安西 篤先生
https://ameblo.jp/tambo2201/entry-12641325792.html 【安西篤さんの句】より
現代俳句の俳人の中で一番、金子兜太さんと近くて、かって「海程」編集長をされていた安西 篤さまの作品をご紹介します。
11月15日発行の「海程多摩」が雄策宛に恵与された中の巻頭20句のうちの5句です
「海程多摩」(第十九集)より
昭和拾遺 安西 篤 (抜粋)
根深汁昭和拾遺の端に在り 時雨るるや雲のあえぎは鯨ほど
冬銀河今手の届く距離に師父 芝に寝て冬陽を受精していたる
冬の裸婦像青草色に縁取りぬ
*安西 篤氏は「海程多摩」発行人。現代俳句協会顧問。「海程」後継誌の「海原俳句会」代表。
https://akomix.blog.fc2.com/blog-entry-398.html 【虚実自在~造型俳句論をめぐる覚書(「海程多摩15集」原稿より)】より
金子兜太の「造型俳句論」に接続する数多のテクストの中から今日は「虚実自在」に触れてみる。俳諧とは「虚実の自在より、言語にあそぶ」もの(*1)と支考が言っている。しかし、虚=嘘、実=本当、と安易に誤解してはならない。
「虚」とは万物の根源である。儒教の太極(すべてが生成してくる根源)、仏教の真如(あるがままであること=空)、の如きものであるという。「虚」は言語によって「実」として表現される。「虚・実」は「心」において生じ、言語によって顕在化されるという。例えば山頂で満天の星を見るという「実」なる事象を通じて「虚」からの呼びかけがあなたの「心」を震わせる、その「驚き」や「感慨」をうまく言語化することが俳句を為すことであり、その一句によって「実」は「虚を担う実」として顕在化される。
「まず俳句を作るとき、感覚が先行する」と金子兜太が言う時の「感覚」とは、「虚実自在」の瞬間の「驚き」や「感慨」=「質感」または「クオリア」を感じ取ること。「感覚」する主体は「情(ふたりこころ・他に交わり向かうこころ)」であり、言語化するのは「創る自分」だ。
別の文脈で言えば、「物の見えたる光、いまだ心に消えざる中にいひとむべし」(三冊子)の「物の見えたる光」とは、「実」に見えたる「虚」の「質感」である。西洋ではベルクソンが「虚実自在」に気付いてそれを「直観」と名付けて喜々とし、ハイデガーが生涯をかけてくどくどと考え込んでいた「存在」の神秘とは、まさにこのことである。そして「虚実の自在より、言語にあそぶ」ということは、俳句に限らず、哲学を含めた言語アートの本質である。
(*1)『俳諧のこころ・支考「虚実」論を読む』岩倉さやか2003年ぺりかん社/P43
https://ooikomon.blogspot.com/2018/12/17.html 【安西篤「八月の重力ありぬ掌を組めば」(「海程多摩」第17集より)・・】より
「海程多摩」第17集(発行人・安西篤)、「あとがき」にもあるが、なんといっても特集「追悼金子兜太先生」である。「海程」は終刊したが、「海程多摩」はその名称とともに、そのまま継続するとある。それがいいと思う。その「あとがき」に、
我々は先生の衣鉢を継ぐものとして、「海程」の名を忘れることなく、新しい世代にも引き継いでゆきたいと思う。 と記されている。また、 「海程」がこの夏終刊。そこに集った多士済々の力を集め、新たな同人誌「海原」がこの秋生まれた。これに結集しつつ、同人誌という立場を同じく並航する。「海程多摩」の今後の航程はそう単純なものではない―。
とも記されている。ここでは、同人諸氏の「追悼の一句」を以下に挙げておきたい。
師の在りてこその秩父や青葉闇 安西 篤
春雷やどこまでもゆく一輪車 新井博子
梅雨の月全力疾走の猪照らす 石橋いろり
脊梁山脈見遣れば母郷橡の花 伊藤 巌
師の影追えぬ寂しさ諸葛菜 伊藤雅彦
麦の秋笑顔の兜太師いるような 植竹利江
老いて童心死して童顔水戸の梅 植田郁一
杜甫草堂出づ師と腕組めば月の匂い 大上恒子
死ぬまでは兜太と居たい曼珠沙華 岡崎万寿
葬(はふり)かな目鼻なくゆく葦の水 黒岡洋子
