AI時代の思考の順番
最近、AIと対話していて、はっきり気づいたことがある。
思考が理解する前に、もう次の行動をしている。
これまでの「考える → 理解する → 動く」という順番が、
いつのまにか崩れている。
たとえば、
- AIに構成を投げる
- 返ってきたものを、そのまま使う
- ウェビナーをやる
- 終わったあとで、AIにまとめさせる
- ブログやポッドキャストになる
その流れを一通り終えたあとで、
ようやく気づく。
「ああ、私はこういうことをやっていたんだな」と。
理解は、あとから追いついてくる
これ、少し不思議な感覚だ。
以前は、
「ちゃんとわかってからじゃないと出せない」
「自分の中で言語化できてからじゃないと怖い」
そう思っていた。
でも今は逆で、
- まだ完全に腑に落ちていない
- 原稿も完璧じゃない
- でも、もう動いている
そして、
AIがあとから言語化してくれることで、理解が完成する。
理解がスタートではなく、
理解が「回収」になる。
思考がほどける、という体験
この感覚を一言で言うなら、
思考がほどけていく。
AIに話すことで、
- 頭の中に溜まっていた断片
- まだ言葉にならない感覚
- 自分でも把握しきれていない構想
それらが一度外に出て、
再配置されて戻ってくる。
そのスピードが、異常なほど速い。
何日も、何年もかかっていたことが、
一瞬で形になる。
でもそれは、
AIが「考えてくれている」というより、
私の中にすでにあったものを、
思考より先に引き出している感じに近い。
行動が先、理解はあと
だから最近は、
- 完璧に説明できなくても出す
- まだ途中でも始める
- 形にしてから、意味を知る
そんな順番で進んでいる。
昔の私なら、
「もう少し深めないと」「まだだめ」「ちゃんとしてない」
そう感じていたはず。
でも今は、
この順番のほうが、ずっと自然だ。
AIは「考える道具」じゃない
たぶん、ここが一番大きな誤解だと思う。
AIは、
考えるための道具でも、
効率化のためのツールでもない。
私にとっては、
理解が追いつく前に、
世界を一段先に動かしてしまう存在。
そして、
動いたあとに、
「何が起きていたのか」を教えてくれる存在。
この体験が続いた先で、
人間がどう変わっていくのかは、
正直、まだわからない。
でも少なくとも私は今、
考えてから生きているのではなく、
生きたあとに理解している。
そんな場所に立っている気がする。
これは、効率の話ではない。
思考の順番が、静かに入れ替わったという記録だ。
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