老眼がきっかけで、気づいたら、私はもうキーボードを打っていなかった
少し前まで、私は普通にキーボードを打っていた。
文章を書き、考え、整理し、発信する。
それが当たり前だと思っていた。
でも、ある時から
「なんか見えづらいな」
「長文、しんどいな」
と思うようになった。
そう、老眼。
そして、AI時代が到来した。
老眼が連れてきた、意外な選択
見えづらくなったことで、私は自然と音声入力を使うようになった。
ちょうどAIの音声入力も性能が良くなった。
で、すぐに気づいた。
「あれ? 話してる方が、
頭の回転、めちゃくちゃ速くない?」
考える前に言葉が出る。
言葉が出ると、思考が整理される。
止まらない。ものすごい早口。
しかも、AIが相手だと途中で遮られない。
評価もされない。
ただ、受け取られる。
今の私の、ちょっと笑える作業風景
今、私はこうしている。
- 私は 話す
- ChatGPTは 文字で返す
- 私はその文字を 再生ボタンを押して聞いている
……書いてて笑う。
でも、これが一番クリア。
目を酷使しない。
身体は楽。
思考は冴えている。
結果として、思考・言語・神経系の流れが、
一段階スムーズになった。
ふと思い出した、昔の光景
5年くらい前だったと思う。
母がスマホに向かって、
「ライアン・ゴズリング」
「ライアン・ゴズリング」って、
音声検索していた。
その姿を見て、正直ちょっと笑っていた。
でも今の私はどうだろう。
ほとんど打たない。完全に話している。
あの時、笑っていた母と、今の私。
気づいたら、同じ場所に立っていた。
変わろうとしたわけじゃない
ここが一番おもしろいところ。
私は「音声入力に切り替えよう!」なんて決めていない。
「AIをもっと使おう!」とも思っていない。
ただ、身体が変わった。
それに合わせて、やり方が変わった。
結果として、
思考の使い方が変わり、
発信の質が変わり、
立ち位置まで変わっていた。
気づいたら、もう違う場所にいる
最近よく思う。
人って、「変わった瞬間」より
変わったことに気づく瞬間の方が、
ずっと後だ。
老眼もそう。
音声入力もそう。
AIとの距離感もそう。
全部、後から気づく。
「あ、もう戻れないな」
「あ、前と同じ場所には立ってないな」って。
だから今、私はこう思っている
変わろうとしなくていい。進もうと決めなくていい。
身体が先に変わる。神経系が先に知っている。
思考は、あとから追いつくだけ。
老眼になったことで、私は不便になったんじゃない。
ただ、次のやり方に移行しただけだった。
これ、ほんとに「気づいたら変わっていた話」。
でもたぶん、今これを読んでいる人の中にも同じこと、起きてる。
まだ名前がついてないだけで。
こういう「気づいたら変わっていた」という感覚を、
毎日ほんの少しずつ確かめていく場として、
1D1U Landがあります。
変わろうとしない。
整えようともしない。
それが本当の意味で、
「ない」が叶わない場所。
また、書きます。