今では通じないかもしれない、昭和夫婦のやさしい当たり前
私の両親は、言葉が少なくてもお互いの気持ちが通じ合っている夫婦です。
ときどき二人の会話を聞いていると、まるでコントのように感じることがあります。
仕事を終えて父が帰宅し、ひと言「あれほしい」と言うと、母は何も聞き返さずにお茶を入れます。
食事中に「あれ取って」と言えば、それは醤油。
唐揚げを前にして「もうちょっとあれほしいな」とつぶやけば、すっとマヨネーズが出てきます。
食べ終わって「あれがないなあ」と言えば、テレビのリモコンが手渡され、
「明日はあれやろ?」と聞かれれば、それは町内会の草むしりのこと。
よくもまあ、ここまで以心伝心できるものだと感心してしまいます。
父は多少亭主関白なところがありますが、実のところ母は父を手のひらの上で転がしているようにも見えます。
昔、父が会社を勝手に辞めて帰ってきたことがありました。
そのとき母は大きく取り乱すこともなく、
「明日から公園で暇つぶしでもしなさい。家にいられると邪魔なのよ」
と言ったそうです。
文字にすると少しきつく感じますが、父はその言葉どおり毎日公園へ行き、生活リズムを崩さず、転職活動に励みました。
結果的に新しい勤め先も無事に見つかり、大事には至りませんでした。
母は、父がやる気を失いそうなときには発破をかけ、
落ち込んでいるときには何も言わずに好物を食卓に並べ、
新しい仕事が決まった日には、ささやかながらもごちそうを用意しました。
派手な励ましの言葉はなくても、行動で支え続けてきたのだと思います。
昭和の夫婦の形は、今の時代では受け入れられない部分もあるかもしれません。
それでも、同じ時代を生き、同じ苦労を重ねてきたからこそ築けた関係性や、言葉にしない思いやりには、今でも学ぶものがあるように感じます。
完璧ではなくても、笑い合い、支え合いながら歩いてきた両親。
そんな昭和の「あたりまえ」も、決して悪いものではなかったのではないでしょうか。