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つねに多くのことを学びつつ年をとる―勝又泰洋の学問日記―

ドライデンのミソジニー

2019.03.06 09:46

今日は、必要があって、R. F. ThomasのVirgil and the Augustan Reception(詳細は下の【参考文献】欄を参照)を読んでいたのだが、そのなかで偶然面白い記述(p. 159)を発見したので、簡単にメモしておきたい。

 17世紀のイングランドの文筆家ジョン・ドライデンは、ウェルギリウス『アエネーイス』の英訳を残したことで知られるが、Thomasが目をつけるのは、本作に関連する彼の『覚書』(Notes and Observations)のなかの一節である。ここでドライデンは、『アエネーイス』におけるラーウィーニアの「赤面」(第12歌64~66行)―トゥルヌスに戦うのを必死でやめさせようとする母親アマータの声を聞き、ラーウィーニアが顔を赤くする―の話をしている。この箇所は、専門家のあいだで議論が多く、とくに問題となるのは、ラーウィーニアの「赤面」の理由である。ウェルギリウスの記述はこの点にかんして非常に曖昧なので、見解が分かれるわけである。

 Thomasによれば、ドライデンは、この問題について、ラーウィーニアはアエネーアースよりもトゥルヌスのほうを好んでいた、と記しているそうだ。このような解釈は現代でもみられるが、ドライデンがとくに興味深いのは、『アエネーイス』云々から離れて、彼が、女性一般についてとても偏った見解をもっているからである。『覚書』から関連箇所を引用しよう。

ラーウィーニアをめぐるこの話は、ある秘密の教訓を示している。すなわち、女性というのは、夫を選ぶにあたり、年齢を重ねた求婚者よりも若い求婚者を好むものなのだ。彼女たちは、価値のことなどには無頓着で、見た目が良い人物を好きになる。そして一般的には、理性によって統御されるのではなく、欲望によって突き動かされるのである。

これはミソジニー(女性嫌悪)以外のなにものでもない。ドライデンにしたがえば、ラーウィーニアがアエネーアースではなくトゥルヌスを選んだのは、後者が前者より若く、かつ見た目が良いから(!)、ということになる。ラーウィーニアは、女性であるがゆえ、「欲望によって突き動かされる」という考え方だ。ローマ人女性は若くて見た目の良い男性を結婚相手に選ぶ傾向にあった、などというのは、少なくとも僕は聞いたことがない。これはドライデンの単なる偏見だ。

 ただここでドライデンの人格を非難しても仕方がないだろう。僕はむしろ、西洋古典受容の観点を用いて、ドライデンによる『アエネーイス』の「歪曲」がどのような文化的・社会的背景をもっているのか、という問いを立てるべきだと思う。ミソジニーはいたるところに広まっており、そのどれをも見逃すわけにはいかないのだ。

【参考文献】

Richard F. Thomas, Virgil and the Augustan Reception, Cambridge UP, 2001.