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堀あんなからの手紙 -WEB-

【2025年最後の数日と、年末所感】2025/12/31(水)記録

2025.12.31 00:09

12月27日(土)


 息子の予防接種の日。(インフルエンザは終わり、残っていた日本脳炎を打ちに行きました)

たくさん泣いたけれど、よく頑張っていました。 


そして、今年最後のまなづる図書館へ。

今回も10冊、まるまるお借りしました。


 帰宅後は、庭の草木の剪定と伐採。

町のことをとやかく言う人(一般質問のお話です)は、自宅も綺麗にしないとですね。

31日まで可燃ゴミの回収があることに感謝。


 午後は友人家族を迎え、子どもたちは夜まで大はしゃぎ。みんなで年末のお夕飯を囲みました。

メニューは、私が作った何でもない白菜とベーコンのお鍋。(苦笑)

でも、大人数でワイワイ食べると、何でも美味しいですね。


 12月28日(日)


 灯油が切れてしまい、大慌てで買いに出ました。

その後は、昨日から引き続き庭の樹木伐採。 

末広がりの「8」の日なので、庭でとれた草木を再利用してお正月飾りを作りました。

ところが、帰宅した主人から「クリスマスっぽい」と言われ、「確かに!」と納得。

 葉物は「生えている向きに飾る」のが日本のあしらいの鉄則です。

そういう意味では、やはり逆なのかもしれません。 

来年は、車飾りから自分で作ろうかな。


12月29日(月)


 31日の今年最後の可燃ゴミ回収に向けて、息子と一緒に“卒業”したおもちゃを一気に片付けました。自分で捨てることができるようになった姿を見て、「成長したなぁ」としみじみ。

 

 そして、息子念願の「一緒にマリオカート」。

応えはしたものの、小さな頃からほとんどゲームをしてこなかったので、ハンデ無しでも負ける母(私)です。

 実家ではテレビ・ゲーム・アニメ類がほぼ禁止だったので、まさかの40代デビューです。 


 夜は、仕事を終えた主人と合流して伊東市へ夕飯に。

家族全員、毎朝が早すぎて、帰宅する頃には全員で大あくびでした。

息子は休みの間だけは率先して早起きです。子どもあるあるですね。(笑)


12月30日(火 / 晦日)


 年内に仕上げたい議会仕事に、朝5時から立ち向かうも…終わらず。(泣)

 息子の起床とともに、トイレ掃除と換気扇掃除を開始。

シーツ類もすべて洗濯し、洗濯機(2台あります)が夜までフル稼働でした。


 世田谷等々力から、美味しい焼き菓子が届く。

本当に慎ましく暮らす我が家ですが、主人が町外でいただいてくる贈り物が、いつもささやかな贅沢です。


 夕方からは同僚の皆さまと打合せ。

お世話になった議会の皆さんと顔を合わせる最後の日でした。 

この3か月のお仕事への感謝と、年末のご挨拶を。


12月31日 (水 / 大晦日)


 先ほどまとめておいた可燃ゴミを出しに、何往復もしました。

階段ばかりの町は、足腰を強くしてくれます。 神々しい朝日が迎えてくれました。 

1年間の感謝を込めて、玄関から家に一礼。


 今年の'お年取り' (長野では大晦日の夕飯をこう言います)の夕飯はカニ鍋です。

こちらのカニも主人の小田原の友人から、毎年いただくもの。主人はお仲間に愛されているようです。(笑)

締めは、やっぱり雑炊ですね!


 再度誘った西念寺さんの二年参りは予想どおり断られてしまったので、紅白歌合戦をみんなで観て、平和な歳の瀬にしたいと思います。


 家族にもたくさん大変な思いをさせてしまった1年だったので、夕飯の席で改めて感謝を伝えます。



2025年末所感


 皆さまは、どんな年の瀬をお過ごしでしょうか。

 

本年は、私にとっては本当に本当に大騒ぎの1年でした。


 真鶴町で憩いのカフェを作りたかっただけの、一人のお母さん。

議会中継に触れ、町の課題に触れ、町政を真剣に考え始めたものの、自分のあまりの無知に打ちひしがれ、本陣霞ヶ関の政治塾へ通い始めました。

何もかもが'知らないこと'と'新しい経験'の連続でした。


 経験と知識が豊富な皆さまのお力を借りながら、必死に前だけを見て走りました。

そして真鶴町をぐるぐる回るほどに、「何とかしなくては」と感じることが増えていきました。


 暑い暑い夏、町議会議員選挙が見えてきた頃、突然血液の病気に倒れました。

ウィルス検査には何も引っかからないのにずっと耳が遠く、熱が下がらない。 

受診すると、「今日このまますぐに専門病院へ」と言われ、“発熱性好中球減少症”という聞いたこともない病名を告げられました。

白血球も赤血球も血小板も、ほぼゼロに近い状態。

白血病の可能性も示唆され、突然、人生の終わりを意識しました。 


それでも「息子世代に、良い真鶴町を残したい」それが、私の答えでした。 

 町の中を走り回るどころか、長時間立つことすらできない。

直前で選挙カーを借りることにして、選挙に出ると決めました。 

「杏奈が走れなくても、私が走る!」そう言ってくださったサポートの方の言葉は、今でも忘れられません。 

(その間、救急車を呼んでもらったり、家事もままならなかったりと、周囲の方に本当にたくさんご迷惑をおかけしましたが、秋には無事回復しました。)


全国から駆けつけてくれた友人たち、政治塾の仲間の皆さん、そして町の皆さまからのたくさんのご声援。

それが、ただのお母ちゃんだった私に、誹謗や中傷に耐える勇気をくれました。

そして、町議会へ送り出していただきました。


 そこからは、これまで以上に必死に勉強し、自分なりにではありますが、全力で今日まで走り抜けてきたつもりです。 


「こんな生意気な新人の言うことなんて、誰も聞いてくれないかもしれない」

「入ったはいいけれど、ひとりぼっちで闘うのかもしれない」

そんな不安を抱えながら恐る恐る入った議会でしたが、改革を望んでいる人も、一生懸命働いている人も、ちゃんといました。


 私の人生は、いつも人に恵まれています。

今も、私は非常に恵まれた母であり、娘であり、町議員であると自負しています。

何も持たない私の誇りは、「人と出会い、繋がる力」です。


 議員生活は、まだ始まったばかり。

来年も、一つひとつ、町の皆さんから伺ったお声と真摯に向き合い、町政に届けていきます。 

本年は本当にたくさんのご迷惑とご心配をおかけしましたし、大変お騒がせしました。

 それでも「めげない、折れない、諦めない。」 

議員になると決めた時に心に誓ったことです。


表に立たせていただく以上、何が起きてもめげない。

落ち込むことはあっても、必ずまた立ち上がります。 そして、常に '今の全力' を尽くします。


 こんなにも毎日毎日、真鶴町の未来を思う日が来るとは思っていませんでしたが、皆さまのおかげで、本当に幸せな真鶴時間を過ごせています。


まずはこの1年間、支えてくださった多くの皆さま、本当にありがとうございました。

来年もお騒がせしてしまうことがあるかもしれませんが、「町が良くなる方へ」という一点を中心に、これからも進んでいきます。


どうぞ皆さま、良いお年をお迎えください。 


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