建長寺と円覚寺
https://www.engakuji.or.jp/blog/39070/ 【建長寺と円覚寺】より
鎌倉五山といいますと、建長寺が五山の第一位で、我々円覚寺は第二位であります。
三位が寿福寺、四位が浄智寺、そして第五位が浄妙寺となっています。
建長寺と円覚寺、その両山の関係は、円覚寺の開山佛光国師(無学祖元)が建長寺の第五世であることからご縁が始まっています。無学祖元禅師こと佛光国師は、北条時宗公に招かれて南宋の国から日本にやってみえました。建長寺の開山大覚禅師のお弟子、無及德詮禅師と傑翁是英禅師の二人を使者に遣わしたのでした。
それは大覚禅師がお亡くなりになった弘安元年のことでした。西暦一二七八年のことであります。佛光国師は、天童山で環渓禅師のもとで第一座におられました。
鎌倉にお入りになってまず建長寺に住されました。佛光国師の来朝は、弘安二年一二七九年のことです。佛光国師は五四歳でありました。建長寺の第五代の住持でありました。
それから弘安五年に円覚寺が開創されました。そして弘安九年一二八六年に建長寺でお亡くなりになりました。六十一歳のご生涯であります。
建長寺でお亡くなりになって、建長寺に塔が建てられました。塔を常照といい、塔院を正続庵といいました。その頃は、今のような建長寺派、円覚寺派というような分類はまだなかったのでした。
円覚寺にはその後第四世に桃渓徳悟禅師、第五世に葦航道然禅師という大覚禅師のお弟子の方が住持をお勤めになっています。
この桃渓禅師が、大覚禅師のお弟子であったことから、大覚禅師のご命日に建長寺にお参りにゆくことが始まったようであります。
第六世、第七世はともに来朝された禅僧でありました。
六世が西礀子曇禅師、そして七世が一山一寧禅師であります。
このお二人は大覚禅師の法系ではありませんので、大覚禅師のご命日に行くことはなかったと思われます。
また第八世になって無隱円範禅師が大覚禅師のお弟子でありましたので、再び建長寺の開山ご命日に諷経に行かれたことと察せられます。
その次の無為昭元禅師の代になって、無為禅師は聖一禅師の系統でありますが、やはり建長寺に諷経にゆくようになったようなのです。
その当時からの風習で、建長寺の開山忌には、円覚寺の者は諷経に赴くのであります。
その後夢窓国師の頃に、建長寺にあった佛光国師のお墓が円覚寺に移されます。
そのことについて円覚寺発行の『瑞鹿山円覚寺』には次のように書かれています。
「さしもの隆盛をほこった北条氏も元弘三年(一三三三)五月に至ってついに滅亡し、世は後醍醐天皇親政の建武の中興となる。
けれども、円覚寺はこの政変による著しい影響もみられず、北条氏の檀那時代と同じように寺勢を保つことができたのである。
それは、後醍醐天皇をはじめとする当代の天皇、それに北条氏や足利氏の信任が篤かった夢窓国師の存在と尽力によってであった。
師をとりまくこうした環境は、師の政治的な手腕をもいかんなく発揮させる場を提供したのである。
建武二年(一三三五)七月のこと、夢窓は、当時建長寺にあった仏光国師の塔である正続庵(のち院)を、後醍醐天皇の勅命であるという、いわば政治的な手段を用いて強引に円覚寺へ遷してしまった。
正続庵が建長寺に造られたのは、仏光国師が晩年に円覚寺の住持をやめ、建長寺にうつって示寂した関係からである。
建長寺では、すでに開山大覚禅師の塔西来庵を営んでいたが、仏光国師が名僧であったことから別に独立の塔をつくり、卵塔を常照、塔院を正続庵と称して、あつく守護したわけである。」
ということであります。
この時の後醍醐天皇の綸旨は今も円覚寺の寺宝として伝わっています。
その後円覚寺一山の者が建長寺の開山忌にお参りすることについて、些かのもめごともあったようでありますが、今日まで続いています。
建長寺の御開山大覚禅師は、弘安元年の七月二十四日にお亡くなりになっています。
もともと西蜀の方です。
十三歳で出家し、無準師範禅師や北礀居簡禅師に学んだ後、松源崇嶽禅師の法嗣である無明慧性禅師の法を嗣がれています。
寛元四年(一二四六年)、三十三歳のとき、来日されました。
執権北条時頼の帰依を受けて鎌倉に招かれ、退耕行勇禅師の開いた常楽寺の住持となっていました。
そして建長五年(一二五三年)、北条時頼によって建長寺が創建されると招かれて開山となったのであります。
一二七八年にお亡くなりになっていますので、もうすぐに七百五十年忌を迎えることになります。
今建長寺様ではその七百五十年大遠諱に向けて佛殿の改修などの準備がなされています。
先日の五月二十四日には建長寺の開山忌にお参りしてきました。
これは今お話したように古くからの習慣なのであります。
七月二十四日がご命日でありますが、ずっと八月二十四日に開山忌が行われていました。
夏の暑い時期でありました。
その頃円覚寺から出頭していました。
それが最近一月早めて、本来の命日の日である七月二十四日に行うようになりました。
その時期には、円覚寺では例年夏期講座を行っていました。
建長寺の開山忌にはお参りにゆかなければならないので、どうしたらよいものか、あれこれ考えて山内でも相談して円覚寺夏期講座を六月の初旬にずらしたのでした。
