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Global Public Health

今年も冷や汗

2025.12.31 15:00

電車で学校に通い始めたのは高校に入学してからである。小学校と中学校は地元(埼玉県草加市)の学校に歩いて通っていた。今思うと、徒歩通学のたった10分が豊かな時間だった。たった10分の距離なのでさっさと登校すればよいのに、「関所」で友だちと待ち合わせてみたり、ダメだと言われているのに歩きながら小石を蹴って歩道橋の上りに挑戦してみたり、できるだけ縁石の上や日陰を踏んで歩いたり、そして罰が当たったのか、カラスの巨大なフンに見舞われたり・・・。で、お決まりのパターンだが、好きな女の子とは通学路が違ってちょっぴり残念な思いもした。


高校は都内(東京都港区)の男子校に進学した。自宅から高校までは、東武伊勢崎線(現・東武スカイツリーライン)、営団地下鉄(現・東京地下鉄〈東京メトロ〉)日比谷線、そして都営地下鉄浅草線の3路線を通ってたどり着く。乗車時間は45~50分程度。自宅から最寄り駅までは雨が降ろうが雪が降ろうが、自転車で約10分。信号待ちでいつも見かけるサラリーマン風オジサンが横に並ぶと、私もオジサンも競争心が煽られるから、所要時間は大幅に短縮される。一方、高校の最寄り駅から高校までは徒歩で7~8分。最寄り駅のすぐ近くに女子高があるものだから、こちらの所要時間はたびたび延びる。


高校に進学すれば、1日に1時間半以上も電車のなかで過ごす。中学までは朝から晩まで遊びや部活に勤しみ、ろくに本を読んでこなかった。これからは電車時間がたっぷりある。高校生にもなる。だったら、少しは本に親しもう。そう思って、書店で手にしたのが、北杜夫の「どくとるマンボウ航海記」。なぜこの本を手にしたのか。国会の証人喚問よろしく、記憶にございません。本のタイトルから面白そうだと思ったのかもしれないが、「どくとる」が医師を意味する外国語であること、北杜夫自身が医師であること、北杜夫の父上が医師でもあるが、あの歌人の斎藤茂吉であることはずいぶんとあとになって知った。ちなみに、中学校のサッカー部の顧問の一人、サイトウ先生のあだ名はモキチだった。


「どくとるマンボウ航海記」を手にした私は、電車に乗って航海した。いや、そっちじゃない。後悔した。本を読む隙間など微塵もないではないか。電車には混雑率という指標がある。乗車率という言葉をよく耳にするが、鉄道用語辞典によると、輸送人員÷輸送力で算出される混雑度を混雑率と言うらしい。これではよくわからないが、辞典には混雑率の目安とイラストが示されている。


100% 定員乗車。座席につくか、吊り革につかまるか、ドア付近の柱につかまることができる。

150% 肩が触れ合う程度で、新聞は楽に読める。

180% 体が触れ合うが、新聞は読める。

200% 体が触れ合い、相当な圧迫感がある。しかし、週刊誌なら何とか読める。

250% 電車が揺れるたびに、体が斜めになって身動きできない。手も動かせない


私が毎日乗っていた電車の混雑率は間違いなく250%、あるいはそれ以上と言えるかもしれない。とくに先を急ぐ乗客が血眼になって乗り込む準急電車の混雑がひどい。乗客を車内へ押し込む「押し屋」と呼ばれるアルバイト要員は、こぼれ出そうな乗客を肩でタックルするかのように詰め込む。あまりに詰め込みすぎて、次の駅でドアが開かないというトラブルは2度や3度ではなく、むしろ日常の光景であった。今でも覚えているが、息苦しくて車内で意識を喪失しかけたこともある。それくらい壮絶な混み具合であった。大変なのは車内だけではない。電車を乗り換えるため、やっとこさ電車を降りたと思ったら、今度は乗客がホームの縁まであふれ出る始末。今のようにホームドアがないだけに、本当に危険極まりなかった。


