大学の力を最大化する施策の選び方2【University Insight】
University Insightでは大学内の一研究者の視点から,大学をもっと良くするためにはどうすれば良いかを考えていきます.
本記事では,前回紹介した自動車軽量化の「Jカーブ図」を元に「大学版Jカーブ図」を作成してみます.最終的には,大学におけるいくつかの施策例について,それぞれがどのようなベクトルになり,Jカーブをどのように描き得るのかを,思考実験として検討してみたいと思います.
【施策例】
たとえば下記のような施策案があったとします.思いついた順です.
① 多重的な授業チェックの実施(試験・理解度チェック・満足度アンケート)
② オープンキャンパスの開催回数UP
③ 非常勤講師数の削減
④ 学科付き事務職員の廃止
⑤ プロパー事務職員削減&派遣化
⑥ 施設へのネーミングライツ事業
⑦ 若手教員への研究費支援
⑧ 大学事務の中の定型業務の外部委託
⑨ 研究室事務の外部委託
⑩ 研究者毎の研究スペースの適正化
⑪ 大学の使命の見える化と浸透
⑫ 事務処理工程のDX(RPA・ノーコード業務アプリの導入,ペーパレス化)
⑬ 現場への権限移譲によるスピードUP&次世代リーダー育成
⑭ 授業のバイアウト
⑮ 現場発の改善提案についての評価制度構築
⑯ 研究室のオープニング&クロージングオペレーションの定型業務化
⑰ 学科の新入生ガイダンスの大学システム部分の定型業務化
⑱ 事務組織での生成AIの導入と浸透
⑲ 契約書作成ができる人材の育成
⑳ 電子契約の導入(ペーパレス化)
㉑ 入試の多様化&回数UP
㉒ 不燃物の処理の簡易手続き化
㉓ 守衛鍵貸し出し業務の自動化
㉔ 空き教室の見える化&予約の電子化
㉕ 予算執行の事務判断グレーゾーンの縮小
㉖ 大学院進学広報の推進
㉗ ワークフローシステムの導入
㉘ 勝ち抜き熟議選挙[1]でカイゼンチームを立上げる
㉙ 最新書類と業務フローが瞬時に分かるイントラネットサイトの整備
㉚ 私学助成金の獲得力を強化
㉛ 大学評価・ランキング対応力強化
㉜ AI検索でヒットする大学広報の推進
㉝「念のため」作成している書類の廃止
これらは何れも,どの大学運営の現場でも「ある」或いは「ありそう」な取り組みです.難しい内容も含んでいるため,本記事での検討だけで精度の高いベクトルを導くことを目的とはせずに,考えるためにJカーブが使えそうか?を検証していきたいと思います.
【3つの大学からのアウトプット】
さて,Jカーブの軸をどう取るかを考えます.自動車軽量化のJカーブ図では,縦軸にコスト,横軸に軽量化効果を取りました.軽量化は自動車に求められる性能のすべてではありませんが,その中でも特に重要な性能の一つです.
大学版Jカーブ図でも横軸の取り方は種々考えられますが,学校教育法が参考になりなす.それによると大学の役割は「教育」「研究」「社会の発展への寄与(社会貢献)」の3つです.今回はこの中の「研究」に着目したいと思います.工学分野の場合,大学4年生※(卒業研究)や大学院(修士課程・博士課程)では教員の主催する研究室での研究を通して教育がなされることが多く,研究は教育の質にも大きく影響をおよぼします.逆に学生によって生み出される研究成果も多く,研究と教育は相補的な関係にあります.さらに,研究成果は社会に直接応用できるものとなる場合が多くあります.即ち,研究が源泉となり,それが派生して教育や社会貢献に結び付くという側面を持っており,大学の役割の中でも研究は中核的な要素であると私は考えています.そこで今回は手始めに「研究力」を横軸に取ってみることにします.
縦軸はコストとします.
※大学1~3年生は最新の研究に基づいた学習というよりは,それに取り組めるだけの基礎学力をつける期間となり,教科書的な内容や実務スキルを学んで行きます.
【横軸を「研究力」に取った大学版Jカーブ図】
さて,今回Jカーブ図を描く「研究力×コスト座標系」を見ていきます.各象限にベクトルが向いたときに,その施策をどう扱うかを考えます.ここでのコストは委託費や物品購入だけでなく教職員の人件費も含みます.
図:横軸を「研究力」に取った場合の作図例.(実際には横軸を「教育力」「社会貢献力」に取った図も作成して,3枚の図を見ながら実行施策を議論する.)
