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わたしの引き出しの奥から Vol.4 アーティスト スズキアキコ

2019.03.11 08:30

かっこよく生きたいわたし。

誰かの憧れでありたいわたし。

頑張ることに疲れたわたし。

これから出会うのは、迷いながらもまっすぐに、自分らしい人生を重ねている女性たち。


「わたし」とは、彼女であり、あなた自身です。 彼女たちの言葉が、わたしらしい明日を生きるためのきっかけになりますように。


華やかに空間を飾るには必要不可欠な、鮮やかで色とりどりの花。力強さ、そして儚さ。植物が持つその無限大の可能性を、フラワーアーティストのスズキアキコさんは「密林東京」としてカタチにする。

結婚式やイベント会場の装飾、ブーケやアレンジはもちろんアクセサリーなどの小物まで植物を使って作ってしまう彼女。

彼女自身、花のようなパッと明るい笑顔で笑うのと同時に、生い茂った森のようなどこかミステリアスな部分を併せ持つ。作品同様どこまでも深いその人柄に、魅了されていく。


―植物を使った作品はいつから作るようになったのですか?


花屋に就職したのがきっかけでした。町の花屋だけでなく、結構お堅い仕事をしている大きな会社だったので、もっと自由にものを作りたいなあと思って。もともと手を動かすことが好きだったので、ちょこちょこと自分で作品を作り初めました。ただ当時は、何かを作ることよりもアフリカのダンスにはまっていたんです。


―アフリカのダンス??植物でなく?


「仕事より何をするよりもダンス中心の生活でした。仕事が終わったらすぐダンスをしに行って、土日もずっと踊っていて。それがきっかけで音楽関係の人との繋がりが多かったので、ステージ装飾なんかを少しずつを依頼されるようになっていきました。実は、仕事を辞めたのは独立するためではなく、とにかくダンスしたかったからなんです。1ヶ月とか2ヶ月とか、ゆっくり時間を取ってアフリカに行きたいと思っていたんですけど、そんなに有給取れないじゃないですか。それならもう、やめちゃえーって(笑)当時は、『死ななきゃ大丈夫でしょ』くらいにしか考えていませんでした。退職してからはアフリカに行ったり、ダンスしたり。2年くらいアルバイトをしながら自由気ままに暮らしていました」


―植物を使った創作活動は、ダンスと同じように続けられていたのですか?


「創作もそうですが、会社を辞めてからは花の仕事がちょっとずつ増えていきました。やらざるを得ないというか、独立をしなくてはいけないっていうくらいまで仕事の比重がお花になって、密林東京として独立しました。最初始めたときは、おこずかいをもらって作りたいものを作らせてもらっている感覚だったので、自分の中で創作と仕事は特に違いがなかったです。花を使って何かを作ること自体がすごく楽しかったから、その材料費をもらえることが嬉しくて嬉しくて!当時は、『これ面白い』『あれ面白い』ってとにかく見て、感じて、作りたいと思ったものをただただ正直に作っていました」


―これまでで、思い入れのある作品はございますか?

「これ(上記写真)、よく行く山の中で作ったものなんです。そこに石切場があって、機械でなのか人の手でなのか、どうやって掘ったのかはわからないけど、石が綺麗に切り取られていて。山の麓からそこまでの道のりって40分くらいあるので、たどり着くまでにすごく疲れるんですよ。その距離を、おじさんたちが石を持って運んでいたのを想像して、『何人死んだんだろう』って、『たくさん死んだんだろうな』って、思ったんですよね。その場所の手前にはお榊がふわっと植えられていて。それを見ていたらいろんな感情が湧いてきたんです。その思いを形にしようと思いました」


―“作ろう”と思ってロケーションを決めるのではなく、その場所が作品を“作らせた”というか。


「そうですね。素材は全部山採りして、デザインもその場で考えました。ちょうど藤の時期だったので藤を使ったんですけど、いざ採ろうとしたら蜂がたかっていて採れなくて。インターネットで調べたら、蜂は昼間にしか活動しないって書いてあったので、朝4時くらいに起きて採りに行きました。おかげでものすごくいいものが採れたんです。いつも簡単に市場で花を買うことができますよね。でも本当は、花って自然のものだから、自分がそうやって手をかけて、生きている状態から絶つということが、当たり前のことだけど大切。それを味わいながら作りました」


―海外旅行にたくさん行かれているとお伺いしましたが、そういった“場所の力”みたいなものが作品やスズキさん自身に影響を与えていたりするのでしょうか?


「以前ペルーに行ったとき、スペイン語なんて全く話せないのに、とにかくジャングルに行きたかったんです。そしたら運よく紹介してもらえることになって。とはいえ言葉が通じないので、どこに行くのかもわからないままついて行ってみたら、ものすっごい山奥。片道9時間くらい登山しなきゃ行けないようなところに1週間くらいホームステイすることになりました。それが、本当に何にもない村だったんです。『“自然との共生”ってこういうことか!』みたいな。料理するのも、体洗うのも、トイレも、全部川。豆も生えてるし、バナナもなってるし、魚は取れるし、鹿みたいな動物もいるし。そこで採れるものだけで生きていける。料理も正直美味しくないし、すっごい不便なんですけど、その1週間くらいの生活が、なんだかすごく気持ちよかったんですよね」