こうした毎日を送っていると、激混みの電車にはそれなりに慣れてくる。長いものに巻かれるがごとく、車内の人の波に身を任せてしまえば、あとはなされるがまま。諦めが肝心。それでなんとかなるものである。ただ、時や場所を選ばず、私にはやってくるものがある。便意である。それが電車混雑率250%のときであっても突然訪れる。そういうときに限って、電車が準急だったりする。とにもかくにも、下半身の出口をキュッと絞って、次の駅に到着するのを待つしかない。


駅に到着すると少しホッとする。しかし、絞りを緩めてはならない。一瞬の気の緩みが大惨事につながる。だから、慎重にホームの人混みを縫ってトイレに向かう。そして、しばらくすると、あの青と赤のカップルのイラストが見えてくる。湧いてくる達成感。「着いた!」・・・と思うのも束の間、そこで現実に直面する。腹痛で苦しんでいるのは自分だけではない。なんだ、この行列は!


私は何度か肝を冷やす経験をしてから、地下鉄で通過する駅のうち、乗降客が少ない駅に目を付けた。その駅のトイレであれば、きっと個室は空いているだろう、と。私はトイレの場所を確認し、万が一のときのために備えた。私にとって、便意は災害、トイレは避難場所、トイレの場所の確認は避難訓練みたいなものである。その習慣は大学に進学してからも役に立った。


さて、2025年10月にモンゴルを訪れた。これで何度目になるだろうか。モンゴルで子どものやけどに関する調査をはじめたのは2015年。やけどを防ぐための活動をはじめたのは2017年。新型コロナで2020年から3年ほどモンゴルへ渡航できなったが、調査をはじめてから約10年が経過したことになる。


モンゴルでは子どものやけどが多発し、死に至るケースも少なくない。モンゴルの子どものやけど死亡率は世界でもっとも高い。私はモンゴル人留学生とともに、その原因を調べるため、重症なやけどの患者さんが全国から集まる国立外傷センターで調査を行った。それが2015年から2016年のこと。調査の結果、入院を要するほど重症なやけどの半数以上が電気鍋か電気ケトルによるもので、重症度の高い患者さんに限ると、その半数以上が電気鍋によるものということがわかった。ということは、電気鍋をなんとかすればいい。電気鍋がなくなれば、半数以上の大やけどが防げる。


人間、便利なものは手放したくない。たとえば、スマホ。スマホを使わない生活は今や考えられない。電気鍋もそれと同じ。いや、違うでしょ、人の命がかかっているのだから・・・というのは、モンゴルの生活者からしたら見当違い。まあ、このあたりを議論し始めるときりがないので、やめておこう。電気鍋や電気ケトルが危険なら、それらを安全に使えるようにすればよい。


というわけで、お値段以上のニトリさんにご協力いただき、電気鍋を安全に使うことができる家具をつくりはじめた。それが2017年のこと。そして、その家具を使うことで、どれだけやけどは防げるのか、やけどの治療に必要な医療費はどれだけ減らせるのか、そうした家具の効果を検証することにした。また、そもそもそのような家具に対して小さなお子さんがいる家庭でニーズはあるのか、その家庭に家具を無償で提供することはできないので、買うとしたらいくらで買うのか、といった調査を行うことにした。


ただ、調査にはお金がかかる。とくに家具をつくるので、費用がかさむ。家具の効果を検証するのに必要なサンプルサイズを計算し、当初は家具700台の製作を見込んでいた。家具の値段は材料、デザイン、生産量などによって大きく異なるが、1台1万円とすれば700万円、1台5000円だとしても350万円は必要となる。もちろん、家具をつくるだけでなく、中国の工場からモンゴルへの輸送費・関税、調査対象家庭の訪問やフォローアップ、病院でのデータ収集、それに必要な調査員の雇用にかかるコストなどなど。とは言っても、私も私の共同研究者も報酬を得ないので、1000万円程度のプロジェクトである。すぐ資金調達できるだろうと踏んでいた。


