台湾について ―霊界物語二十八巻に学ぶ― 藤 井 盛
○西園寺公望と大本第二次弾圧事件
霊界物語五十二巻に、原敬と山縣有朋がそれぞれ敬助と片山狂介という名前で登場する【註1】。そして、二人は第一次大本弾圧事件の従犯と主犯だと示されている。
「私は敬助…ヱルサレムの宮を…叩き潰したのは…片山君が命令を…お前は従犯」
(五十二巻二四章「応対盗」次も同)
「私は片山狂介…軍閥で…幾万の精霊を幽界へ送つたか」
この章の口述は大正十二年二月十日で、二人が死去した後である(原敬大正一○・一一・四没、山縣有朋大正一一・二・一没)。
一方、四十七巻(一○章「震士震商」)に慾野深蔵の名で登場し、「地獄道の大門口へ放り込」まれる渋沢栄一【註2】は、口述時(大正一二・一・九)には存命である(昭和六・一一・一一没)。
【註1】応対盗人(『愛善世界』誌令和元年五月号掲載)【註2】渋沢栄一と霊界物語(『愛善世界』誌令和三年
九月号掲載)
このように存命中の人物の悪行が霊界物語で明らかにされているが、二十八巻に悪神として登場するサアルボースが、元老の西園寺公望だと『新月の光』にある。
「サールボースというのは西園寺のことである」
この日付けは大正十一年八月六日となっており、サアルボースが登場する二十八巻(一章「カールス王」)の口述日と同じである。口述即座に西園寺公望の名を、出口聖師が言われたことになる。
この時、西園寺公望(昭和一五・一一・二四没)は七十二歳。大正十三年七月に一人のみの元老となり、昭和天皇即位とともに「匡(きょう)輔(ほ)弼(ひっ)成(せい)(天皇を助ける)」を命じられ、総理大臣を指名する権限まで得ている。
まさに国政を左右する権力を持つ西園寺公望が悪神として、昭和十年十二月八日の大本の第二次弾圧を指示したことは想像に難くない。
なお、二十八巻の悪神サアルボースもカールス王に代わらんとの野望を持ち、悪政を展開している。
「玉手姫は悪神の化身…其水火(いき)より生れたるサアルボース…猛獣毒蛇の如く…アークス王の部下に仕へて…国家は益々攪乱(かくらん)紛糾(ふんきう)」「アークス王は…玉手姫の怨(をん)霊(りやう)に憑依され…上天」「アークス王の上天後はサアルボース…カールス王を排除し自ら其位置に直らむ」(二十八巻一章「カールス王」)
そうすると二十八巻でサアルボースに攻められる三五教教主真道彦は、西園寺公望に弾圧された出口聖師ということになる。
○二十八巻は台湾の物語
二十八巻は台湾の物語である。この台湾に十六年前(平成二十一年五月五日~八日)、出口信一先生のお世話で旅行があった。体調を崩された先生は参加されなかったが、葉書をいただいた。「大本宣伝使会の設立を教主さまにご快諾いただいた。大いに前進あるのみ」と結ばれてあった。
先生はこの年の九月に御昇天されたが、その五年ほど前から先生が全国で始められた霊界物語勉強会を契機に、私は霊界物語に本気で取り組むこととなった。
さて、この旅行先に日月譚(じつげつたん)という湖があった。北が日の形で南が月の形だが、二十八巻にも日月譚が出て来る。日月譚の中にある玉藻山が、真道彦が教主の三五教の聖
地となっている。
実際に、拉魯(ラル)島という原住民サオ族の聖地がある。日本統治時代には玉島と呼んでおり、玉藻山に通じるのだろうか。
○台湾の日本統治
台湾の日本統治は、明治二十八年(一八九五)から昭和二十年(一九四五)までの五十年間である。日本が日清戦争で勝って台湾を割譲され、太平洋戦争で負けて放棄している。
まさに、日本が列強に伍(ご)そうと海外侵略に挑んだが、敗れて破(は)綻(たん)した日本の歴史そのものを反映したかのようである。一方、この五十年は、大本の開教・明治二十五年から大本第二次事件解決の昭和二十年までと、ほぼ重なっている。
