狭かったけれど、満ちていた暮らし。広い家に住んでから、思い出す場所
狭い場所に住んでいた、という思い出があります。
でも、家族にとって本当に広い家が必要だったのかと問われると、
「そうでもなかったかもしれない」と、今は答えたくなります。
20代で結婚し、赤ちゃんが生まれ、夫と三人で暮らしていたのは公営団地でした。
同じような官舎が何棟も並び、同じような境遇の人たちが集まって住んでいました。
子どもも多く、夕方になると、隣接する空き地に自然と人が集まります。
バドミントンやドッジボールに興じる子どもたちの姿は、
ほほえましくもあり、少しうるさくもありました。
風にのって漂ってくるのは、ご近所の夕飯の匂いです。
サンマやカレーの日には、
つい真似して作ってみようかと考えたものでした。
ご近所づきあいも、ほどよい距離感でした。
回覧板があり、おすそ分け文化があり、
子ども同士が気軽に家を行き来する。
夏の夜には、みんなで集まって手持ち花火をしました。
誰も特別に裕福ではなく、かといって困り果ててもいない。
生活の背景が似ていたからか、
人間関係の大きなトラブルもなく、
たくさんの楽しい思い出ができました。
やがてマイホームを購入し、団地を引っ越しました。
家は広くなり、子どもも増え、新しい環境にも順応していったと思います。
それでも、あの団地は今も隣町に残っていて、
通りすがりに目に入ることがあります。
広い家に住んでいても、
子どもたちは結局、リビングのソファに集まり、
ごろごろと寝転んで過ごすのが好きでした。
広い玄関は冬は寒く、
広いトイレは掃除の手間が増え、
広い家は光熱費がかさみます。
広いキッチンでは、欲しい道具に手が届かないこともあります。
隣の人との付き合いは減り、
庭の手入れという新しい手間が増えました。
そんなとき、ふと、あの手狭な団地が恋しくなることがあります。
思い出の団地の前を通ると、
懐かしさが胸いっぱいに広がります。
あの頃には、確かに特別な良さがありました。
戻りたいと思うことさえあります。
けれど、年をとるということは、
思い出と少しずつ距離ができていくことなのかもしれません。
この、言葉にしづらいさみしさを、
たまには誰かに話し、誰かと共有してみたい。
そんなふうに思うことがあります。