1/11 「心に適うもの」 三浦 遙 牧師 聖句:マルコ1:9-11
イエスの洗礼の様子はマタイ、マルコ、ルカ福音書において共通して描かれています。しかし、マタイやルカは心情的な描写が多いのに対し、マルコは事実と出来事のみを淡々と描くものです。逆に福音書の中で同じ内容のものがあるというのは、どの福音書においてもその出来事が重要であると判断したからです。今回の箇所でも「天が開け、聖霊が鳩のように下ってきた」事、そして天から「わたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が聞こえた、という事が共通して描かれていました。この神の言葉はイエスを神の子であると証明するかのように描かれています。この出来事の後、物語の中で悪霊がイエスを神の子と呼び、神様も度々「愛する子」と示していくのです。イエスの神の子としての歩みがこの時から明確に始まったとも言われます。
この洗礼という儀式は水を通して新たに生まれ変わることを象徴するものです。そして洗礼者ヨハネが発案したもので、旧約には登場しません。しかしこの水による洗礼は旧約の出来事を思い起こすためのものでもあります。人間が神を軽んじ、遠ざかってきたこれまでの歩みを思い起こし、イエスがこれから正しい神様との歩み方を実践していくのです。「わたしの心に適うもの」という言葉は、神様と共に歩もうとするイエスだからこそ示された言葉であったのです。しかし、それは決してこれまでの人々に対して語られなかったわけではない。神様はこれまでも、そして現在から未来にかけて、全ての人に「わたしの愛する子、わたしの心に適うもの」と声をかけてくださる。一人ひとりに呼びかけ、変わらない愛と信頼が込められた言葉でもあるのです。
イエスは生涯を通して旧約の頃からの神と人との関わりを思い起こそうとします。それは今の私たちのこれまでの歩み、鳳教会の68年の歩みを思い起こす中でも、神様との関わりが思い起こされていくものです。2026年の歩みも、思い起こす度に神様の祝福が示されるような、愛と恵みに満ちたものとなりますように。