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寄り添い通話フラット

狭かったけれど、満ちていた暮らし。広い家に住んでから、思い出す場所

2026.01.24 01:55

狭い場所に住んでいた、という思い出があります。

でも、家族にとって本当に広い家が必要だったのかと問われると、

「そうでもなかったかもしれない」と、今は答えたくなります。

20代で結婚し、赤ちゃんが生まれ、夫と三人で暮らしていたのは公営団地でした。

同じような官舎が何棟も並び、同じような境遇の人たちが集まって住んでいました。

子どもも多く、夕方になると、隣接する空き地に自然と人が集まります。

バドミントンやドッジボールに興じる子どもたちの姿は、

ほほえましくもあり、少しうるさくもありました。

風にのって漂ってくるのは、ご近所の夕飯の匂いです。

サンマやカレーの日には、

つい真似して作ってみようかと考えたものでした。

ご近所づきあいも、ほどよい距離感でした。

回覧板があり、おすそ分け文化があり、

子ども同士が気軽に家を行き来する。

夏の夜には、みんなで集まって手持ち花火をしました。

誰も特別に裕福ではなく、かといって困り果ててもいない。

生活の背景が似ていたからか、

人間関係の大きなトラブルもなく、

たくさんの楽しい思い出ができました。

やがてマイホームを購入し、団地を引っ越しました。

家は広くなり、子どもも増え、新しい環境にも順応していったと思います。

それでも、あの団地は今も隣町に残っていて、

通りすがりに目に入ることがあります。

広い家に住んでいても、

子どもたちは結局、リビングのソファに集まり、

ごろごろと寝転んで過ごすのが好きでした。

広い玄関は冬は寒く、

広いトイレは掃除の手間が増え、

広い家は光熱費がかさみます。

広いキッチンでは、欲しい道具に手が届かないこともあります。

隣の人との付き合いは減り、

庭の手入れという新しい手間が増えました。

そんなとき、ふと、あの手狭な団地が恋しくなることがあります。

思い出の団地の前を通ると、

懐かしさが胸いっぱいに広がります。

あの頃には、確かに特別な良さがありました。

戻りたいと思うことさえあります。

けれど、年をとるということは、

思い出と少しずつ距離ができていくことなのかもしれません。

この、言葉にしづらいさみしさを、

たまには誰かに話し、誰かと共有してみたい。

そんなふうに思うことがあります。