ヘルスポッドの誤診
トム・ラリーは、102歳になっても毎朝きっちり六時に目を覚ます。
目覚まし時計など不要だ。年齢と共に眠りは浅くなり、夜明け前には自然と目が開く。
そして、彼の一日は決まってこう始まる。
「おい、ポッド。今日も俺を殺す気か?」
寝間着のまま、居間の隅に鎮座する銀色のカプセル――ヘルスポッドに向かって毒づく。
ヘルスポッドは、家庭用医療の革命児だ。中に入れば全身スキャンから投薬、さらには遠隔手術まで自動で行ってくれる。
100歳を超えた老人たちは、歯磨きや朝食と同じ感覚で、毎日このポッドに入り、健康を維持していた。
「おはようございます、トム・ラリーさん。本日の体調は・・・」
「聞いてねえ! 昨日の薬、苦すぎるんだよ!」
トムは毎朝、ポッドのAIに八つ当たりする。
理由は特にない。相手が機械だから遠慮がいらないし、何より返事が律儀すぎて腹が立つ。
だが、そんなやり取りも、彼にとっては生きている証のようなものだった。
その日も、トムはいつものようにポッドに入り、全身スキャンを受けた。
だが、終了のチャイムが鳴ると同時に、AIの声が妙に沈んだ。
「重大な異常を検出しました。即時入院を推奨します」
「はあ? また大げさなことを……」
トムは笑い飛ばそうとしたが、AIは続けた。
「診断結果は…多臓器不全。余命、3日」
部屋の空気が一瞬で変わった。
隣の部屋で朝食を作っていた娘のメアリーが、皿を落とす音がした。
「お父さん……そんな……」
「馬鹿言え。昨日までピンピンしてたんだぞ」
だが、ポッドの診断は絶対的な信頼を誇っていた。
この20年、誤診の報告はほぼゼロ。
町の人々も「ポッドが言うなら間違いない」と信じ切っている。
ニュースは早かった。
メアリーが半泣きで親戚にメールしたのがきっかけで、昼までに「トム・ラリー余命3日説」が町中にも広まった。
午後には、近所の老人仲間がぞろぞろと見舞いに来た。
「トム、あんたの畑のトマト、俺が収穫しといてやるよ。」
「遺言は書いたか? 今なら代筆してやる」
これではまるで葬式の予行演習だ。
トムは苛立ちを通り越して、笑いが込み上げてきた。
「お前ら、俺を殺すの早すぎるだろ!」
だが、笑っているのはトムだけだった。
メアリーは泣き腫らした目で、ポッドの診断データを何度も確認している。
「誤診かもしれない」という言葉は、誰の口からも出なかった。
翌朝、トムは決意した。
「このままじゃ、ポッドの言いなりで死んだことにされちまう」
彼は街の診療所に行き、古い人間ドック機器で検査を受けた。
結果は――異常なし。
医師は首をかしげた。
「ヘルスポッドの診断が間違っている可能性は……ゼロではありませんが、極めて低いですね」
「じゃあ、俺は生きてるってことだな」
「ええ、少なくとも3日は」
医師の冗談に、トムは苦笑した。
3日目の朝。
トムはまだ生きていた。
むしろ、いつもより元気だ。
「おい、ポッド。俺は死ななかったぞ」
ポッドは静かに答えた。
「診断結果を訂正します。先日の異常は、センサーの誤作動によるものでした」
「なんだと?」
「原因は、内部に侵入した猫の毛です」
トムは思わず吹き出した。
メアリーが飼っている猫、ミルクが、夜中にポッドの中で丸くなって寝ていたのだろう。
その毛がセンサーに入り込み、臓器の影と誤認されたらしい。
誤診騒動は町中の笑い話になった。
「猫の毛で余命3日」――webの地方欄にまで載ったほどだ。
だが、トムは少しだけ複雑な気持ちだった。
あの3日間、娘や友人たちが見せた涙や優しさは、誤診がなければ一生見られなかったかもしれない。
死を宣告されたことで、彼は自分がどれだけ人に思われているかを知ったのだ。
「まあ……たまには誤診も悪くないな」
そう呟きながら、トムは今日もポッドに入る。
そして、いつものように言うのだ。
「おい、ポッド。今日も俺を殺す気か?」
ポッドは変わらぬ声で答える。
「おはようございます、トム・ラリーさん。本日の体調は・・・」
誤診の真相が「猫の毛」だと分かった翌日、トムは商店街を歩いた。
商店の前を通ると、店主のジョージが声を張り上げた。
「おいトム! 今日は毛玉抜きの診断か?」
周囲の客たちがどっと笑う。
トムは肩をすくめて返す。
「おう、今日は全身ブラッシングしてから入ったよ」
笑い声は軽やかだったが、その奥に、街の人々の複雑な感情が混じっているのをトムは感じた。
…あのポッドが間違えることもあるんだな。
…じゃあ、俺らの診断も……。
そんな不安が、笑いの隙間から漏れ出していた。
夜、メアリーは台所で一人、カップを握りしめていた。
3日前、父の余命を聞かされた瞬間の胸の締め付けを、まだ忘れられない。
あの時、彼女は父の背中を見ながら、心の中で何度も謝っていた。
…もっと優しくすればよかった。
…もっと話を聞けばよかった。
誤診と分かって安堵したはずなのに、胸の奥には妙な空洞が残っている。
「死ぬかもしれない」と思った瞬間に溢れた感情は、もう二度と同じ形では訪れない気がした。