そのように行われていましたが、近年の夏の暑さで、今年から七月二十四日を五月二十四日としたのでした。
五月二十四日に開山忌を行うのは今年が初めてありました。
五月とはいえ暑い日もありますが、その日はとても涼しく快適でありました。
朝円覚寺を出て、塔頭の和尚様たちと共に建長寺に参りました。
開山堂のある西来庵に参ります。
私たちは西来庵の本堂でお参りします。
円覚寺の塔頭の中でも大覚禅師の系統のお寺は、お堂の中に出頭して楞厳呪を読んで行道に参加されます。
それぞれの本山に伝えられた独自の節でお経があげられます。
私たちは神妙に拝聴して開山大覚禅師を偲びます。
そしてお昼ご飯をいただいて帰ってきます。
このお経の間かつてはずっと正座していたのですが、近年はイス席となりました。
イス席となると、イス坐禅の要領でしっかりと坐ることができます。
これまたイス坐禅を研究してきてよかったと思います。
円覚寺からは修行僧も六名ほどお手伝いに行っています。
建長寺と円覚寺の有り難い法縁であります。
https://www.youtube.com/watch?v=tnE3EShSVQI
https://kamakuratrip.net/aengakuji.html 【凜とした空気に包まれた北鎌倉の禅寺
円覚寺の歴史】より
円覚寺の歴史
禅宗(臨済宗)の寺院の格式を示す制度「五山の制」で、「鎌倉五山」の第二位に列せられている、格式の高いお寺です。正式名称は、瑞鹿山円覚興聖禅寺といいます。
創建は弘安5(1282)年。二度の元寇を戦い抜いた執権として知られる北条時宗が、戦いで亡くなった日本とモンゴル両軍の兵士の菩提を弔うために建立しました。
「円覚寺」という名前は、寺を建てるときに、地中から「円覚経」という経典が出てきたことに由来します。
夏目漱石の小説にも登場する山門と桜
総門をくぐり、拝観受付をすませ、先へ進みます。円覚寺境内でまず私たちを出迎えてくれるのが山門(三門)。この山門は、明治時代の文豪・夏目漱石の小説『門』にも登場します。
漱石は、明治27年、円覚寺の塔頭(たっちゅう)のひとつ「帰源院」に止宿、参禅しました。後に、この時の体験を活かして書いたのが、小説『門』です。
三門をくぐると、禅寺特有の凜とした空気が広がっていて、気が引き締まる思いがします。
円覚寺は桜の名所
三門の辺りは、桜がとても美しく咲きます。
三門の左手にある「選仏場」は、茅葺き屋根のとても風情のある建物。もともとは、仏祖(真理を悟った人)を選出するためのお堂で、僧堂と経堂を兼ねた建物として、江戸時代の元禄12年(1699)に建立されました。古い建物と桜、風情があっていいですね。
仏殿と方丈
次は、仏殿に進み、ご本尊をお参りします。大正12年の関東大震災は、鎌倉にも甚大な被害をもたらし、円覚寺の仏殿も倒壊しました。再建されたのは、昭和39年。コンクリート造りの「大光明宝殿」という建物が、現在の円覚寺仏殿です。仏殿には、本尊の釈迦如来像が安置されています。
ご本尊のお参りをすませたら、方丈(ほうじょう)から先、境内奥のエリアへと進みます。
方丈とは、禅寺の長老などが住む建物のこと。円覚寺の方丈庭園には、多数の観音石像が並んでいます。一体一体の表情の違いを楽しみましょう。
神奈川県で唯一の国宝建築「舎利殿」
神奈川県で唯一の国宝建築・舎利殿は、禅宗様の美しい建築。円覚寺境内にある、塔頭のひとつ「正続院」境内にあります。
舎利とは、お釈迦様の骨のことで、円覚寺の舎利殿には、鎌倉幕府の三代将軍・源実朝が、中国(宋)の能仁寺から請来した仏舎利を安置しています。
舎利殿は、普段は正続院入口から、屋根をうかがい見ることしかできませんが、ゴールデンウィーク中(5月3日~5日)、宝物風入期間(11月3日の文化の日を含む3日間)のみ一般公開され、間近で拝観することができます。
円覚寺 その他のチェックポイント
五山塔
あまり知られていませんが、総門から先だけではなく、北鎌倉駅前を通る県道(鎌倉街道)のあたりまでが円覚寺の境内です。明治時代の富国強兵政策の下、経済優先で鉄道を通したため、境内を横須賀線が通過すことになったのです。県道沿いに立つ石塔は、鎌倉五山の寺であることを示す「五山塔」です。
仏日庵
元寇(モンゴル来襲)を戦い抜いた執権として知られる、北条時宗の廟所「仏日庵」では、抹茶(500円 拝観料含む)をいただけるので、一息つくのもおすすめ。円覚寺境内には、このような塔頭(たっちゅう)と呼ばれる支院がいくつかあります。
紅葉の名所・円覚寺
紅葉の名所・円覚寺
円覚寺は、北鎌倉エリア随一の紅葉の名所として知られ、晩秋は、境内一帯が紅葉で彩られます。
紅葉が特に美しいのが、妙香池のあたり。紅葉、黄葉が織りなす美の世界は、まるで極楽浄土のようです。
国宝「洪鐘」
三門に向かって右手の小高い山の上にあるのが、国宝「洪鐘(おおがね)」。「洪鐘」は、建長寺、常楽寺の鐘とならぶ「鎌倉三名鐘」のひとつです。洪鐘のわきにまつられている弁天様は、鐘を鋳造したときに、何度やってもうまくいかず、江の島の弁天様のご加護を受け、ようやく完成したことに由来します。