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みーちゃん

信じる

2019.03.05 12:02


「信じるって、習慣化することが必要だから…」

と話している自分の言葉を聞いて、

なるほど!と思った。


普段、感じていても言葉にしていないことが、

人に質問をされると、

ふっと浮かび上がってきたりする。

しまわれていた、自分自身に再会する瞬間。


インドに行くようになって、

「信仰」というものへの、心の壁がなくなった気がする。

むしろ、「ああこれが、わたしの欲しかったものだな」という感じ。

特定の宗教や神さまを信じているわけではないけれど、

「信じる」ということが、

血のように、当たり前に必要なものであることを知った。


乱暴なまでに、ごくごく単純にすると、

信じられなくなるから、悩み、不安になるのだと思う。

そして信じることは、

叶えるために必要というよりは、

健やかに過ごすために必要だと感じている。


神棚をお掃除したり、儀式をしたり、

勉強をし続けたり、修行をするのも、

信じるということを日々の習慣にして、

強めていく行為だな、と思う。


スポーツ選手も、職人も、

道を極めていく人は、そういう意味で似ている気がする。

信じられるように、日々、自分に向かう。

自分の弱さも強さも知り尽くし、

成長を願って、一歩一歩、必要なことをしていく。


最近、自分でできるようになったことは、

不快な状態を気にし過ぎず、留まれるようになったこと。

特に、自分自身の感情の、

苦しみや、さみしさや、苛立ちや、恐れ。

そういう、好きでもないし、心地よくもない自分もいて、

「それでいいんだよ」って、

自分に言ってあげられるようになったこと。


今まではやっぱりどこかで、

不快な自分から、

どうにかして早く逃げ出そうとしていた気がする。


でも未だに、

それをそのまま他人に垂れ流すことができない。

それは性分なのかな~。

ほんとはそうした方が、

その場で消えていって、健やかな気がするんだけど。


「目がきれいだけど、食べものに気を使っていたりするの?」

という質問も、同じ時にされたのだけれど。

食べものはいたってフツー。

ラーメンとかも好き!スナック菓子も食べちゃう!


でも目は、

自分自身の内面のバロメーターかも。


目が澄んでいるときは、

信じられているとき。

自分の中でエネルギーが、

中心にぐっと集まり、

そこから外に向かって流れている。


目が濁ってきたときは、

不安なとき。

自分の中でエネルギーがとっ散らかって、

向きも混乱してるので、

いろんなところで滞り、流れていかなくなる。


自分に自信がなくなると、

人がうらやましく思えたり、

こんなわたしじゃダメだ~…という気がしてきちゃう。

人と自分を比べはじめたときは、

エネルギーを自分の中心に戻すこと。


社会や外からの目線も大事なものではあるけれど、

(社会とかかわって生きていくから)

でも原点は、自分の心が満足していること。

そこをまず、大事にしたい。


そうしてはじめて、心から、

祈れる自分に戻っていける。

祈りは行為よりも、心持ちやあり方だと思っている

(思ってるだけで、まだまだだけど、笑)。

そうすれば自然と、そこから行為が生まれてくるから。


もうすぐ畑のシーズン!

土や野菜といると、

シンプルな自分に戻る。

きっと彼らも、わたしの先生なんだろうなー。