第4象限(右下)は,研究力の向上とコストの低減を両立する領域です.ここにベクトルが来たら,できるだけ早期の実行を検討します.
第1象限(右上)は,研究力が上がるがコストも上がる領域です.コスト低減を考えながら,実行を前向きに検討できます.
第3象限(左下)は,コストは削減できるが,研究力も下がってしまう領域です.研究力低下を防止する方策を考えながら,慎重に検討する必要があります.
第2象限(左上)は,コストが上がり,研究力が下がる領域です.ベクトルを右に向ける工夫をしたうえで実行する必要があります.
次に,上記の①~㉝の施策例のうちイメージしやすいものを8つピックアップしてベクトルを描いてみましょう(左図).第4象限にはたとえば⑨研究室事務の外部委託が含まれています.外部に事務委託をした場合には,3000円/hの事務委託費がかかりますが,教員の時間単価7000円/hとの差額の4000円が毎時間削減でき,その時間を研究活動等に回すことができます.即ち,コスト低減と研究力向上を両立する施策となります.また,第3象限には③非常勤講師数の削減が入っています.人件費の削減に繋がりますが,教育力の維持のため授業科目数は削減が難しいためプロパーの教員の担当授業数が増加します.その結果研究に使う時間は減少することになります.即ち,コストの低減と研究力の低下が生じる施策と言えます.1授業での受講者数を増やして歩留まりを改善するなどの効率化とセットでの実行が必要でしょう.
それでは,左図で作成したベクトルを,右図のように順次接続していき,Jカーブ図を作成してみましょう.今回選んだ8つの施策のみを考えた場合には,はじめの施策⑥⑫⑨の3つを採用した時点でコストの最小化と研究力の向上が見込めることが分かります.さらに施策⑦を採用することで研究力が最大化します.その後,①②③④の施策を採用することでJカーブはくるっと反転して,施策⑫の先頭部分に戻ってきます.即ち,8つすべてを採用すると,⑥と⑫の2つだけを採用した場合と同じ効果に戻るということです.
上記は横軸を研究力に取ったため「研究力」に対する影響のみを表現しています.一方で,教育力や社会貢献力を横軸に取った場合には少し違ったJカーブ図を描くことができるはずです.それらの図を睨みながら,どこまでの施策を実行するかの合意形成をしていくことが可能です.
この図を用いれば,各施策の担当者は,横軸を「研究力」「教育力」「社会貢献力」にとった3枚の図を用意して,できるだけ自分の担当するベクトルを右下に向けるにはどうしたら良いかを具体的に考えることができるようになります.また,全施策を俯瞰して見る立場の担当者は,全ベクトルを結合したJカーブ図を見ながらどこまでの施策を採用すれば,予算内で大学としてのアウトプット(教育・研究・社会貢献)を最大化できるかを見積もることが可能になるでしょう.
そして何よりも大きな効果は,議論できるツールを手に入れるということです.自動車の設計者が図面を描くように,大学の施策担当者はJカーブを描き議論を進めることができます.
【まとめと課題】
以上の思考実験から,軽量化技術開発の整理方法からヒントを得た,「大学版Jカーブ図」を大学の施策選択においても採用できると感じました.本手法を応用されたい方は学内外問わずお声かけいただければ,ご一緒に取り組ませていただきます.
今後は,各軸の評価指標の適切な定義方法,ベクトルの精度を上げる方法,適切なシステム境界(どの範囲で効果を見積もるか)の設定方法,各アウトプット(教育・研究・社会貢献)のバランスのとり方,ベクトルの足し合わせの原理の成立性,時間遅れ効果(ボデーブロー効果・種まき効果)の数学的表現など工学的にも興味深い展開が可能なように思います.(⇒まとめ記事)(K)
参考資料
[1]渡邊政経塾 <戦略経済研究所> : 勝抜き熟議選挙(DTE)とは
あとがき
本記事で示した大学版Jカーブ図は,大学の意思決定や評価制度そのものを置き換えることを目的としたものではありません.あくまで,個々の施策が大学のアウトプットやコスト構造にどのような影響を与えうるかを,多面的に整理し,議論を行うための補助ツールとして考案したものです. 大学には,教育・研究・社会貢献という多様な使命があり,それぞれの重みづけや判断は,各大学の理念やガバナンスのもとで慎重に行われるべきものだと考えています.本図が,既存の委員会や意思決定プロセスの中で,立場や分野を越えた対話を促すための共通言語として参考になれば幸いです.