惜しまれて人生を終える人が、大切にしていたこと。故人から学べること
私の母は、私立高校で数学教師として長く働いてきた人でした。
決して派手な人ではありませんでしたが、目の前の生徒一人ひとりと、真剣に向き合う人でした。
引退後も、ご縁のあった生徒の家庭教師を続けていました。
「まだ教えてほしいと言ってくれる人がいるから」
そう言って、無理のない範囲で続けていた姿を覚えています。
おそらく七十五歳くらいまで、心も体も元気だったと思います。
母はとても精力的でしたが、決して自分を追い込む人ではありませんでした。
できることを、できる分だけ。
疲れたら休み、楽しみたいときは旅行に出かける。
仕事も、社会とのつながりも、自分の人生の楽しみも、どれか一つを犠牲にすることはありませんでした。
若い人を育て、社会に関わりながらも、
「もっと頑張らなければ」と自分を責める姿は、あまり見たことがありません。
できないことを嘆くより、
今の自分にできることに集中していたように思います。
最近は、「頑張ること」が美徳として語られすぎているように感じることがあります。
一生懸命であることは大切ですが、
頑張りすぎて心や体を壊してしまっては、元も子もありません。
母の生き方から学んだのは、
努力とは、無理を重ねることではなく、
自分の状態を知り、その中で誠実に取り組むことなのだ、ということです。
できない日は、できないなりに過ごしていい。
元気な日は、少しだけ背伸びしてもいい。
その積み重ねが、結果として「よく頑張った人生」につながるのだと思います。
母は、惜しまれながらこの世を去りました。
それは、誰かに勝ったからでも、
特別な成果を残したからでもありません。
自分にできることを大切にし、人と誠実に関わり、
自分の人生をきちんと生きたからだと思っています。
頑張れない自分を責める必要はありません。
今できることに目を向ける。
それだけで、十分に前向きな一歩なのだと思います。
余談ですが、私は毎日、
「今日、自分にかけてあげたい一言」
を考えます。
自分をねぎらう気持ちで一日を締めると次の日に良いことが巡ってきます。