また、なお開祖の次男清吉が、明治二十五年十二月に近衛師団に入隊し、台湾で明治二十八年八
月、戦死したことになっている。
しかし、大正十三年の入蒙の折、出口聖師は清吉の娘蘿(ラ)龍(リウ)と会い、清吉が生きていたことをお知
りになる。
「わが父は蘿(ひかりかづら)の身にしあれば蘿(ラ)清(シン)吉(キツ)とぞ名乗りゐたりき」(入蒙記・入蒙余録「蒙古建国」)
なお『入蒙秘話』(出口和明著)には、「確実に昭和十四年までは健在であった」 (一八四頁)とある。
○出口聖師の台湾御巡教
大正八年末から台湾での宣教が本格化している(『大本七十年史上』四五六頁)。
かつて、『愛善世界』誌(平成二十七年七月号)に「台湾時代の思い出」と題し、山口本苑の多賀谷紫さんにインタビューをしたが、多賀谷さんの家が大本に入信したのは大正十二年頃で、『人類愛善新聞』がきっかけだと言われた。
また、お父さんが台湾の彰化(しょうか)支部長をされていた時、昭和五年と十年頃に出口聖師と二代様が泊まられたと話された。ただ、出口聖師の台湾御巡教は四回(『大本七十年史』・『大本略年表』(愛善世界社))であるが、昭和五年には来られていないので、泊まられたのは六年か八年であろう。
◇一回目 昭和二年十二月九日~昭和三年一月三十一日(台湾・琉球・九州) 〔年表のみ〕
◇二回目 昭和六年一月一日~三十日天恩郷 基隆、台湾(草山)別院開院、嘉義、阿里山、日月譚、高雄、二水、南投、台中、台北、宜蘭 〔年史・年表〕
◇三回目 昭和八年八月十二日~九月四日 基隆別院、台湾別院(草山)、花蓮港支部、宜蘭支部、台中、南投、二水分院・台湾神社、台北分所、基隆別院 〔年史・年表〕
◇四回目 昭和十年三月九日~二十七日 基隆、 台北、台湾神社、台湾別院(草山)、台北支部、台南、高雄、嘉義、台中、彰化、花蓮港支部、基隆支部 〔年史のみ〕
なお、出口聖師の行かれた場所を地図に落としてみると、ほぼ全島にわたっている。
また、『神の国』(昭和三年一月号・『言華』上巻)に、台湾を詠まれたものがある。一回目の台湾御巡教の折のもので、「五十六億七千万明けし」や「坤神の嶋」は、昭和三年三月三日の弥勒下生を連想させ、「心(うら)安(やす)らけく」とも詠まれている。
「すみ渡る五(イ)十(ソ)六(ム)億(オ)七(ナナ)千(チ)万(ヨロヅ)年(どし)明けし昭和の初日の出かな」
「高砂の嶋に名高き新高(にひたか)の雪にかがやく初日の出かな」
「日本支那(しな)生(せい)蕃(ばん)人(じん)と三つ身(み)魂(たま)住みて安けき坤(こん)神(じん)の嶋」
「高砂の島に渡りて吾身魂心(うら)安(やす)らけくなりにけるかな」
なお、出口聖師は歌碑を、昭和八年から十年まで三十三基建立され、台湾においても二基を建立(台湾別院草山・基隆別院)されている。
私は以前、「罪を贖い続ける贖い主」(『愛善世界』誌令和四年六月号掲載)で、出口聖師が歌碑を建てられ、あるいは全国を回られたのは、贖い主の言霊で各地を清めるため、また、国土を天柱に繋(つな)ぐためだとまとめた。出口聖師は、本土と同様のことを台湾でも行われたということである。
「吾こそは言霊清き蛭(ひる)子(こ)なり
国のあちこち歌碑(うたぶみ)建つるも」
(「大本教学第七号」教学研鑽所編・八一頁)
「一つには此の國土を天柱に繋(つな)ぐ爲(た)め」
(「惟神の道」みいづ舎・三五六頁)
それはなぜか、台湾島も本土と同様、世界の各大陸の胞(え)衣(な)であるからである。
○台湾島は南米大陸の胞(え)衣(な)
「常夜の波も竜世姫 高砂島の胞衣として 神の造りし台湾島」 (二十八巻一二章「サワラの都」)
台湾島は高砂島(=南米大陸)の胞衣だとある。六巻(二五章「金勝要大神」)には、日本全体が世界の各大陸の胞衣だとある。