―“自然との共生”を実際にしてみて、何か思うところがあったのですね。


「簡単に言えば、今の生活で当たり前にしていることがどうしてなのか、自然と理解できたっていう感じです。例えば、毎日山を登って川に水を汲みに行っていたんですけど、土が柔らかいから日本みたいに清流じゃないんですよ。基本的に濁っているから、綺麗な瞬間にすくわないと、飲む気がしない。綺麗な瞬間って言っても“ちょっとまし”なだけなんですけどね。『自然由来の石鹸を使おう』とか、『油を流すな』とか、日本でも当たり前のように言われていますけど、あまりにもリアリティがないから、『まあ別にいっか』って思っちゃうじゃないですか。でもそんな状況だと、ようやく上から流れてくる濁りが比較的少ない飲めそうな水に、シャンプーの液なんか混ざっていたら飲みたくないから、流す気にもならないんですよ。それまで腑に落ちてなかったことが、『あ、そういうことだったのか』って、自然と体にスッと入ってきました。帰ってきてから全部を実践できているわけではないんですけどね」

―身をもって経験なさったんですね。


「その時は、南京虫にもやられていました。虫刺されの薬は全く効かなくて、そこにいたシャーマンみたいな人がいろんな土やら何やら混ぜたのをくれたんですけど、それも全然効かない。『かゆい〜!』とか言っていたら、ホームステイ先のお母さんが見兼ねて変な薬塗ってくれるんだけど、なんとそれ、家畜用の薬(笑)豚とか牛の絵が書いてあるの。それでも効かなかったんです。もうどうしようもなくって。寝る前って、体温が上がってすごいかゆくなるじゃないですか。かゆくてかゆくて、でも掻いちゃうと悪化しちゃう。『これはもしや心の問題なのでは?』と気付いたんです。とりあえず横になりながら息を整えて、気持ちを“無”の状態に持っていけば、かゆみは消えるんじゃないかって思って。実際、それが一番効きました。マインドコントロールってすごい!大体のことは自分の気持ち次第で耐えられますもん。辛いって感じたら、とりあえず呼吸を整えて、『辛くなーい。全部気のせいだー』って思いこむ。そういう術って、南京虫との戦いに限らず、どんな場面でも応用できると思っています」


―そのジャングルの経験はいろんな意味で衝撃的だったわけですね。


「水の話も、南京虫の話もそうなんですけど、それ以外の面でもすごくいい経験になったと思います。向こうの森って日本の綺麗な森とちょっと違って、すごく力強いんです。ナタを持って、道を切り開いて歩いて行くんですよ。そのナタで切られて、枯れた枝木がバサっと倒れている横で、ブワアアアって新しい草が生えているんです。繊細というより、もっと荒いというか。死ぬのと、生きるのが交錯しているのをすごく感じました。そんな、海外で見たいろんな景色が今の作品に繋がっていると思います」

―結婚式やイベントの装花をよくやられていらっしゃいますよね。


「イベント装花の仕事って、設営は大体3,4時間とかなんです。ほんと部活ですよ、部活(笑)終わった後とか、ゼーゼーしてます。学生時代、バレーボールをやっていたんですけど、その時に本当に似てる。イベントの仕事だけじゃなく、お客さんがいる仕事は『どうにかしなきゃ』っていう責任がいつも付きまとうので辛いし、ストレスを感じることもあります。こうやって取材していただいたりして、“すごい人”って思ってもらえるのかもしれないんですけど、わたし、すごく頑張っていますし、余裕ないですよ。本当に忙しい時は、3日お風呂入れないとかザラだし、隈もいつもすごい。部下に話しかけられても「ぁあ?」みたいに言っちゃうこともあります(笑)」


―部活以上の厳しさですね!


「でもそれも“修行”だと思っていて。ただひたすら回転レシーブをするように怒涛の仕事をこなすことは、何かの制限の中でそれを最大限までやれるようになるためのトレーニングなんだと思うようにしています」


―どんなに忙しくても、それを上を目指す過程と思えると。


「やりたいことをやっているからだと思います。どんなことでもできるのは。結局、花を触るのがすごく好きだからなんでしょうね」

「わたしの仕事は自然を切り取っているし、殺すじゃないですか。極端に言うと。すごく短い時間の中で生死が繰り広げられている。今はそういうことを考えながら作品を作っています。時間もそうですけど、絶対に形を留めないじゃないですか。ずっとそこに残り続けるものもあるけれど、今の瞬間しかそこになくて、少しでも時間が経つと変わってなくなってしまう。葉っぱも花もそうです。時間が経つとカラカラになって、握るとクシャってなくなってしまう。その瞬間しか見られない、そういう一瞬の儚さみたいなもの。それをどうやって魅せるかが今の私の一番の課題ですし、それを表現できることを心から楽しんでいます」

「はじめたばかりの頃は自分の技術に自信がなかったので、思った以上のものができて、いつも感動していました。でも今は、あの時の感覚を超えられない。昔と比べたらすごくいい暮らしだと思うんですよ。好きなことを仕事にできて、時間も自分で調整できて。それはすごく嬉しいことです。このまま続ければこの生活を保つこともできると思う。でも、やっぱりそれももう面白くないなって。面白くないというと極端ですけど、もっと今の“わたし”を超えていきたい。もっと挑戦して、もっともっといいものを作りたいんです。いつも、毎回、自分が本当にいいと思えるものを作る。そんな仕事をしていきたいと思っています」


スズキアキコ

香川県高松市生まれ。美術大学を卒業後、某花屋に就職。店舗での勤務、ウェディングの装花などを手掛ける。型にはまらずに植物を使いたいと、退職後は完全なオーダーメードによる制作を始め、2013年秋、「密林東京」を発足。ウェディング、ライブデコレーションや、商業施設などの空間づくりから、アレンジメントやアクセサリーなどの小さな物までオーダーメイドで制作している。


(取材・文 道端 真美/撮影 長尾 隆行)