it iS not Time tO advance the Piece now.
自我に重きを置いた行動を少しばかりとり始めたことから行動の制限を促すいくつかの出来事に遭遇することとなった。これでも長考の末の一手であったのだが、更なる長考を守護霊的な何かが僕に忠告している気がしてならない。
"今はまだ駒を進める時ではない"
今年は本厄である為、去年に引き続き乗り気ではなかったが、ここ数年の得体の知れない身の回りの災いごとに、もはや神頼みもやむ終えないという訳で年初めに厄祓いをしてもらった。去年と同じ若い宮司さんであったのだが、時期がズレたこともありマンツーマンでのご祈祷となった。そういった場においては些細なことが全て笑いのツボを刺激する故、祈祷中はずっと下唇の内側を噛むことで対処した。祈祷後はかなりフランクに話しかけられ「儀賀さんって去年も来られましたよね、珍しい苗字なんで覚えています。」という流れから当然出身を聞かれ、「僕は神戸なんですけど、祖先は三重の方みたいです。」「へえ、そうなんですか。僕、ずっと伊勢神宮で研修していたんですよ。」「そうだったんですかあ、僕も一昨年、お詣りに行きましたよ。」、、、、「今日もうご祈祷とか誰も来なさそうですよね?良かったら今から呑みに行きません?」と言えるような雰囲気で今年の厄は祓われた訳であったのだが、去年も祓われてこれかと思ってしまうくらい転機に訪れるとされてる災厄
がドアを蹴破って入ってきており、今年もまたノックされてるなと感じる出来事が早くも起きており、まあ全て厄年だからということで苦虫を舌で転がしつつも駒を一つ二つは進めれるように注意深く、まろやかな一手を捻り出すのがしっかりと置くべき場所に方位を定めお札を置いている僕の定めなのだろう。
と、ここまで書いておきながら耳を澄ますと行動の先に弊害や障害が生じるのは至って健全なことであり、何もせず、何も起こらないように努めた時間に慣れすぎてしまっただけではないか?という内なる声が聞こえなくもない。
そんなこんなではあるが久々にライブ告知を。
とは、まだいく訳がないか、、、、、。
gigadylan