〔世界の大陸〕 〔胞衣たる日本〕〔国魂〕
竜宮島(=豪州) 四国 真澄姫神
筑紫の島(=阿(あ)弗(ふ)利(り)加(か)大陸) 九州 純世(すみよ)姫神
蝦夷(えぞ)の島(=北米) 北海道 言霊姫神
高砂の島(=南大陸) 台湾島 竜世姫神
葦原の瑞穂国(=欧亜の大陸)大和の国 高照姫神
※五柱の総称 金勝要神
なお、国魂神の総称である金勝要神が御霊である二代様が、出口聖師に先がけて大正十二年(一一・二五~一二・六)に、国魂が竜世姫の台湾島を巡教されている。
また、特に高砂島は、厳の御魂を秘された聖地で、神政成就の折には高砂島の御魂を使うとある。
「高砂の神島は国治立命の厳の御魂の分霊を深く秘しおかれたる聖地…神国魂の生粋の御魂を有する神々の永遠に集ひたまふ経綸地…神政成就の暁、この聖地の神司の御魂を選抜して使用」 (二巻七章「天地の合せ鏡」次も同)
こうした重要な経綸の地である台湾島が、日本の領土で行き来が自由であった短い時期を出口聖師は逃さず、四度も台湾に行かれたということになる。さらに
「この島は四方荒浪をもつて囲み、みだりに邪神悪鬼の侵入を許されない」
とあり、「台湾有事」は容易に起きないのではないか。
○二十八巻に学ぶ
二十八巻の勉強会を、出口孝樹氏を講師に今年八月、大本山口本苑で行った。
花森彦命を祖とする王家とその権力を狙う悪神のサアルボース、また、王家や民衆を助けんとする三五教の真道彦の三者の間で物語が展開する。その関係図を出口氏が書かれた。
最終的には悪神は退けられ、民衆も政治に加わり、台湾島は王も信仰する三五教の神国となる。
「トロレンスをも重く用ゐ…カールス王は真道彦命…を導師と仰ぎ…三五教の信者となり…天下は…三五教掩護(えんご)の下に…神国と治まる」 (一八章「天下太平」)
このトロレンスのことが『新月の光下』にある。
「トロレンスとあるのは、トロツキーとレーニンとスターリンを面倒くさいから一緒に言ったのだ」 (昭和二十一年・三五七頁)
政権から悪神の西園寺公望を退かせて、ロシア革命の共産主義者三人を加えている。二十八巻は、まことに濃い政治ドラマでもある。
さて、二十八巻で、いくつか気づいた点がある。
(一) 霊魂の由来
二巻に、王家の祖たる花森彦命が出て来る。花森彦命は、邪神に色香で迷わされ、さらにそれが稚桜姫命の幽界追放にまで影響を与えている。
「唐子姫の涼しき眼(まなこ)は、つひに花森彦を魅するにいたつた」 (二巻四三章「濡衣」)
「夫婦の戒律を破りたる極重罪悪神…稚桜姫命は…幽界にいたり、幽庁の主宰者たるべし」
(二巻四五章「天則違反」)
その後花森彦は「迷夢を醒まし」(二巻四三章「濡衣」)、さらに三巻では、自分の従臣を色香で誑(たぶら)かす悪神「玉手姫」の正体を曝いている。
「青色の玉を取りだし、玉手姫の面上を射照したまへば…たちまち悪狐と変じ」
(三巻四章「鶴の首」)
この玉手姫が、さらに二十八巻で再登場し、その血を悪神サアルボースが継いでいる。
「玉手姫は悪神の化身たりし事は、『霊主体従』寅の巻(三巻)の物語に於て示したる通り」
(二十八巻一章「カールス王」以下も同)
なお、花森彦の霊魂は至粋至純で、現在もその子孫は神の御魂を維持している。
「花森彦の至粋至純の霊魂は…青色の玉とともにこの島に永久に隠され…子孫も今に儼存し…神の御魂を維持し」(三巻四章「鶴の首」)
霊魂には由来があり、しかも、善行が子孫にまで影響を与えるとある。現在の信仰は大事である。
(二) 悪神を曝く玉と鏡
王家や宣伝使真道彦が、悪神のために窮地に追い込まれる中、国魂神の竜世姫の導きのもと言依別や国依別、常楠仙人の玉や鏡に助けられる。前巻の二十七巻で出て来る琉と球の玉が、二十八巻において威徳を発揮している。
