殿席のランクと配置は?
江戸城各丸の配置
江戸城は将軍の住居と幕府の政庁を兼ねる「本丸」、前将軍の御台所や側室が住む「二ノ丸」・「三ノ丸」、大御所もしくは将軍世子が住む「西ノ丸」で構成されていました。
『東京市史稿 皇城篇』によると、広さは本丸が34,539坪、二ノ丸が37,585坪、三ノ丸が22,067坪、西ノ丸(紅葉山などの後背地を含む)が68,385坪とあります。
本丸には本丸御殿と天守閣がふくまれますが、将軍の住居と幕府の政庁があったのは本丸御殿で、天守閣は明暦3年(1657)の大火で焼失したのち再建されず、天守台のみとなりました。
江戸時代のものと思われる地図では、各丸の位置は下のようになっています。
現在皇居宮殿があるところは旧西ノ丸で、本丸御殿は文久3年(1863)に焼失後再建されず、現在では緑地になっています。
江戸城建物配置図
(国立国会図書館デジタルコレクション『江戸城図』を加工)
本丸御殿の構成
大名が登城するのは本丸御殿ですが、御殿の中は次のように3つに区分されていました。
「表向」:儀式・年中行事を行なう公的空間と諸役人のオフィス
「中奥」:将軍が日常生活し、執務を行なう場所
「大奥」:将軍の正妻である御台所や側室、子供などが生活する場所
現在の政府にあてはめると、「表向」が霞ヶ関の諸官庁、「中奥」が永田町の首相官邸、「大奥」が首相の公邸(または私邸)です。
表向には老中以下の行政官僚の執務室や諸役人の詰所、公的行事を行なう大広間や2つの書院、そして今回のテーマである大名の殿中席が配置されていました。
儀式や年中行事を行なう場所は黒書院、白書院、大広間の3ヶ所で、もっとも中奥に近い黒書院は将軍家の私的行事に、もっとも離れた(玄関に近い)大広間は周囲の畳廊下をふくめると500畳近い広さになるので、将軍宣下や年始賀儀などの公的行事にもちいられました。
『徳川盛世録』より「諸侯出礼図」(岡崎市立中央図書館蔵)
殿席でわかる「家格」
前回(大名の序列は「家格」で決まる)の説明で、家格をしめすのは殿席(でんせき:殿中の座席)と官位だという話をしました。
殿席は大名が江戸城に登城したときに入る部屋ですから、公的空間である表向の中にあります。
登城した大名は、「大廊下」「溜(たまり)の間」「大広間」「柳の間」「帝鑑(ていかん)の間」「雁の間」「菊の間」の7つの部屋のいずれかに自席を与えられていました。
これらの部屋には序列があり、ランク順にならべて将軍家との関係をみると次のようになります。
❶大廊下:将軍家ゆかりの大名家にあたえられた特別待遇の席(上の部屋:御三家、下の部屋:越前松平(親藩筆頭)など近親3家と加賀前田)
❷溜の間:臣下にあたえられた最高の席(徳川一門の会津、高松、譜代筆頭の井伊、老中OBなど)
❸大広間:家門(徳川一門)・外様の四品(四位)以上の席(島津家はここ)
❹帝鑑の間:古来御譜代の席
❺柳の間:五位の外様の席
❻雁の間:御取立譜代で城主の席
❼菊の間:御取立譜代で無城の席
江戸城本丸御殿「表向」における各室の配置はこのようになっています。(グレーは公的空間、緑は近親、赤は譜代、黄色は外様)
江戸城殿席配置図
(国立国会図書館デジタルコレクション『徳川礼典図附録』を加工)
将軍の執務スペースである中奥に近いところに将軍家直属の臣下である譜代大名を置き、戦国時代のライバルだった外様大名は離れたところに配置しています。
面白いのは御三家や親藩筆頭の越前家で、「敬して遠ざける」位置にあります。
なお、図の下半分にあるたくさんの部屋は幕府役人のオフィスです。
殿席を会社にたとえると
各部屋の位置ですが、企業に置きかえて考えるとわかりやすいことに気づきました。
浜松の中小企業だった徳川カンパニーが上場して東京に本社を移し、今や日本のトップ企業になって、関係先や社員用の部屋を社内に設けたと仮定すると‥‥。
❶大廊下:同族が経営する別会社、かつての最大のライバル企業で今も地域の最大企業(前田)の社長
❷溜の間:経営顧問や役員OB
❸大広間:昔(秀吉政権時代)からの同業者で、大企業の社長
❹帝鑑の間:浜松時代からいる社員
❺柳の間:昔からの同業者で中小企業の社長
❻❼雁の間・菊の間:上場後に採用した社員
というイメージです。
❶❷口うるさい同族の社長たちは離れたところに祭り上げ、経営の相談に乗ってもらう顧問たちはもっとも近くに置く。
❹❻❼中小企業だった浜松時代から苦楽を共にした社員たちには相応の敬意を払いつつも、上場後に採用した社員の方が実務能力が高いので手元ちかくに置いている。
❸❺ライバル企業の席は遠ざける、とくに大企業には自社の動きを悟られないよう一番離れたところに置く。
このように考えると殿席の配置が分かりやすくなるように思うのですが、どうでしょうか。