みかんを食べながら母と義母を思う
今日もこれからインテグレートヒーリングのセッション(IH)と、cs60の施術があります。
最近、特に この2〜3月は、IHセッションが 頻繁に入りました。
中でも、「母」に対する セッションが多かったです。
子どもにとって「母」は「世界」であり「宇宙」なので、その 影響は 大きいのです。
私は 34歳の時に、このインテグレートヒーリング(IH)との出会いがあり、ようやく 暗闇の中を どうにか生きていた 自分にも 希望の光が射したように感じました。
私は 自分の両親と あまり良い関係ではなく 大人になりました。
だから薄情なようですが、母が亡くなった時そんなに 悲しくなかったし、泣くこともありませんでした。
IHで 強力に癒され続けたことにより、私の 自己価値の低さや、さまざまな依存症、コミュニケーション能力の低さ、たくさんの身体の痛みさえ、どんどん手放し、満たされていきました。
数年前までは、人からの目線が怖くて、いつも 気付かれないように生きていたのを覚えています。
「みかん」の話に戻りますが、主人の母である 義母のことは 好きですし 仲も良いのです。
それでも 結婚から15年間くらいは、仲が良いとは言えませんでした。一般的な 嫁姑でした。
夫や 子どもたちとの関係も同じで、自分に傷がある分だけ、他者と上手くやるのは 難しいのです。
しかし、傷の大きさがどれほどでも、どれだけあっても、そこが 治癒できたら、何事も大丈夫なのです。
で、もう数年間 義母とは 仲よくて、ハワイや トマムにも 一緒に 旅行しているのですが、この年末に 帰省している時、仲たがいがありました。
きっかけは 小さなことだったのです。
義母から私の父に対して、「親なんだから 仲良くしなさい」「あなたは 人として 間違っている」というアドバイスを受けたからです。
義母は 優しい両親のもとで育ちました。
本当に愛にあふれ、周囲に気を使い、常に自分のことは後回しにしてもいつも ニコニコしています。「善人」で「働き者」の代表のような人です。
義母にはこれまでも もう4回 涙ながらに、なぜ私がまだ生きている父と疎遠であるか話しています。
その度に「よく分かった」と言ってはくれるのですが、やはり毎年か一年置きに、
「親やのになんで?」と聞かれます。
今までは 流して来れたのですが、年末の「人として間違っている」に対し、「人で無しの父」に 会いに行かないわたしが、人として間違っているだなんて。
と、過敏に受け止めてしまったのです。
私は 無言で 泣くことしか出来ず、夫は、「お前の気持ちなんて、何度話した所で誰にも理解されないし、母に迷惑だ。母に謝れ。」の一点張りでした。
なんとか 自分を癒して母に謝り、帰省を終え、東京に戻りました。
でも無理をして癒しているので、義母に対しては心底 申し訳なかったと思えたものの、夫に対しては、不信感で いっぱいだったんです。
この人は 私を 理解してくれない、私の 気持ちよりも 母を 大事にするんだ。と
でもね、そうこうしているうちに4日くらい経ったある日の朝、「私の傷」があるが故、普段なら 「流せる言葉」にも 引っかかってしまい、感情が乱れたんだと分かりました。
夫が 「お前の苦しみなんて、どれだけ説明しても 理解してもらえない」。「もう、帰省なんてしなくていい」には、さすがに「傷に塩」で傷つきましたが、夫からの 「あの正論」がなければ、私は まだ自分に 「傷」があったと気付きませんでした。
もうすっかり、「癒えていた」と 思い込んでいたからです。
「癒えてえた」と思っていたからこそ、「義母の言葉」に対して、「ひどい」という感情が出たんです。
義母は 「人を 仲良くさせてあげたい」「幸せになってほしい」という思いを 使命のように持っていて、本当の娘と同じような気持ちで接してくれている 私にだからこそ、強く 言ってくれたのです。
義母は 控えめな方ですから、決して 職場や ご近所の方には、私に言ってくれたようなことは 言わないからです。
私は 産みの両親には 恵まれなかったのだけど、夫の母からその分の愛をもらい満足していました。
なのに 義母は 「どうして 私と父を 仲良くさせたいの?」「わたしは あなたが 母でいてくれるだけで充分なのに」。
その「自分の本心」を 伝えられたなら、あんなことには ならなかった。
でも、自分の本心を知るには、「傷の治癒」が 必要なのです。
そうでないと、自分に自信を 無くし、「閉じこもる」か、「私は可哀想」に しがみつき、悲劇のヒロインから 抜けられなくなったり、心に蓋をして、自分自身を責めて、「依存症」や 「鬱」や 「怒り」「憎しみ」などを 抱えたまま 生きるかもしれません。
でも大丈夫。
必ず 良くなる。
安心して欲しい。
私が 真っ暗闇から、今、この希望の中にいるよう。
義母が送ってくれた、みかんを 食べながら。