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一号館一○一教室

アニメ『巨人の星』

2026.01.20 01:23

父・一徹の教えに
わたしも励まされて


762時限目◎その他



堀間ロクなな


 『巨人の星』がテレビに登場したのは1968年(昭和43年)3月、わたしが小学3年生の春だったから、ブラウン管のなかで父・星一徹のこしらえた大リーグボール養成ギプスをはめて特訓に励む飛雄馬とまさに同じ年ごろだった。以来、3年間半にわたった放映は一種のビルドゥグスロマン(教養小説)として、少年期のわたしにとって人生の教科書だったように思う。あの主題歌とともに。



 思いこんだら 試練の道を

 行くが男の ど根性

 真赤にもえる 王者のしるし

 巨人の星を つかむまで

 血の汗流せ 涙をふくな

 行け行け飛雄馬 どんと行け



 したがって、1971年(昭和46年)9月に放映された最終回はエポック・メーキングな出来事に他ならず、そのとき目の当たりにしたシーンの数々はいまだに深く記憶に刻まれている。



 ときあたかも、川上哲治監督の率いる巨人(読売ジャイアンツ)が長嶋茂雄、王貞治のスーパースターを擁してV6(プロ野球日本シリーズの六連覇)に挑むシーズンの大詰め。投手陣の一翼をになう飛雄馬の最大の武器は、自分で編みだした大リーグボール3号だった。これはアンダースローから親指と人差し指だけでボールを送りだすことにより、打者の手元で推進力を失い、バットを振っても空気圧でボールがよけるせいで空振りか凡打にしかならない魔球だった。しかし、この投法は前腕部の筋肉に極度の負荷を強い、ついには断裂させて使えなくなってしまうという代償をともなっていた。



 しかるに、いよいよリーグ優勝を賭けた中日ドラゴンズとの最終戦がやってくると、飛雄馬はその恐ろしい秘密を秘匿したまま、みずから名乗りをあげて先発のマウンドに立つのだった。わが左腕が働くうちに「巨人の星」をつかむために――。



 その飛雄馬がめざす「巨人の星」とは、完全試合の達成を意味した。先発投手が9回を投げ切って、打者27人をひとりも塁に出さず、無安打・無失策・無四死球・無得点で勝利を収める完全試合は、それまで巨人では藤本英雄が戦後間もない1950年(昭和25年)にただ一度実現しただけだった。こうした至難中の至難な記録に飛雄馬は立ち向かったわけだが、その前には中日の打撃コーチとなった父・一徹の知謀とかつての親友・伴宙太の打棒が立ちはだかって、激闘の火花を散らしたあげく、かれはど根性を貫きとおして悲願をまっとうしたのである。わたしはあまりの感動で大声をあげて泣きじゃくったのを、きのうのことのように覚えている。



 ところで、実際に、巨人でこの記録を打ち立てたふたり目の投手が存在する。1994年(平成)5年18日の対広島戦で完全試合を達成してのけ、以後、そのあとを継ぐ投手はまだ出現していない。



 槙原寛己



 いわば現実の「巨人の星」を手にしたこの人物に、昨年(2025年)、わたしはインタヴュー取材する機会があって完全試合の思い出についても訊ねてみた。やはりど根性がモノをいったのですか? との質問には笑って首を振り、あの試合では中盤5回くらいから周囲の音がまったく聞こえなくなったのです、と答えてくれた。アスリートのあいだでいわれる「ゾーン」(極度の集中力によって最高のパフォーマンスを発揮できる状態)に入り、ただマウンドとベンチを往復しているうちに試合が終わり、こんな体験は20年間のプロ野球人生でも唯一、このときだけだったそうだ。



 「栄光の星をつかんだたったいまこの瞬間から、お前自身の新しい人生がはじまったんだ。それは決して平坦な道じゃないだろう。しかし、お前ならできる、新たな人生の星をめざして」



 最後の一球を投げ切ってマウンドに倒れ伏した飛雄馬を背に負って、父・一徹はグラウンドから降りてきながらこう語り聞かせた。野球に完全試合があっても、人生に完全試合などありはしない、ただ歯を食いしばって前に向かって歩いていくのみだ。わたしもこの教えに励まされて、それからの長い歳月をともかくも自分を失わずに生きてこられたような気がする。