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《浅葱の灯》――境界を渡る蝶の記憶――

2025.12.04 14:49

《浅葱の灯》――境界を渡る蝶の記憶―― 


執着からふっと解放された“森”での記憶。

 旅人は、胸の奥に残る寂しさとともにゆっくりと歩いていた。 

どこかまだ帰る場所を探すように、ひと呼吸ごとに足を進めていた。 


木漏れ日の中、長く溜まっていた重たさが少しずつほどけていく。

 固くなった心の膜がゆるみ、忘れかけていた感覚が静かに戻ってくる。 

そのとき――浅葱色の蝶が、そっと旅人の肩先をかすめた。 

羽は光を透かし、余計なざわめきを撫でるように落としてゆく。

 不安も、孤独も、言葉にならない痛みも、 「ひとりで抱えなくていい」と語るように。 


蝶とともに森を歩くと、ほどなくして澄んだ水音が聞こえてきた。 

 旅人は小川に腰を下ろし、蝶が静かに寄り添うのを感じた。 


浅葱の羽が揺れるたび、胸の奥の寂しさが柔らかな光に変わっていく。

 ふと、古い言い伝えを思い出す。


 ――“浅葱の蝶は、境界を渡る神の使い”。 


水と風と空のあいだを行き来し、 迷った魂のそばに寄り添い、再び歩き出す灯を残す存在。

 遠い昔、この蝶は祈りを運ぶ使いであり、 人の孤独にそっと寄り添う者だと語られていた。

 忘れ去られた想いも見捨てず、 心の底に沈んだ願いを、水面へ浮かばせる役目を持つと。 


小川を覗き込むと、凍っていた感覚が解けるように広がっていく。


 押し込めていた想いが、すっと動き出し、 胸の底で消えずにいた小さな灯りが輪郭を取り戻す。

 浅葱の蝶はその灯を確かめるように、ひらりと一度、旅人の周りを円を描いた。

 その動きはまるで祝福のようで、 「もう恐れなくていい」 そんな声が風に重なって聞こえた気がした。 

やがて蝶は、小川の光へ溶けるように姿を消した。 

ただその余韻だけが淡い青となり、旅人の胸に残る。


 ――たとえひとりでも、見守られている。 

その気配は、微かな灯となって静かに揺れていた。