ところがどっこい、資金調達に苦労した。文部科学省や外務省、JICAの公的資金、財団の助成金、企業や個人の寄付など、モンゴル出身の横綱H氏や大手美容外科のT氏やA氏を含め、思いつくところにはすべて当たったがダメだった。これに3年も費やしてしまった。


国内がダメなら、海外から資金を調達しよう。そう思って調べたところ、低・中所得国で熱傷治療の改善に取り組むNGOと大学が、私がかつて留学していたウェールズにあり、英国のNIHR(日本のAMEDのような機関)から資金を得ていた。ならば、資金を少し分けてもらおう。「求めよ、さらば与えられん」


メールでプロジェクトの趣旨を説明したところ、すぐに返事があった。今はすでに廃止されたSkypeで2回面談してもらい、共同研究という形を取れば、資金の配分が可能であることを知らされた。メールを送信してから1か月のことである。すぐ大学を通して共同研究の覚書を締結した。先方からまずはパイロット調査を行ったほうがよいのではないかとの助言があり、配分していただいた資金では効果の検証まではできないこともあり、小さなお子さんがいる家族でモンゴルの伝統的な住居であるゲルに住む50世帯を対象に、家具を提供したうえで、家具に対するニーズや支払意思額(いくらで買うか)を調査することにした。それが2020年はじめのこと。しかし、新型コロナの流行でモンゴルはいち早く国境を封鎖。英国のチームとはモンゴルで顔合わせすることになっていたが、渡航できなくなってしまった。


日本も国際社会も大混乱。人びとの往来再開のめどはまったく立たない。しかし、ここで足踏みするわけにはいかない。パイロット調査はこれまで活動をともにしてきた現地の協力者に実施してもらうことにした。約1年をかけて、ベースライン調査とフォローアップ調査を2回、計3回の調査を実施してもらった。調査の結果は、一度も対面で顔を合わせたことがない英国のチームと一緒に2編の論文にまとめた。パイロット調査を通して、プロジェクトの重要性とフィージビリティを確認できたのが大きな収穫で、次のステップに進めると大いに期待した。しかし、英国のチームが得ていたNIHRの資金が2021年までの助成で、継続なしと知ったのはパイロット調査を終えてしばらくしてのこと。私は再び資金調達の旅に出ることになった。一方、英国のチームのトップであるトム教授は赤十字国際委員会(ICRC)のChief Surgeonとなり、ウクライナやガザなどの戦地で見かけるようになった。最近リタイヤしたものの、今も戦地で活躍しているらしい。


2023年に入ると新型コロナによる世界の動揺が落ち着きはじめ、人びとの往来が戻ってきた。そして、うれしいニュースが舞い込んできた。モンゴル北部、ドラマVIVANTのロケ地にもなったダルハン市が私たちのプロジェクトに関心を寄せ、資金も提供するというのである。モンゴルの問題はモンゴルの力で解決するのが理想的。これまで安易に資金調達できなくてよかったのかもしれない、と自分に言い聞かせた。また、モンゴルの通信事業者大手モビコムも資金を提供すると、実は以前より申し出てくれていたので、2つの資金を合わせれば、小規模ながらプロジェクトを前進させることができる。


というわけで、前置きが大変長くなってしまったが、2025年10月にモンゴルへ渡航したのである。飛行機はいつものMIATモンゴル航空。MIAT(ミアット)は猫みたいでかわいい。モンゴル語の社名の略称らしい。機内の座席は通路を挟み左右に3席ずつ。座席に個人用モニターはない。座席のピッチは狭い。79センチあるはずだが、あきらかに足りない。飛行時間は5時間半程度と長くはない。私の足が伸びたのだと自分をだまし、ここはガマンガマン。


さて、乗客全員が搭乗すると、機体がゆっくり動き出した。いよいよモンゴルへ出発である。モンゴル航空の機内食はやっぱりビーフと心の中でつぶやき、文庫本のページをめくった。読書に集中するのに個人用モニターがないのは都合がよい。しかし、しばらくすると機体の動きが止まった。離陸の順番待ちなのだろう。それにしても、いつまでたっても動かない。まあ、こういうことは決して珍しいことではない。気をもむことでもない。そう思っていたら、あれがやってきた。そう、あれである。便意である。


