AIの時代、人間は「暇」になる
2026.01.21 23:00
AIが出てきた頃、
私は「そのうち人間には余暇ができる」と思っていた。
でも実際に起きたのは、
余暇どころか過剰稼働だった。
できることが増えすぎて、
試せることが多すぎて、
AIを使えば使うほど、
人は画面の前から動けなくなる。
私もそうだった。
引きこもり気味になって、
ずっと何かを生成していた。
でも、それを通り越すと、
次のフェーズが来る。
やっているのに、暇
ある日、気づいた。
やることはやっている。
でも、もう慣れている。
作業は軽い。
考えなくていい。
結果、
やっているのに、暇。
これが、AIを使い切った先の感覚だった。
暇になると、人は困る
暇になると、多くの人は不安になる。
- もっと学ばなきゃ
- もっと発信しなきゃ
- 役に立たなきゃ
- 意味を作らなきゃ
でも、それは全部
暇に耐えられない反応だ。
AIが仕事を奪うとか、
人間が不要になるとか、
そういう話じゃない。
本当の問いはこれ。
頑張らなくても世界が回るとき、
人間はどう在るのか。
暇は、何もしない時間じゃない
余暇って、
「何もしない時間」じゃない。
何もしなくても、
何も失われないと体が知った時間だ。
この感覚に入ると、
戦略も、努力も、証明も、
一段遠くに行く。
すると、
役に立とうとする癖すら
ちょっと滑稽に見えてくる。
AI時代の本当の分かれ道
AI時代の分かれ道は、
- 何ができるか
- どれだけ早いか
じゃない。
暇に耐えられるか。
ここ。
暇を怖がって
また忙しさを作る人もいる。
暇に耐えて、
ただ眺められる人もいる。
私は今、
後者の入口に立っている気がする。
すごい時代だな、と思う
特別なことは起きていない。
ただ、
すごいな、この時代
と、静かに思う。
たぶん、
これが次のゲームの始まり。