立禅の師の声ふっと春あけぼの 黒済泰子
鬱蒼とした温もりの片隅に 小松 敦
「研究会」語り尽きない蟇 小松よしはる
兜太師逝く急発進の春一番 篠喜美子
二月逃げる秩父音頭はヨーイアサ 鈴木砂紅
別冊のようですこの世の夕焼けは 芹沢愛子
如月や兜太全集屹立す 竹田昭江
大いなる不在たんぽぽの頸長し ダークシー美紀
魂に質量秩父に春満月 抜山裕子
炎天の墓碑忘るまじ蟹歩む 野口佐稔
毒舌は秩父訛りで梅真白 平田恒子
兜太師の選なればこそ曼珠沙華 三木冬子
竹の秋弔辞だんだん迷子のよう 宮崎斗士
狼を誘う蛍は兜太光 望月たけし
秋の田を風の馬過ぎ一狐去り 柳生正名
引き写す兜太の百句秋彼岸 山本きよし
さわらせてやわらかきてのひら犬神に秋 らふ亜沙弥
https://ooikomon.blogspot.com/2018/08/blog-post_29.html 【安西篤「災後七年いま災前や半夏生」(「海原」創刊号)・・】より
「海原(KAIGEN)」創刊号(2018・9月号、海原発行所)、安西篤「『海原』創刊の辞ー俳句形式への愛を基本とし、俳諧自由の精神に立つー」によると、
「海原」発足の方針は、すでに「海程」一月号において発表され、二・三月号において「海原」の理念は「海程」創刊時のものを踏襲していくことを表明しました。即ち、①俳句形式への愛を基本とし、②俳諧自由の精神に立つことであります。これは兜太先生が海程創刊時に打ち出された理念でありますから、この原点に立って「海原」は「海程」の歴史を受け継いでいくことに他なりません。先ずは先生の衣鉢を継ぎ、今後「海原」の成長過程の中で、時代に即応した体制整備を皆さんとともに築いてゆきたいということです。(中略)
新「海原」は主宰誌ではなく代表制とし、「海程」創刊時と同じような同人誌形式とします。当面執行部の体制は、代表・安西篤、発行人・武田伸一、編集人・堀之内長一(副編集人・宮崎斗士)のトロイカ方式で参ります。発行所は武田伸一宅となります。(中略)
私たちは、これから「兜太以後を」担っていかなければなりません。差し当たり「海原」の未来は、ポスト金子兜太五年間の帰趨が鍵を握っていると思われます。幸いにして海程人の多くは、「海程」のこれまでの絆を「海原」においても活かしたいと考えているようです。(中略)この機を逃さず、「海原」の基礎固めをしてゆきたいと願っております。
と記されている。誌面の構成などは、ほぼ「海程」を継承している。「編集後記」にも記されているが「同人作品五句の迫力。三句のときとは違う存在感に思わずも目を見張ってしまったのである」(堀之内)とあり、その通りだとおもった。その同人欄「碇の衆」「光の衆」「風の衆」「帆の衆」を一読するだけでも、愚生は意外に多くの方々の知遇を得ていたのだと、改めて気づかされ、これまでの厚情に感謝し、かつ今後の奮闘に期待したいともおもったのである。そのすべての方々の句を挙げるスペースを有していないので、ここでは「海程」時代からの古参同人「碇の衆」の一人一句を以下に挙げておきたい。
生涯現役生涯少年春の人 安西 篤(武蔵野抄1)
一つとや人と兜太とくちなわと 武田伸一(雜雜抄1)
陽炎児童後から陽炎老婦人 加川憲一
水温む鎖解れぬ被曝の地 鈴木八̪駛郎
困民党語り兜太師秩父夏 舘岡誠二
よだれ掛け前掛け共と朧なる 佃 悦夫
惜春の暦に誑かされてばかり 中村ヨシオ
韋駄天や髪ざんばらに樗の実 福富健男
青葉若葉の切っ先が今朝喉元に 堀之内長一
夏日ぎらぎら乱反射して沖縄よ 前川弘明
ガザの下この一本の日傘かな 森田緑郎
海原や九月の太陽が浮いた 山中葛子
愚生は、記事中、この他に、「豈」同人の堀本吟が山本掌句集『月球儀』の評を「月面の〈存在(ザイン)-地上の『虚無』」と題して執筆しているのに目をとめたこと。そして、また、これも贔屓にすぎないのだが、遊句会でご一緒させてもらっている会友作品「海原集」よりお二人の句を挙げておきたい。
母の日や母とならざる娘の日記 たなべきよみ
母の日や母亡き古稀を過ごしおり 武藤 幹