経典解題30
【経典解題】30
佛說胞胎經
ぶっせつほうたいきょう
西晉の竺法護の訳。一巻。『大寶積經』第十三ま佛爲阿難説人處胎會の異訳。三十七週間の胎児の様と出生後の事を説き、皆五陰は無常であることを知らしめる。
以下の原文翻刻と訳文は冒頭部分のみ。
佛說胞胎經一卷
西晉三藏法師竺法護譯
佛說胞胎經
聞如是:一時,佛游舍衛國祇樹給孤獨園。於時,賢者難陀宴坐思惟,即起詣佛,及五百比丘俱,共詣佛所,稽首足下,住坐一面。
佛告難陀及諸比丘:「當為汝說經,初語亦善,中語亦善,竟語亦善,分別其義,微妙具足,淨修梵行。當為汝說,人遇母生受胞胎時。諦聽!善思念之。」
「唯然,世尊。」賢者難陀受教而聽。
佛告難陀:「何故母不受胎?於是父母起塵染心,因緣合會,母有佳善,心志於存樂神來者至前,母有所失精,或父有所失、母無所失,或父清淨、母不清潔,或母潔淨、父不潔淨,或母爾時藏所究竟,即不受胎。如是究竟,或有成寒,或時聲近有滅其精,或有滿,或如藥,或如果中央,或如蓽茇中子,或如生果子,或如鳥目,或如懿沙目,或如舍竭目,或如祝伽目,或如眼瞳子,或如樹葉,或合聚如垢,於是或深,或上深,或無器胎,或近音聲,或堅核如珠,或為蟲所食,或近左,或近右,或大清,或卒暴,或不調均當左反右,或如水瓶,或如果子,或如[花-化+狼]蓎,或有眾瑕,或諸寒俱,或有熱多,或父母貴、來神卑賤,或來神貴、父母卑賤,是故不相過生。等行等志,俱貴俱賤,心同不異,則入母胎。何故母不受胎?無前諸雜錯事、不和調事,等意同行,俱貴俱賤,宿命因緣,當應生子。來神應遇父母而當為子,於時精神或懷二心,所念各異,如是之事,則不和合,不得入胎。」
胎蔵経説法(一巻)
西晋の三蔵法師竺法護による訳
子宮に関する釈迦の説法
こう聞きました。ある時、仏陀は舎利塔の森を訪れていました。その時、瞑想にふけっていたナンダ尊者は立ち上がり、五百人の僧侶と共に仏陀のもとへ行きました。彼らは仏陀のもとへ行き、足元に頭を下げ、脇に座りました。
仏陀はナンダと比丘たちに言いました。「私はあなた方に経典を説き明かします。最初の言葉は良いです。真ん中の言葉は良いです。最後の言葉は良いです。私はその微妙で完全な意味を解き明かし、あなた方に清浄な行いを修めるように導きます。私は人が母の胎内から生まれる時のことをあなた方に話します。よく聞いて、よく考えなさい。」
「はい、尊者様。」 尊者ナンダは指示を受け入れ、耳を傾けました。
仏陀はナンダにこう告げた。「なぜ母は身ごもらないのか?それは両親の心が汚れているからだ。因縁が重なり、善なる資質を持つ母は生の喜びに心を集中している。魂が母の前に来ると、母は精気を失う。あるいは父は精気を失うが母は失わない。あるいは父は清いが母は汚れている。あるいは母は清いが父は汚れている。あるいは母の性器がその時疲れ果てていて、そのため母は身ごもることができない。このような場合、身ごもりは次のように起こる。冷たくなることもある。身ごもりの近くで音がすると精気が消えることもある。満ちていることもある。薬のような状態になることもある。果物の芯のような状態になることもある。胡椒の実のような状態になることもある。生の果物のような状態になることもある。鳥の目のような状態になることもある。白檀の目のような状態になることもある。蜀黍の目のような状態になることもある。ジャスミンの目のようである。時にはジャスミンの目のようである。時には目の瞳孔のようである。時には葉のようである。時には土のように集まっている。このように、妊娠は深いか、または上深く、時には胎児がないか、妊娠の近くに音がする。真珠のように硬いもの、虫に食べられるもの、左に近いもの、右に近いもの、澄んでいるもの、突然激しいもの、バランスが崩れて左か右にあるべきもの、水筒のようなものか、果物の種のようであり、塊茎のようなものか、多くの欠陥のあるもの、冷たいもの、熱いもの、両親が高貴で卑しいもの、高貴な精神と卑しい両親を持つもの、したがって、一緒に生まれてはならない。彼らが同じように行動し、同じ意志を持ち、高貴で卑しいものの両方を持ち、彼らの心は同じで違いがないならば、彼らは母親の胎内に入るだろう。なぜ母親は妊娠しないのでしょうか?過去の雑多な事柄や不調和がなければ、過去の業によって、善悪を問わず、同じ行動と意志を持ち、同じ行動をとれば、子を産むはずです。もし魂が両親に出会って子となるべき時、魂に二つの心があり、それぞれの思いが異なっていると、調和がとれず、胎内に入ることができません。
※画像はこれを参照→ https://note.com/11111hiromorinn/n/ncca2afabdf12?app_launch=false