座がトグロを巻いた白蛇さんに見えます😀

い草の円座当ブログで何度も紹介した蟹守(かにもり)の紋も。蟹守の紋(牡丹の花弁)

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神社の近くの池。カッパが出そうな雰囲気。特に加工もしてないのに空の青さが異様に見えます😅近くのお稲荷の祠の狛犬さん。揺れ動く光で表情が動いて見えます。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E6%9C%A8%E5%80%AD%E6%96%87%E5%BA%A7%E5%A4%A9%E7%BE%BD%E9%9B%B7%E5%91%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE 【葛木倭文座天羽雷命神社】より

葛木倭文座天羽雷命神社(かつらきしとりにいますあめのはいかづちのみことじんじゃ)は、奈良県葛城市の二上山山麓にある神社である。式内大社で、旧社格は村社。単に倭文神社(しずりじんじゃ)とも呼ばれる。

祭神

天羽雷命(あまはいかづちのみこと)を主祭神とし、右殿に摂社・掃守神社(天忍人命)、左殿に摂社・二上神社(大国魂命)を配祀する。

天羽雷命は各地に機織や裁縫の技術を伝えた倭文氏の祖神で、当社は日本各地にある倭文神社の根本の神社とされる。

天忍人命は彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊生誕のときにその胎便(「蟹」と呼ばれる)を掃除したという神で、その子孫は蟹守(かもり)氏(掃部、加守、狩森などとも)と称した。当社の社家も蟹守氏である。附近の「加守」という地名も蟹守に由来するもので、当社は江戸時代まで「加守明神」と呼ばれていた。

大国魂命は二上山山頂にある葛木二上神社の祭神である。山頂の二上神社の遥拝所もしくは里宮的な存在であったとみられる。

概史

創建の年代等は不詳である。文献の初出は、『日本三代実録』の貞観元年(859年)1月27日条、当社に従五位上の神階を授けるという記述である。延喜式神名帳では「大和国葛下郡 葛木倭文坐天羽雷命神社」と記載され、大社に列している(ただし、葛木倭文坐天羽雷命神社については葛城市新庄町の博西神社も論社とされている)。

明治6年(1873年)に村社に列格し、明治40年(1907年)に神饌幣帛料供進社に指定された。

神階

天安3年(859年)1月27日、従五位下から従五位上(『日本三代実録』)- 表記は「葛木倭文天羽雷命神」。