あの頃の暮らしが教えてくれたこと― 便利になった今だから思う、祖父母の暮らしの尊さ
私が祖父母から教わったことは、今振り返ると少し古めかしいものが多いです。
けれど、それらはどれも生活に根ざした、あたたかい記憶とともに残っています。
梅酒の作り方、ぬかづけのあんばい、編み物。
祖父母は、特別なことのように構えることなく、当たり前のこととして教えてくれました。
季節になると梅を洗い、瓶に並べ、砂糖やお酒の量を目分量で決める姿。
ぬか床のにおいをかぎ、手で触れて「今日はちょっと足りないね」とつぶやく声。
説明書などなくても、長年の感覚でわかってしまうのです。
祖父母の家は古く、トイレは母屋から一度外に出て、廊下を渡った先にありました。
夜中に行くのは寒くて怖くて、子ども心に勇気がいりました。
冬になると、寝る前には必ず湯たんぽを用意してくれました。
布団の中にじんわり広がるぬくもりは、安心そのものでした。
お風呂も、スイッチひとつで入れるものではありません。
火をたくところから始まり、湯がたまるまで時間がかかります。
その手間を惜しまないのが当たり前だった暮らしでした。
遊びもまた、今とは違います。
竹を切って足をつけた、本格的な竹馬。
乗れるようになるまで、祖父母は根気よく練習に付き合ってくれました。
何度転んでも、急かすことなく、そばで見守ってくれたことを覚えています。
私は、自分の子どもに、祖父母から教わったことをそのまま受け継がせてはいません。
というよりも、祖父母のように、すべてを一から作る根性も技術もなく、
便利な現代の生活にすっかり甘んじてしまっています。
昔と今では、生き方に対する姿勢が違いますね。
何もない中から何かを生み出していた昔。
生きていくのに必要なものが、生まれたときから当然のようにそろっていて、消費していく今。
豊かになったことは、とても良いことだと思います。
ただ、そこに至るまでに、どれほど多くの人が知恵を出し、工夫を重ね、形にしてきてくれたのか。
その途方もない努力の上に、今の私たちの生活が成り立っていることを、忘れたくないですね。
祖父母から教わったのは、技術だけではなく、
「手をかけること」「待つこと」「工夫すること」の大切さだったのだと、今になって感じています。