声援を送る
2019.03.06 01:36
地下鉄を降りて地上に出ると、
いつもと違う景色だった。
東日本橋駅は東京マラソンの給水所となっていた。
ちょうど車椅子マラソンの後方選手が通りすぎた後で、
給水所のボランティアの方から声援がきこえた。
そこからアトリエまで歩く途中、
遠くからひときわ大きい歓声が聞こえた。
振り返ると遥か向こうの交差点を、
マラソントップ集団が、通りすぎるのが見えた。
走るために鍛えられた、ランナーのからだの美しさを見たくて、
足早にコースでもある両国に向かい、トップ集団を待ち構えた。
先導車両が遠くに見えたかと思うと、
トップ集団はあっという間に通り過ぎた。
沿道の方から声援が飛んだ。
僕も声援を送った。
声援を送ったら気持ちが込みあがって涙がでた。
声援が届いた。選手に、ランナーに届いている感じがした。
声援は届くんだとおもった。
声援を送る人でありたいとおもった。
自分の仕事と、物事を結びつけるのは変わらない癖だけれど、
自分の作る器は、表現(選手)ではなく声援でありたい。
この器でないとご飯が食べた気がしないとか、気持ちがシャンとするとか、
うれしくなるとか、ご飯が作りたくなるとか、
気づかないくらいのことでいいのだけど。
そのひとを気遣い作ったご飯が、おなかに満たされると感じるのも
同じく声援なんだと思う。
今まで自分が生きてこれたのも、出会った方たちの声援を受けていたから。
たくさんの人たちに迷惑をかけているのは、昔から進歩はないけれど。
今まで自分がいただいた声援を、今度は自分から送れるように。
元気に頑張る。