課題曲Ⅱにおける「エロっぽい(?)」問題
明日は荻原明オフィシャルサイト内にて課題曲2の解説を掲載します。
すでにご存知の方もいらっしゃると思いますが、課題曲2のスコアに掲載された解説文が書き直しになり、スコアそのものが再発行になる、という多分前代未聞の事態が起きました。
最初その話をTwitterで目にしたので、デマかな、程度に思っていたのですが、本当にスコアが届きました。
こんな封書とともに。
そして書き換えられた解説文がこちら。
ついでに書き換えられる前はこちら。
100%書き直し。
多分、いや絶対「エロっぽい(?)」がひっかかったのでしょうけど。「エロ」、要するに「エロティシズム」に込められた意味を否定されたわけではなくて、小学生とかが川の土手に捨てられた18禁のビニ本とか見つけて「エロ〜い!」と言っているそんな下衆なレベルの「エロ」の使い方に捉えられて強く反応したのだと思われます(何言ってるかわからない人は親御さんに聞いてはいけません)。こう言った後世に残るであろう公式な出版物に掲載する自覚があるのかないのか、言葉の使い方やボキャブラリーとしてはちょっとチャラいな、とは思いましたが。
ただ、ただね、表現って自由なんですよ。
クリエイティブってのはそういうもので、創作物に対して(それが自作品について自ら書いた解説文だとしても)は表現が守られるべきだと思います。それがどのように世の中に受け取られるかは別だし、どこに発表や掲載することがふさわしいかは考える必要がありますが、作ることそのものに世間が圧力をかけて作り直させたり、発表させなかったりするのは、あってはならないと思います。
先日も美大の件で同じようなことがありましたが、創作は自由。それを受け取るかどうか(観るとか聴く)も自由。お互い感じることも自由だし意見することも賛成も否定も全て自由なのです。
しかしそれは、創作物が普遍であることが大前提。
創作物を受け取る側が何らかの圧力によってそれを変えさせたり発表させなかったりするのはダメなんです。芸術ではなくなってしまうから。
教育や法律(条例)と芸術(自由な表現)はどうしてもグレーゾーンができてしまうので難しいところもあるのかもしれません。
そんな感じで僕は解説文が書き直されたことは不服で、最初に書いたほうが絶対作曲者の思いが強く込められていると思うので、明日掲載する課題曲解説に関しては、今回の書き直しがあったことをふまえた上で、最初に書かれた解説文を元にこの作品を掘り下げていきます。
ぜひ明日の課題曲解説もご覧ください。
(というか、もうだいぶ前に書いてしまったので書き直したくないのが本音。)
荻原明(おぎわらあきら)