「聖地を去り…琉球の…三五教の神司兼国王たる照彦、照子姫…救援を求めよ…国魂神竜世姫命なるぞ」 (二十八巻一○章「縺れ髪」)
「日楯、月鉾…琉、球の玉の威徳に感じ…身体より強烈なる五色の光を放射」 (三章「玉藻山」)
「日楯は…赤玉を…月鉾は白き玉を…ユリコ姫、八千代姫、照代姫は…三個の鏡」
(一四章「二男三女」、一六章「盲亀の浮木」)
「鏡は忽ち強度の光輝を発し、敵軍は一人も残らず、眼(まなこ)眩(くら)み、心(こころ)戦(おのの)き」(一六章「盲亀の浮木」次も同)
「赤、白の宝玉を…射照らせば、セールス姫は忽ち金毛九尾の悪狐と還元し、其他の侍臣等は残らず、悪鬼、悪狐となつて…中空に煙の如く
消えて」
神様のために働こうとすれば御守護があるということ。世間の人々は信じないかもしれないが、我々の信仰の支えである。
(三) 現代に続く霊界物語の世界
日盾、月鉾は、神勅により琉球の八重山島のサワラの都に行くが、「今の八重山群島は球の島の一部が残つて」(二十七巻一七章「沼の女神」)とある。
サワラの都は「三十万年前の都会としては、最も大なるもの」(二十八巻一二章「サワラの都」)とあるが、八重山群島で台湾に最も近い与那国島に、神殿のような「与那国海底遺跡」がある。サワラの都の一部だろうか。
(四)二十八巻と第二次大本弾圧事件
二十八巻の冒頭の序歌と総説歌は、それぞれ有名な宣伝歌の「月光世に出ず」と「大聖師」である。
〇序歌〈月光世に出ず〉(大正一一・八・一○ 次も同)
「月光いよいよ世に出でて 精神界の王国は
東の国に開かれぬ…… 誠の神の声を聞け
霊の清水に渇く人 瑞の御魂に潤へよ」
〇総説歌〈大聖師〉
「三千世界の人類や 禽獣虫魚に至る迄
救ひの舟を差向けて 誠の道を教へ行く
神幽現の救世主 太白星の東天に
きらめく如く現はれぬ…」
いずれも出口聖師が救世主であることを示されたものである。こうした二十八巻で展開されるのは、三五教真道彦の苦難である。意に反して出陣をし、裏切りにも会い牢獄に入れられている。この真道彦に竜世姫の神勅がある。遭難の苦労がなければ、救世主の任務は全うできないとある。弾圧は不可避。
「真道彦命の此度の奇禍は、すべて神界の経綸に出でさせ玉ふものなれば必ず案じ煩(わづら)ふ勿(なか)れ。頓(やが)て晴天白日の時来るべし。真道彦命、此度の遭難なくば、到底三五教の救世主としての任務を全うする事能はず。今日の悲しみは後日の喜びなり、必ず必ず傷心する事勿れ」(二十八巻一○章「縺れ髪」)
二十八巻に出て来るサアルボースが西園寺公望であることから、大正十一年(一九二二)八月の段階で、十三年後の昭和十年(一九三五)十二月の第二次大本弾圧事件を予言したものとなっている。
弾圧の理由は、「みろく下生」たる出口聖師が、天皇に代わって日本の君主になろうとしたからというもの。
「天皇…大日本帝国の立憲君主制を廃止…出口王仁三郎を独裁君主…国家建設を目的とせる大本…昭和三年三月三日が…みろく大祭…大本教義に基き我国体を変革」
(第二次大本弾圧事件 第一審判決)
しかし、二十八巻で真道彦は神政に仕え、王位には就かないと断言している。
「花森彦命を天降し玉ひ顕事(あらはごと) 幽事(かくりごと)をば真道彦命に依さし玉ひし」 (一四章「二男三女」)
「教を伝ふる吾身をば 現世的(げんせいてき)の救(すくひ)主(ぬし)ぞと心の底より誤解して」 (一七章「誠の告白」)
「専(もつぱ)ら神政に仕へ、現界の政治に容喙(ようかい)せざるを以て天職となし来りたるものなれば、如何なる事情あり共、吾は政教両面の主権者となり、王者の位地に進むべき者に非ず」
(一八章「天下泰平」)
現世的(げんせいてき)ではなく、幽事(かくりごと)を依させられた救世主が出口聖師ということになる。
(令7・12・16記)