プレヴィン指揮『くるみ割り人形』
映画音楽・ジャズからクラシックまで
百戦錬磨の手腕ならではの
50時限目◎音楽
堀間ロクなな
アンドレ・プレヴィンが亡くなった。残念ながら実演には立ち会えなかったけれど、時代をともにすることができて喜ばしい音楽家のひとりだった。
1929年にユダヤ系ロシア人としてドイツに生まれ、ナチスの政権掌握にともないフランスからアメリカへと逃れて、第2次世界大戦の終結後、ハリウッドで映画音楽に携わったり、ウエストコースト・ジャズのピアニストとして活躍したりして(『マイ・フェア・レディ』の映画サントラ版とジャズ版の2種の名録音あり)、1960年代からはクラシック音楽でも各国の名門オーケストラ(日本ではNHK交響楽団)を指揮して喝采を博する一方、みずから協奏曲や室内楽、オペラなどの作曲も行った(歌曲『ヴォカリーズ』が絶品)。まさに20世紀が生んだコスモポリタンであり、これほど幅広いジャンルで才能を発揮した音楽家はおそらく他に例を見ないだろう。
その訃報に接して、わたしはプレヴィンがロンドン交響楽団を指揮した『くるみ割り人形』の録音(1972年)をかけた。同曲のCDのなかで最も好むものだ。
『白鳥の湖』『眠りの森の美女』とあわせてチャイコフスキーの「三大バレエ」と称される『くるみ割り人形』は、作曲者が53歳で急逝する前年(1892年)に完成した。ドイツ・ロマン派のホフマンの原作にもとづき、クリスマス・イヴの夜、少女クララは夢を見て、くるみ割り人形が凛々しい王子に変身し、ふたりでお菓子の国へ出かけるというメルヘンだ。音楽も愛らしい旋律の宝庫で、とりわけ「金平糖の踊り」「トレパック」「花のワルツ」などは子ども向けのコンサートの定番となっている。
それらの耳に馴染みやすい曲は、しかし、聴けば聴くほど奥深いニュアンスを秘めていることがわかる。いわば、あどけない小児から、人生を知りつくした老人まで、それぞれが束の間の夢見心地を味わえるように設計されているのだ。周知のとおりチャイコフスキーは同性愛者だった。それが許されぬ19世紀の帝政ロシアにおいて、結婚生活は無残な破綻をきたし、また、その謎めいた急逝についても一説にはスキャンダルを隠蔽するための自死だといわれている。こうした桎梏のなか、チャイコフスキーにとってクリスマス・イヴの少女の夢物語は、ひたすら抑圧してきた感性を全開できる機会だったろう。かれの最高傑作のひとつと呼ぶのにふさわしい曲の背後には、ぎりぎりまで追いつめられた悲哀があったのに違いない。
だから演奏するにあたって、指揮者が力まかせにゴージャスにやろうとすると繊細な陰影が吹っ飛んでしまい、妙にひねくり回そうとすると歪みや濁りが生じてしまうという、実はなかなか名演に出会えない曲なのだが、プレヴィンは絶妙なバランス感覚で再現してみせる。あたかも、仄明るさにひとしずくの涙が溶け込んだロシアの白夜のような……と言ったらいいだろうか。やはり映画音楽・ジャズからクラシックまで積み重ねてきた百戦錬磨の手腕ならではのものなのだ。
プレヴィンは、そんなオーケストラ指揮者という仕事について、多忙なスケジュールを説明したあとにこう書き添えている。「しかし、疲労困憊の一日が終わるたびごとに、苦しい旅のたびごとに、音楽という褒美が返ってくる。音楽、この偉大なもの、いかなるその解釈をも越えて偉大なもの。それは『倦怠』をわれわれの語彙からしめ出し、将来の努力に魅力を与える。そんなことのできる職業がほかにあるだろうか」(『素顔のオーケストラ』別宮貞徳訳)と。