Indo Monolog 13 -Ethnography 生活に潜る-
出国しておよそ13週
首都に3週間
語学研修で地方に2週間
国外に1週間
任地に残りの期間なのでおよそ7週間
実際まだ2ヶ月経ってないのかと今現状を認識した。
活動は毎日新しい発見が起こる。
同じ景色のはずなのにいつも違って見える。
いつものルーティンなのになぜかいつもと違う何かが起こる。
気がつけば知らないことがたくさん起こる。
できるだけ多くのことが知りたくて今回ここにやってきた。
なのでできるだけひとりの時間(プライベート)を作らないこと。
「ただただ生活を共にすること」
エスノグラフィーにいちばん大切なこと。
いつもの道を歩くだけで近所の子どもが名前を呼んでくれる。
いつものマッサージ屋に違う時間帯に行くことでいつもと違う光景が見える。
隣人に挨拶するだけで彼らの日常に1秒だけ存在できる。
いつものように過ごさなければ、ココナッツジュースにどうやって穴を開けて飲むかもわからないし、
いつものように下に降りなければ、体育館の主の息子が髪を切ったかどうかに気づけない。
ありきたりの日常の中の「変化」をどのように見つけるかがエスノグラフィーに大切なこと。
途上国は急に何かが突然変わる。普段は仕事が遅くても、ちょっとそこにいなかっただけで何かが激変することがある。
だからできるだけ自分の住んでいる街から離れたくないというのが本音である。
もちろん任国外を楽しむことは本当に大切なことではあるが(特にリフレッシュが必要ならば)できることなら1日も使いたくない。モンゴルの時も1日も使わなかったし。
毎日の積み重ねが、活動を作り上げる。
例えば人種差別を毎日受けるとして、
受ける理由は簡単で、
彼らはレイシストというよりは日本人と中国人の区別がついていないだけの無知な若者が多かったりする。だからと言って中国人を差別していい理由には決してならないが。。。
ただのリテラシーの問題であることが多い。(本物のレイシストは相手にしないことをお勧める)
もうひとつは、彼らと「知り合い」になってないからである。
もしも毎日彼らと挨拶して、私は日本人ですと友好的に挨拶することができたなら、
彼らは日本人を中国人としてみなしてくることはないだろう。
もちろん歴史的に中国に迫害されて良い思いをしていない国も、人も、
日本に侵略されて、たくさん人が殺された国も人もいるだろう。
ただそれでも個人と個人の間でそんな簡単に差別は生まれない。
もしも根っからのレイシストであれば教育バックグラウンドに何か問題があるかもしれないし、知り合っても解消されないようなものであればそれは近づかない方が賢明な判断である。
毎日の挨拶や、毎日の関わり、毎日の背中、毎日の過ごし方が、
その人を日本人として作り上げて、彼らが「あの日本人は頑張っているな」と巷で話をし始める。
今日もマッサージに行ったら、彼らはずっと寿司の話をしていた。
きっと私が来たから急に日本のことを思い出したのだろう。
「生活を共にする」というのは彼らと同じ時間を過ごすことももちろんだけど、
普段の日本人がしないであろうことを、すすんでやってみるということでもある。
散髪屋に行ってコミュニケーションエラーで失敗してみたり、
買い物をして普段買ったこともないような、そして現地の人はみんな買っているものを試してみたり、
一緒にお酒を飲んでカラオケしてみたり、
一緒に辛いものを食べてみたり、
洗濯物を手洗いしてみたり、
一緒に出かけてみたり、
「自分では絶対にしないであろうことを、現地の人と共にする」
「日本ではできないようなことをたくさん現地の人に教えてもらって試してみる」
日本にはない途上国の良さにたくさん触れることが、
エスノグラフィーのフィールドノートに書き込めるキーアクションになる。
CPとうまくいかないことがある時は、CPの家に泊まりに行けば良い。
CPが何を考えていて、どのような状況下で、どんな理由でうまくいかないのかは、
CPの生活をのぞいてみないとわからない。
やむを得ない事情がそこで初めて気づけたなら、
もしかしたら次の日からCPに寛容になれるかもしれない。
モンゴルの時のCPはサボり魔だったが、私の任期が残り半年ぐらいで彼の父が亡くなった。
何回か会ったことが会ったけどそんな具合が悪いふうには見えなかった。
しかし亡くなる当日まで私はその事実を知らなかった。(当日すら本人からは聞いてない。忌引きだと他の同僚から聞いた)
事前に言ってくれたら授業の代講もできたのに彼は何も言わなかった。
日本人と違って途上国の人はそんな簡単に言い訳なしない。嘘はよくつくけど。しょうもない言い訳はよくするけど(ほうれん草がないだけともいう)
もしも活動が少し停滞することがあったら、
大体は「知らないだけ」のことが多い。
知りに行く努力をしたか?
知るためにはまず彼らの生活に潜らないといけない。
知るためにまず自分が知らないということを知ってもらわないといけない。
途上国の人たちは日本人みたいに「察する」タイプの人たちではない。
日本人の慮る気質は世界最高峰(空気読みすぎてコンプラ祭りにもなる)で、
「わかってくれよ」では何も進まない。
日本でしてはドン引きされる自己開示も、途上国ではむしろ足りないぐらい。
どうすれば信頼を勝ち取れるか。
ただただ彼らの日常に日本人という絵の具で毎日1色でも良いので塗りたくる作業である。
一緒に生活するというのは、何かを一緒にしないといけないわけではない。
ただただ同じ空間にいて、自分のことをしているだけでも十分なのである。
彼らの生活の一部になることが、生活に潜るということである。
できることならコミュニケーションを自分からとって、
どんどん彼らに質問すると良い。
彼らはそれで何にわからなくて、何に興味があって、何を感じているか、彼らにとっての判断材料になる。
私は比較的おとなしいし、沈黙しながら観察しているので、彼らからしたら、
「あいつは大丈夫かな?楽しんでるかなここの生活?」と不安がるかもしれない。
言語が話せないだけで、沈黙していることに気づいてない。
その時はしっかり説明すれば良い。
だいたいはコミュニケーションエラーなのだから。
少しずつ半径500mを自分の名前を呼んでくれる人たちで満たすことができたら、
きっとそのあとは口コミで広まっていく。あいつは日本から来たんだって。
できるだけ物理的に一人の時間を作らないこと。
精神的にはたくさん作った方がいい時もあるけど。
(日本語の量が増えてる時はストレスチェック推奨)
毎日の暑苦しいやりとりが、
毎日のうざったい誘いが、
毎日のその変化の積み重ねが、
何層もできて、
そこに潜った時に初めてわかることがある。
2年間かけて謎が解けていく。
2年間かけてのコナンくん。
毎日潜らないとわからないことがある。
少しでも任地での時間を大切に。
少しでも現地の人との時間を大切に。
15年経っても会いに行けるように。