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須和間の夕日

ケイト・ブラウン『チョルノービリ・マニュアル:原発事故を生きる』

2026.01.22 12:51

ケイト・ブラウン『チョルノービリ・マニュアル:原発事故を生きる』

阿部純子ほか訳,日野川静枝,ノーマ・フィールド監訳,緑風出版,2025年



本書の表紙に使われている写真の観覧車は,チョルノービリ原発からわずか数kmのプリピャチ遊園地にある。同園は,開業目前の1986年に起きた事故のために放棄された。写真はいつ撮影されたのだろう。支柱は錆びてボロボロだが,冬枯れの立木を背景に当時の姿のまま建っている。空全体がピンク色に染まっているのが気味悪い。

プリピャチ市は,1970年,チェルノブイリ原発の町として開かれ,原発労働者家族5万人が住む若い町だったが,事故のために廃墟にされた。


放射能で農地,森林を広大に汚染し,町も村も廃墟にしたチョルノービリ原発事故とは何だったのか。

日本の私たちの理解はおおよそ,次のようなものではないか。原子炉が暴走して爆発,炉が大気にむき出しになって放射能が撒き散らされたが,事故による死者は事故対応にあたった作業員数10人で少なかった(本書では公式発表54人と書いている),放射能雲は欧州に流れて広範囲に汚染したが,日本への影響はなかった,この事故は確かに最悪の原子力事故だったが,日本の原発は,ソ連の原発とは違って安全な構造をもつうえ,技術大国の日本でこのような失敗を起こすことはないから,安心して良い。

ところが,安全なはずの日本の原発で福島第一原発事故が起きた。日本の私たちは,こう理解することにした。放出された放射能はチョルノービリ原発事故に比べてはるかに少なく,被害は小さく死者はいない,福島の復興は進んでいると。

本書を読めば,上述のチョルノービリ原発事故の理解は,被害を小さく見せることに成功したソ連政府の成果の賜物だということはすぐにわかる。本書は,びっくりするばかりの事実が満載だが,福島第一原発事故後の私たちの経験と驚くほど重なりあっている。こうして,福島第一原発事故の理解も,事故被害を同じく小さく見せることに成功した日本政府の成果によるものであり,原発を再稼働させたい日本政府のイメージ戦略にはめられた結果なのだということもわかってくる。

たとえば,本書のタイトルになった「チョルノービリ・マニュアル」(原題:Manual for Survival)。ウクライナ保健省が村民に向けたパンフレットだが,次のように書いている。

親愛なる同志諸君!
チョルノービリ原発事故以来,人口集中地域の食物や土について詳細な分析を行ってきました。その結果,あなたたちは大人も子どもも,村内に居住し働くことで被害を被ることはないと分かりました。放射能の大部分は崩壊しました。地元農産物の消費を妨げる理由は何もありません。

完全に安全だと言いつつ,続いて,これまでの生活の仕方とは違う厳しい制限と義務を課している。

次の指示に沿って行動してください。今年度産の木の実とキノコは採取しない。子どもは村外の森に立ち入らない。新鮮な葉物の摂取は制限する。地元産の肉や牛乳は摂らない。自宅は定期的に全体をよく洗い流す。庭の表土を取り除き,村から離れた場所に特別に掘った埋め立て用の大きい穴に埋める。乳牛の飼育は断念すること,代わりに養豚を推奨する。

農民たちが,何世代にもわたってやってきた自給自足の生活を諦め,汚染されていない食料品を購入する消費者になることを求めているのである。しかし,村に住む農民が,ただの消費者になるなどできない。さりとて,都市生活者になるという選択はさらに困難な選択だったろう。

この欺瞞的な,あるいは詐欺的なパンフレットを読んで思い出すのが,福島第一原発事故直後,枝野官房長官が,国民にテレビで「直ちに影響はない」と訴え続けたことである。政府は,安全である,国民は行動を起こすなと訴えたのである。

