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トンネルの向こうは今に続いていた

2019.03.05 15:11

トンネルを抜けたら別世界が広がっている……

そんな空想を安易にしてしまうのは、川端康成のせいかしら……?


30年ぶりに列車で山形へ向かった。

タイムマシンに乗ったつもりで、トンネルを抜ける度に、その長さによって、今ので1年、今度は5年などと、時間が逆戻りし自分が若返っていく想像をしてのんきに喜んでいた。

全てのトンネルを抜けた先には、懐かしい思いに胸がキュッと締め付けられるような、そんな景色があることを期待していた。


山形駅着。

ホームにはJR東日本共通の駅名表示の看板。自動改札に切符を通し、どこにでもあるようなエスカレーターに乗ると、やはり見慣れた改札出口。

ガランとした灰色の駅のコンコースが続く。

駅前にはいくつかのビルが建ち、全国チェーンのホテルが並んでいた。

周辺はすっかり整備され、道も広くなっていた。

駅に集う人たちは、いなかった。

通りを行き交う人は、まばらだった。

整えられた殺風景な無言の街が、浅い呼吸をしていた。

どこかにかつての面影はないかと大学までの約2キロの道を歩いた。

大通りは様変わりをしたとしても、小道に入れば、何かは、どこかは……と。

    

歩く人がまばらな知らない街の2キロは案外遠かった。

大学正門前。

春休みだからなのか、土曜日だからなのか、やはり閑散としている。

記憶の中の地図通りに配置された校舎が、黙って佇んでいた。

案内に従って校舎内に入る。

すっかり新しくなっていた内装にキョロキョロしながら、廊下に用意された受付の机に向かう。

すると、前方の教室の扉が開いた。

そこから懐かしいお顔の先生が現れた。


ああ、変わらない先生のお姿、声。

何を話したらいいのかわからない。

ただ嬉しくて、駆け寄る。

30年の隔たりを抱きしめる。

涙がこみ上げる。


扉の中の教室は、壁も机も椅子も黒板も全てが新しく、プロジェクターやスクリーンがセッティングされ、窓際にあったスチームは勿論なく、

十分に暖められ、十分に明るかった。


座る席を探そうと、どこかに知った顔はないかと探していると、クラスメイトの顔と出会った。

研究室こそ違えど、同じ国語科を専攻した友。

30年ぶりに並んで座る。

近況報告をし合う。

覚えていることは大して多くないが、

ただただ懐かしく、心が和む。

さて、最終講義を聴講して、私はとても驚いた。それは、大学の4年間、殊に専門課程に進んでからの2年、さらに小川研究室での1年半の学びが「今」の私としっかりと繋がっていることを発見したから。


先生は「心の内なることば(内言)」に着目した国語教育をずっと研究していらした。

それは「話す 聞く 読む 書く」という国語の四つの領域の源泉となるもので、国語教育においても大切にされるべきというお考えのもので、先生はその実践を幼小中高の各学校で、また学生への指導の中で継続されてきた。

さらに、新たな時代の教材として「神話」の教材化も『古事記』を原典に進めていらっしゃった。

一方私は、子どもの詩に表れる豊かな情感に感動し、この分野での卒論を試みた。

不勉強さと経験不足から、卒論は歴史的背景を辿る程度のお粗末なものだったが、

私の関心はあの頃から「ことばになる前のココロの動き おもい」に向いていて、

だから小川先生の研究室を選び、

卒業後、教職に付かなかったにもかかわらず先生とのご縁を繋がせていただいてきたのだと思い至った。


今、私は、先生の研究テーマ「心の内なることば」に〝国語教育〟とは違う分野で、

自分で詩として表すことで触れている。

また、先生が国語科教材という立場から触れられている『古事記』には、別の入り口から入り、やはり出逢っている。

教職につかず、山形からも離れていたけれど、同じ方向を向いて歩いていた。


トンネルを抜けると別世界が広がっていると思っていたけれど、

トンネルを抜けた先は、今に繋がっていた。


何を選んでいても

どの道を進んでいても

ココロはこの道を求めていた!

ココロの求める道をわたしは今歩いている。


お世話になった小川先生のご退職記念最終講義で、大きなうれしい学びと気づきを得た。