課題「街」
隣のビルの光が消えた。いつもそこで終電に気付く。周りを見たら社内に人はもう誰も居ない。僕の席のゾーンだけ明かりが灯っている。ぼんやりとその蛍光灯が放つ光を見つめながら、ため息を2つ吐く。
駅へ向かう道で振り返るこの一年。結論は容易く出た。転職は失敗だった。自分の自由な時間が欲しくて転職したのに、前の会社よりも帰る時間は遅くなり、休日出勤は増えた。もちろん、自分の仕事が遅いせいもあるのだろう。給与も待遇も、描いていたものとは違った。これも、書類や契約書をしっかり読んでいなかった自分の非でもあるのだろう。
考え事をしていたら、改札に入る時うまく財布が出てこずに後ろの人に迷惑をかけてしまった。「すみません」と声を掛けるが一瞥もくれずその人は先を急いだ。「急いだって電車はまだ来ませんよ」と言ったら、余計に怒るだろうな。彼には彼のペースが、僕には僕のペースが、ある。正解か不正解かじゃなくてきっと、それが個性ってやつなんだろう。悩みだって、人それぞれ違う。誰かから見たら僕のこの悩みはやたらちっぽけで滑稽なものなのかもしれないけれど、僕にとってはうまく笑い飛ばせないぐらい案外大きな悩みだ。少しだけ悲劇のヒロインを装ってみたくもなるが、演じてみたところで気持ち悪くなるだけだろうから、想像だけで止めておいた。
そんな僕の状況などお構いもなく、駅のホームから見える大型ビジョンに「日本勝利」のスポーツニュースが映る。ほんの少しだけテンションが上がる。僕には何の利益もないのに、けっこう喜んでいる自分がなんだか、少しだけ嬉しい。人の為にとか他の誰かの為に生きてるつもりなんてこれっぽっちもないけれど、人と人が、見えないどこかでつながって支え合っているのは知っている。そんな事実に少しだけ感謝もしている。それだけで幸せだって言う人も居るけれど、僕は贅沢過ぎるのだろうか。
同時に電車に乗り込む人並みに、自分と似た姿の人々を見つけて安心する。転職をして、失敗して、悩んでいる人はこの中にもきっと居るだろう。そうやって一人で心の平安を創りだして可笑しくなった。勝手に想像した答えで安心するなら、いつもそうすればいいのに、と自分に突っ込むが、いつも正しい選択が出来るわけではないのが人間だ。きっと世界に、正しいことなんてそんなに多くはないのだろう。多くは不安定なまま、色んな余地を備えて、僕らの前にその姿形を現す。どう解釈するかは、こちらの問題で、それすら一貫性はない。あれ、待てよ。なら、それなら。
この過酷な職場も、成長のチャンスと捉えたら。辛い現実は、素晴らしい明日のための糧になると思えたら。会社に義理なんてちっともないのに、熱心に頑張る自分を頑張り屋さんだと自慢できたら。何の為にとか誰の為にとか、難しく考えれば足は一瞬止まってしまうけど、今ここにいる自分を誰より認められたら。自由な時間がないせいで無駄なお金は使わないから節約になっているし、休日出勤が多いせいで、日曜日によくシフトに入っているコンビニの可愛い店員さんと顔見知りになれたし、改札のおじさんの件でイライラはしたけど、その後すぐに日本勝利のニュースを見てテンションが上がるなんて、もしかしたら僕は運の良い人間なのかも。だったら、僕のこの抱えている悩みは、神様が一歩踏み出すチャンスを与えてくださっているんじゃないか、と感じ方を変えたら、想像をしたら、考え方を変えたら、何か変わるかな。何か、変わるかも。その期待感だけで、今日は満足だ。
朝起きたら全ては吹っ飛んでいて、またいつも通りの憂鬱なスタートだったけれど、少しだけ、ほんの少しだけ何か変わった気がする。たった気持ち一つで、世界は変わっていく。それすら捉え方一つだけど、しばらく忘れずに生きていこう。しばらく忘れずに生きていたいから、きっと、そうすればいいんだ。
【教育・道徳的観点から】
世界は、あなたがどう見るかで変わる。
見ている人によって違った風に見えるのが世界です。
だから、いつでも、
たった気持ち一つで世界は変えられる。
ネガティブに見たい人はネガティブに、
ポジティブに見たい人はとびきり明るく、
それは勿論個人の自由だけど、
そんなに悪いもんじゃないよ、とだけは言っておきたいな。
探せば味方もたくさんいる。