事故後のソ連政府と日本政府の対応で類似していることは,ほかにも多数見つけられる。

ソ連政府は,スウェーデン当局が報じるまで事故を隠し,日本政府も3ヶ月,メルトダウンした炉が1基ではなく3基であることを隠し続けた。ソ連も日本も,放射線量規制閾値を緊急レベルに引き上げた。これによってもっとも脆弱な子どもや高齢者,妊婦が放射能リスクに曝され,現在も曝され続けている。どちらの政府も汚染地の一部に避難命令を出したが,それ以外の被ばく地の住民には自分たちが安全かどうか,自分で判断せよと放置した。「自主」避難者は,被災者支援を受けられず,自分でやりくりしなければならなかった。どちらの政府も事故後数ヶ月あるいは数年にわたり,事故の環境および健康への影響を過小評価した。

原発事故対応は,社会主義のソ連でも,民主主義の日本でも同じで,国民を欺き,住民を放射線に曝すということを教える。

本書は,チョルノービリでは,こんな想像もつかないこと,こんなひどいことも起こっていたのかというような事実も出てくる。

たとえば,都市の被害を防ぐために,ソ連空軍がTU-16爆撃機を飛ばして放射能雲の雨を人工的にベラルーシの農村に降らせたこと(pp.65-67),プーチンはロシア人の人命を守ったことで空軍サイクロンN旅団長に勲章を与えたこと(ベラルーシの農村に雨を降らせ,ソ連の大都市には降らせなかった)(p.67),被ばく地からモスクワに押し寄せた移住者(避難者ではない)が事故後数週間で12万人にのぼり(p.50),入院中の放射線被ばく症の人々のことは報道されなかった(p.51)。立ち入り禁止区域から12万人が避難させられたが,その5倍にのぼる緊急作業員60万人が現場に吸い込まれるようにして入っていき,彼らは,ほとんど手作業で作業したため大量の放射線にさらされたこと(p.89)など。「それがソ連の国家権力であった」と,著者は書いている。

科学者たちが背負ったリスクも描かれた。キーウの物理学者は,清掃員に扮装して国際会議に入り込み西側の科学者に被ばく地の危険な事態を示すファイルを渡そうとしたがKGBに摘み出され(p.199),ベラルーシの女性の小児内分泌専門家は,窓ガラスを切って生検をスライドにして上司にWHOでの発表を委ねたが,上司は嵐のような批判を浴び屈辱のあまり怒りを彼女にぶちまけたという例もあった(ここには,強烈な女性差別がある)。職や命を賭してでもデータを積み重ね,原発事故と小児甲状腺がんなどとの関係を認めさせていった勇敢な科学者たちがいたことも知った。


私たちは,原発の安全対策は十全になされているから大丈夫なのだと,自分に都合のよい思い込みをしてきただけなのだ。これらの思い込みは,そのような対策を実施し,情報操作をしてきた政府と事業者の戦略の成果であることが改めて理解できる。

ところで,下図は,チョルノービリ原発事故による放射能汚染分布図である*。ソ連空軍のパイロットが人工的に雨を降らせることは日常茶飯事だったという。この分布図は,幾分なりとも,国家権力のもと空軍によって操作的につくられた図だったと知れば,原発事故の後始末とは国家権力を守るためのものだったことをしみじみと思い知るのである。

図 チェルノブイリ原発事故による汚染地図(1989年12月時点)*


ソ連政府,日本政府とも原発事故対応は本当にひどいものだったが,それでも,ソ連政府の方がちょっとはマシかと思える決定的違いがある。それを最後に指摘しておきたい。

ソ連政府は,事故1ヶ月後,事故主因は運転ミスとIAEAに報告。チョルノービリ原発所長と部下5人が裁判にかけられ,所長は禁錮10年の刑で牢屋に入れられた(pp.75-80)。日本ではまだ誰も牢屋に入れられていない。


本書は,科学史を専門とする,マサチューセッツ工科大学卓越教授ケイト・ブラウンが,事故から30年後の現地を訪れ,事故処理に投入された兵士のその後,汚染地域の住民や環境影響を調べ,公文書館で貴重な文書を発掘しその分析成果をまとめた書である。二つの東欧史関連賞を受賞,全米書評家連盟賞ノンフィクション部門の最終選考に残った著作物で,韓国語を含む6ヶ国語に翻訳された。


復興庁「福島第一原発について」(2026年1月10日閲覧)