居間からは、父とミルクがじゃれ合う音が聞こえる。
メアリーは小さく笑い、カップを置いた。
ミルクは、あの銀色の寝床が大好きだった。中はほんのり温かく、低い唸りが子守唄のように響く。
ある夜、こっそり入り込んで丸くなったら、朝までぐっすり眠れた。
ただ、翌朝はやけに人間たちが騒がしかった。
トムが大声を出し、メアリーが泣き、見知らぬ人が何人も家に来た。
猫のミルクには理由が分からない。
でも、あの寝床にはもう入らない方がいいらしい。
昨日、メアリーに抱き上げられ、「ここはダメ」と優しく言われたからだ。
ミルクは少し寂しい気持ちで、ソファの上に新しい寝場所を見つけた。
それから数日、トムは以前よりも穏やかになった。
相変わらずポッドには文句を言うが、その声にはどこか柔らかさが混じっている。
朝の八つ当たりも、まるで日課のラジオ体操のように、生活のリズムを刻むだけのものになった。
「おいポッド、今日は俺を殺す気か?」
「おはようございます、トム・ラリーさん。本日の体調は...」
そのやり取りを聞きながら、メアリーは台所で微笑む。
あの誤診がなければ、父の声をこんなふうに愛おしく感じることはなかったかもしれない。
ある朝、ポッドが唐突に告げた。
「重大な異常を検出しました。診断結果:猫アレルギー」
トムは吹き出した。
「おいおい、今さらかよ!」
メアリーも笑いながら、ミルクを抱き上げた。
ミルクは不満そうに「ニャー」と鳴いたが、その声は家中を温かく包み込んだ。
・・・余韻
こうして、ヘルスポッドの誤診騒動は、街の笑い話として長く語り継がれることになった。
だが、トムにとっては、それはただの笑い話ではない。
死を宣告された3日間が、彼の世界を少しだけ優しく塗り替えたのだ。
…街の公民館。
毎週木曜の午後は老人会の集まりがあり、将棋やカラオケ、健康体操などが行われる。だが、この日は違った。
集まった老人たちの話題は、もっぱらトムの「猫毛誤診事件」だった。
「いやぁ、あのポッドが間違えるなんてなぁ」
「俺なんか、去年“脳梗塞の前兆”って言われて、結局ただの寝違えだったぞ」
「わしは“肝機能低下”って診断されて、酒やめたら三か月で“異常なし”になった。あれは誤診だったのか、それとも酒のせいだったのか……」
笑いとため息が入り混じる。
ヘルスポッドは便利だが、あまりに正確すぎると信じられてきた分、その揺らぎは人々の心に波紋を広げていた。
トムは将棋盤を挟んで、隣の老人にぼそっと言った。
「まあ、誤診も悪くないぞ。みんな優しくしてくれる」
その言葉に、場がまた笑いに包まれた。
数日後、トムの家にスーツ姿の男女が訪れた。
胸には「メディカル・フューチャーズ社」のロゴ入りバッジ。
ヘルスポッドの開発・販売元だ。
「このたびは弊社製品の誤診により、多大なご心配とご迷惑をおかけしました」
二人は深々と頭を下げた。
「まあまあ、猫の毛なんて想定外だろう」
トムは笑って受け流そうとしたが、メアリーは真剣な顔で質問をぶつけた。
「今後、同じことが起きないようにするには、どうするんですか?」
担当者はタブレットを操作しながら説明した。
「センサー部に毛や埃が入り込まないよう、フィルターを改良します。また、診断結果に“確率表示”を導入し、誤診の可能性も明示します」
「確率表示?」
「はい。例えば“余命3日(確率0.02%)”のように」
トムは吹き出した。
「そんな低確率で俺を殺すなよ!」
担当者たちは苦笑しながら、最後に新品の毛防止フィルターと、猫用ブラシを置いて帰っていった。
事件から1か月後。
トムはすっかり元気で、ポッドとの口喧嘩も日課に戻っていた。
だが、ある晩、メアリーが寝静まった後、ミルクは静かに動き出した。
~あの銀色の寝床、やっぱり恋しい。
フィルターが改良されたポッドは、以前よりも静かで、内部の温度も心地よい。
ミルクは小さな隙間から器用に入り込み、丸くなった。
その瞬間、ポッドの内部センサーが反応した。
「異常検出。対象:未知の生命体」
翌朝、トムがポッドに入ると、AIが深刻な声で告げた。
「診断結果:体内に小型捕食獣を確認」
「……は?」
メアリーが慌てて駆けつけると、ポッドの中でミルクがのんびり毛づくろいをしていた。
トムは腹を抱えて笑い、メアリーは呆れ顔でミルクを抱き上げた。
2度目の騒動は、もはや町の伝説となった。
「トムのポッドには猫が住みついてるらしい」
「診断結果は猫アレルギー~原因は猫本人」
そんな冗談が飛び交い、子どもたちはトムの家の前で「猫ポッド!」と叫んで走り去った。
トムはそんな様子を、縁側で笑いながら見送る。
あの誤診がなければ、こんなふうに町の人々と笑い合う時間はなかったかもしれない。
死を宣告された3日間が、彼の世界を少しだけ温かくしたのだ。
「おいポッド、今日も俺を殺す気か?」
「おはようございます、トム・ラリーさん。本日の体調は――異常なし。猫毛検出:あり」
「……おい、ミルク、またか!」
メアリーの笑い声と、ミルクの「ニャー」が重なり、家の中は今日も賑やかだった。