映画「国宝」6回目。
今年、私の魂を何度も何度も支えてくれた言葉があります。
「それでもいいの。それでもやるの。」
仕事納めの翌日。ようやく作れた自分だけの時間を使って6回目となる映画『国宝』を観てきました。 自分史上、間違いなくNo.1 人生で同じ映画をこれほどまでリピートしたことはありません。
心ゆくまで泣けるようプレミアムシートを選び、五感の全てを開放し物語の深淵へ没入した3時間。
「それでもいいの。それでもやるの。」
劇中の人間国宝万菊さんが放ったこの言葉は、今年、命をかけて生きることに全力を注いだ私の背中を、何度も何度も押してくれました。
奈落の底にいても、結果が見えなくても、挫折していても。どんな状況でもやり続けるということ。
思えば私は50年以上、逃げ続ける人生でした。
何かに依存し、
何かを理由にし、
大切なことを見えていないフリをして。
でもガンを患い、命の期限を延ばしてもらった時「私は何のために生かされたのだろう」と考え、運命的にヨガに出会いました。
今思えばその出会いは必然で必要な学びは、いつも最高のタイミングでやってきますね。
ヨガの教えを学ぶ中で、逃げて楽をするために人生があるのではない。
結果に執着するためでもない。私は気づきました。
今、自分にできるすべてを尽くし、あとは天に委ねるだけだと。
ヨガの哲学で大切にされているこの在り方こそが「今、この瞬間を懸命に生きる」ということ。
宿命を背負い、人間の業にまみれながら、血を吐くような思いで芸に生き、生き切る姿。
その圧倒的な生き方に触れるたび、魂が強烈に揺さぶられました。
挫折や苦悩があるからこそ、生き切った先の景色は、言葉にできないほど眩しく、美しくて尊い。
やり切って、燃やし尽くして灰になる。その先にあったのは、空虚ではなく「無」という名の光に満ちた多幸感。
おこがましいかもしれませんが、全力で駆け抜けた2025年の終わりに、その景色を少しだけ今の自分を通して肌で感じることができた気がしています。
私は今、2025年すべてを燃やし尽くした後の、穏やかで清らかな感覚の中にいます。
このエネルギーを携えて2026年へ。