土地は命そのもの
FacebookHiroshi Kaneiさん投稿記事
15歳のアパッチ族の少女がいました。名は Nayeli(ナイエリ)。普段は静かで、人より風や石と話す方が得意な子でした。ある日、兵士たちがやってきます。
「ここはもうあなた達の土地ではない。出ていけ。」そう告げるために。理不尽でした。
その土地こそが、彼らの生活であり、歴史であり、心そのものだったからです。
その時、ナイエリは立ち上がります。目立つことのない少女でしたが、彼女は土地を誰よりも深く知っていました。どこに水があるのか。どんな道が安全なのか。馬が通れない崖道や、迷いやすい谷も。
ナイエリは武器を持って戦いませんでした。誰かを傷つけようともしませんでした。
ただ、兵士たちより “土地を理解していた” のです。彼女は夜明け前に人々を導き、
安全なルートへと連れて行き、時にはわざと違う方向に足跡を残し、兵士たちを迷わせました。追われても、追われても、ナイエリは冷静でした。
風のように静かに、先へ先へと。その結果――兵士たちは誰一人捕まえられず、やがて追うことを諦めました。
小さく、控えめで、優しかった少女が、その日、仲間を守る “嵐” になったのです。
だから人々は火のそばで語り継ぎました。「あの日、風は嵐に変わった。その嵐は、人を倒すためではなく、大切なものを守るために吹いたのだ。」と。
歴史の教科書には、きっと彼女の名前は出てきません。でも、彼女の勇気は人々の心に残り続けました。名前よりも、生き方こそが物語だからです。
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先住民族にとって、土地とは所有物ではありません。自然は都合よく使う“資源”でもありません。土地は「誰かの所有物」ではなく、自然は「利用する対象」ではなく、そこに暮らす人々や動物、植物の――“命そのもの”。
だから奪われれば、文化も言葉も祈りも失われ、森に生きる小さな命たちも行き場をなくします。そして今、世界のどこかで、クマが、鹿が、狼が、鳥たちが、静かに同じ痛みを抱えています。
森の開発。餌場の消失。住む場所を追われ、人間社会に迷い込み、「害獣」と呼ばれてしまう命たち。彼らもまた、必死に守っているのです。家族を、季節を、暮らしを。地球というふるさとを。
木々は根を張り、土を抱きしめ、川は静かに命を繋ぎ、風はすべてを優しく運び続けています。人も、草も、風も、動物たちも、本当は同じ大地の子どもだから。
ナイエリの物語が、今を生きるすべての命への祈りとなりますように❤
Facebook古代史の真実…悠古庵(公式)さん投稿記事
🌕かぐや姫シリーズ第2回
竹取翁と“竹”——地上と天上を結ぶ生命の柱
竹取物語の冒頭に登場する「竹取の翁」は、単なる竹細工職人ではありません。彼は、地上に生きながら天上の光を見出す存在として描かれています。竹の中に光るものを見つけ、それを開いた瞬間、かぐや姫が生まれる——この象徴的な場面は、日本古代の精神世界における「媒介者」の出現を示しています。
竹という植物は、古来より特異な象徴を持ってきました。その中空の構造は、中心を空(くう)とする思想を想起させます。日本人は、中心を「満たす」よりも「空けておく」ことで、そこに神が宿ると感じてきました。神棚や祭壇の“間(ま)”の思想に通じるこの感覚は、「竹」という形において自然に体現されています。
つまり竹は、天地を貫く“中空の柱”であり、地上世界と天上世界を結ぶ「axis mundi(世界軸)」の象徴なのです。竹取翁が竹を切る行為は、単なる労働ではなく、天と地を結ぶ儀礼的行為——すなわち「世界の中心」を呼び起こす行為と見るべきでしょう。
この視点に立つと、「竹取の翁」は単なる老人ではなく、神と人との間を往還する“巫的存在”に変わります。彼は天からの光(かぐや姫)を受け取り、それを地上に顕現させる「器」としての役割を果たしています。古代においては、祭祀を司る者が“竹”を用いて神を招く儀式を行ったと伝わりますが、この翁もまた、知らずして“神迎え”を行ったのかもしれません。
注目すべきは、翁が「竹取」と呼ばれる点です。竹を「取る」とは、自然から何かを“奪う”行為ではなく、“受け取る”行為でもあります。翁は天の気を宿す竹を介して、地上に新しい生命を授かりました。これは、天の力を人間界に引き寄せる“受動的な祈り”の形とも言えます。日本人の祈りは、強く求めるものではなく、静かに“受け入れる”姿勢にあります。竹取翁はまさに、その原型なのです。
さらに、「翁」という語にも注目すべき意味が隠れています。翁とは、時間の長きを生きる者であり、世代を超えて知を伝える存在です。彼は“時間の軸”を司る象徴でもあります。竹が“空間の軸”を示し、翁が“時間の軸”を担うことで、物語の冒頭には「時空を貫く柱」が立ち上がるのです。そこにかぐや姫——すなわち天上からの存在——が降り立つことで、この物語は初めて宇宙的な構造を帯びます。
竹取翁は、神と人との間を媒介し、天と地をつなぎ、過去と未来を橋渡しする“中間者”です。彼の存在を通して、私たちは「竹取物語」が単なる幻想ではなく、“宇宙の構造を語る神話的物語”であることを知るのです。
地上に生きながら天を思う者——それが竹取の翁であり、また、古来の日本人そのものでした。彼が切る一本の竹の中に、天上の光が宿っていたという伝承は、私たちが今もなお、日常の中に“見えぬ神性”を探し続けている証でもあります。
Facebook斉藤 一治さん投稿記事
人類がまだ統一された言語を持っていなかった太古の時代に、ヲシテ文字で綴られた『秀真伝(ホツマツタエ)』という文献があります。その中に、記されているのが「あわの歌」。
前半の24音はイザナギが天から地に流れる陽の歌、
後半の24音はイサナミが地から天に流れる陰の歌。これがDNAの2重構造と言われています。
「あわの歌」を歌うと、身体の隅々まで音韻が響き渡り五臓六腑の調子が整い、体全体が宇宙の流れに即するようになります。
人間の身体は60兆の細胞の集合体、細胞は生きている間中ずーと振動しています。
この48音の振動で、身体の各機関に影響を与える働きがあるのです。
「アイカサウンドセラピー心音道2015」参照
「あわの歌」歌詞
ア(天) カ(幽) ハ(初) ナ(柔) マ(真)
イ(命) キ(兆) ヒ(霊) ニ(和) ミ(実) ウ(生) ク(潜)
フ(含) ヌ(温) ム(蒸) エ(胞) ケ(気)
ヘ(経) ネ(懇) メ(芽) オ(緒) コ(凝) ホ(穂) ノ(朗)
モ(萌) ト(結) ロ(纏) ソ(反) ヨ(夜)
ヲ(尾) テ(挙) レ(離) セ(迫) ヱ(枝) ツ(約) ル(締)
ス(進) ユ(行) ン(渦) チ(縮) リ(張)
シ(茂) ヰ(射) タ(溜) ラ(原) サ(咲) ヤ(鳥) ワ(地)
「あわの歌」は、現代でも多くの人が愛して歌い継いでいます。
「あわの歌」は、現代でも多くの人が愛して歌い継いでいます。
「あわの歌」が文字情報として視覚や聴覚から脳に入力され、ニューロンとシナプスを駆け巡って言葉や歌として声に出されます。
その際、私達の身体に刻まれた天孫としての魂に刻まれた記憶が刺激され、私達の心や身体のをあるべき姿、より良い姿へと導きます。