本当の寄り添いと癒しを知る:イエス様の愛に導かれて
(M.M)
「イエスさまと私たちの歩み ~セクシュアルマイノリティの証し集~」を読んだ感想です。
証しをして下さっているお一人お一人が置かれた環境のなか、状況のなか、ご自分の素直な言葉で証しされてあり、全てのページにイエス様が共におられると感じました。
ふと、金子みすゞさんの詩の“みんな違ってみんないい”という言葉を思いました。
あなたはそのままのあなたでいい。
みな生まれただけで100点満点。
私には2人の子どもがおり、そのうち1人は数年前に自死しました。亡くなった後に自死の原因がセクシャルマイノリティであったと初めて知りました。いつからそうであったかは今となってはわかりませんが親に気付かれないように必死で隠して、耐えて、頑張ってきたに違いありません。
私が、約束の虹ミニストリーの存在を知ったのは自死後しばらく経ってからで、同時に関連する本を数冊購入しました。
本人はいませんが、それでも子どもの事を理解したいとの思いがあったからですが、実際は、約束の虹ミニストリーへ連絡することもHPをじっくり見ることも、数冊の本を開くことも出来ませんでした。
子どもの自死の衝撃が大き過ぎて、後悔、自責の念でとても苦しくて、私だけが生きていていいのだろうか?という思いが繰り返し襲ってきては、振り払うのが大変でした。
そのような日々が数年続きましたが、少しずつ少しずつ落ち着いて、今に至ります。
最近思うのですが、もしうちの子どもが生存中に私にカミングアウトしていたら…私はどういう対応をしたのだろう?と。
実際、それはなかったのでわかりませんが恐らく当時の私だったら、受け入れようと努力はするものの…過去には医療従事者だったこともあり医学的に解決しようと病院受診をすすめたのかも知れません。
子どもに寄り添うことよりも、解決を優先させていたとしたら…子どもにとって最も拒絶されたくない親からそういう対応をされると余計に傷つかせる結果になっていたのかもしれないと思うのです。
約束の虹ミニストリーへ連絡させて頂いたのも、証し集を読ませて頂いたのもごく最近の事ですが、その全ての事を通して本当にイエス様の愛を知ることが出来ました。ここに導かれなければ私はパリサイ人のような信仰の歩みをずっと続けていたと思います。
私たちは生きていると様々な苦しみに出会い傷をいっぱい受ける時もあります。その傷はとても痛くて、とても悲しくて泣きたくなる時もあると思います。でも、その傷は必ず癒されると約束された傷です。
悲しみも続くかも知れません。でも、この悲しみの先には希望がやってきます。
「時」が来ればイエス様は必ず希望に変えて下さいます。必ずです!
たとえ見えなくても感じなくてもイエス様は
「私の目にはあなたは高価で尊い。私はあなたを愛している」とお一人おひとりを抱きしめて下さっています。そんなイエス様がいて下さるから大丈夫です!本当です。
私は、約束の虹ミニストリーを通して「寄り添う」という本当の意味を教えて頂いたようにも思います。
寄り添うとは、自分の意見や価値観を押しつけず相手の考えや感情を否定せず尊重し、少しでも理解しようとすること。
イエス様が私たちにして下さったように私もイエス様と共にそんな歩みが出来たらと願います。