考える葦として
振り返り
あけましておめでとうございます。
昨年は良い意味で刺激多く、心も豊かに動き、人とよく話した一年だったかと思います。
新たに志を立てたことにより、自らを奮い立たせたりすることも必要でした。
年末年始はあまりゆっくり休んだという感じでもなく、シームレスに正月になっていたという印象であり、昨年の課題や目標はそのままに引き継がれている感じです。改めて今年の抱負を立てるようなタイミングもなく。
非常勤で働いていたときは、なんだかんだ時間もたくさんあったので、(子どももいなかったということもあり)、“立ち止まって考える”という時期だったかと思います。あるいはあまり人生については深く考えず、ただ新人心理士として潰れないように気をつけながら、なるべく平穏に暮らしていたかと思います。
昨年4月からフルタイム(+α)となり、立ち止まって考えるということが難しくなりました。なんだか隙間がなく窮屈なような気もするのですが、案外、“動きながら考える”ということも人生のある時期においては重要だなと感じています。つまり、動きながらでないと起きない出来事やそれに伴う気づきがありました。当然のことながら。
臨床と研究と教育のバランスをうまくとりながら今年もなんとかやっていきたいです。
論文も、アイデアだけのものばかりあるので、しっかり形にして仕上げていきたいです。
AIの発展について少し
それから、私はChatGPT3.5の頃からAIを触ってきていますが、2025年は一気にAIが実用的になった年だったなと思います。若いクライエントや学生との会話でもAIの話はよく挙がるようになりました。そして、AIを検索に使うだけでなく、対話相手として使われてきていることが分かります。
カウンセラーは果たしてAIに勝てるのかということも話題になることがあります。確かに我々人間は、病める人の話を24時間聴き続けることは体力的にできませんので、もう既にある点においては負けているのでしょう。
しかし…カウンセリングにおいては、AIには決定的に欠けているものがあるとも考えています。それは、“人生”です。AIには「それまでの背景」や「それまでの物語」がない。
即時的に答えを返すことは得意だけれど、クライエントと対峙した時に生じる迷いや“沈黙(間)”がない。
それでいいじゃないかと思うときもあるのですが、やはりカウンセリングというのは二人の間の“人間関係”そのものなので、お互いに人生をぶつけ合っているのです。
クライエントの話を聴きながらすぐに答えが出せないというのは、やはり私自身が人生経験をしてきたからだと思います。カウンセラー自身にも物語があるから、クライエントを完全に客観的に扱うことができず、でもだからこそ共に悩むことが出来るのではないかと思います。(そうすれば必ずうまくいくと言っているわけではなく)
その答えの出せなさというものこそが臨場感・リアリティに生きるということだとも思っています。そしてそれは心理臨床における、支援するものとされるもの双方の<曖昧さに耐える力>、<negative capability>あるいは<悩めなさに留まること>とも言えるものに繋がるでしょう。
ただこれは私がAIを人として見ていないから言えることで、
多分、近い未来にはAIを生命体として捉える人も増えてくると思うので、人がカウンセラーとしてはAIに負けることはないと確信できるわけではありません。
きっと今抱えている我々の悩みや既存の概念など超越したAIが登場するでしょう。
となると結局、勝ち負けではなく共存を考えていくしかないということになるのかもしれません。
せめて自分の人生については、自分で考えることから逃げてはならないとなんとなく思っています。
それは自分の価値観として持っておいて、他の人々(特に次世代の子どもたち)の生き方も柔軟に受け入れていける人でありたい、とも思っています。
今年も一人5,000円予算で本を買いました。
三人で15,038円。とあるイオンモールの未来屋書店にて。