機体が動きはじめているので、乗客は立つことが許されない。しかし、キャビンアテンダント(CA)は通路を行ったり来たりしている。離陸までにはしばらく時間があるのか。私は平素を装い、文庫本を眺めながら実は全集中力をおなかに捧げ、離陸のときを待った。ただ、ものごとには限界がある。私は行き交うCAさんに声をかけた。「トイレに行っていいですか?」と。まるで授業中、先生に願い出る児童・生徒のようである。答えは容赦なく「ノー」。そろそろ離陸するからとのこと。しかし、ぜんぜん離陸する気配はない。


あとは耐えるしかない。高校時代に電車内で培った「絞り」の技法を駆使し、とにかく冷静に。機体が動きはじめても、期待は禁物。離陸しても、うれしくなって歌詞を口ずさまない。リリック(lylic)。エコノミークラス150席に対してトイレは2つ。シートベルトのサインをみつめ、シートベルトのバックルに指をかけ、サインが消えたら、猛ダッシュ。私は勝利した。


10月1日水曜19時過ぎ、モンゴルに到着し、21時前には定宿「東横イン・ウランバートル」に無事チェックインした。しかし、チェックインがいまだに済んでいないものがあった。それは中国から運ばれてきた家具である。実のところ、9月18日に家具はモンゴルに到着していた。しかし、到着から10日以上経った10月1日の時点で通関手続きが済んでいなかった。これはまずい。10月6日月曜に、出資してくださったダルハン市とモビコム社によるセレモニーが予定されている。また、これは当日になって知ったことだがテレビ中継まで予定されていた。家具が届かなければ、セレモニーは台無しである。


通関手続きは関税の支払いを含めてすべて運送会社に任せていた。家具は中国の運送会社からモンゴルの運送会社に引き渡される。しかし、運送会社は荷受人ではない。私個人が荷受人になれれば話は簡単だが、荷受人は法人でなければならない。そのため、荷受人を引き受けてくれる法人を探す必要がある。今回のプロジェクトは現地の大学と共同で行うので、大学に引き受けてもらおうとお願いした。しかし、トラブルが起きたら困るからか、難色を示されてしまった。


荷受人がいなければ、通関できない。10月3日金曜までに通関を済ませられなければ、泣くに泣けない、若者言葉を借りれば「オワタ」である。なんとか荷受人を引き受けてくれる会社を見つけるしかない。モンゴル人の共同研究者があちらこちらに当たってくれたが、委任状の作成や登記簿の提出が必要で、何かと面倒で引き受け手がみつからない。もちろん、委任状の内容はこちらで準備しているので、それほど手間がかからないはずだが、それはこちらの勝手な思い込みである。


10月2日木曜午後、ようやく荷受人を引き受けてくれる会社が見つかった。早速、委任状を作成してもらい、運送会社経由で税関に委任状を提出した。これでひと安心・・・といきたいところだが、そうは問屋が卸さない。委任状のヘッダーに会社のロゴが必要だとか。そこかよ、と突っ込みたくなる。モンゴルでは日本と同じくハンコ文化があり、そちらはバッチリおさえていたのだが。まあ、ロゴを追加するのはわけない。これで10月3日金曜には通関手続きが終わるだろうと誰もが信じた。


しかし、である。10月3日金曜午後、委任状には会社名や住所を示したフッターも必要との連絡が入った。ヘッダーにロゴが必要と連絡してきたとき、フッターも必要と言ってくれればいいのに・・・と思うが、恨むだけ損である。まあ、あるあるかなという穏やかな気持ちでいなせばよい。どうやって? 時間がないのだから、自分でフッターを追加すればよい。会社には追加したよと一言断ればいいだけのこと。しかし、委任状を送信したのは15時頃。はたして間に合うかどうか。内心、冷や冷やどころではない。凍り付いている。


冷や汗には2種類ある。短期戦と長期戦。できれば短期戦は勘弁してほしい。


(2026年1月)