「腑に落ちる」とき、納得しているのは“今の私”じゃない
2026.01.22 23:00
「腑に落ちた」
この感覚、
理解できた、とか
わかった、とは少し違う。
むしろ逆で、
もう考えなくていいという感じに近い。
力が抜ける。
静かになる。
先に進もうとしなくなる。
それはたぶん、
今の私が納得したんじゃない。
体が持っている、
過去すべての私が、ようやく頷いた感覚。
体は、忘れない。
選ばなかった道。
無理をした判断。
飲み込んだ違和感。
言葉にできなかった直感。
思考はそれらを
「なかったこと」にできるけど、
体はログを消さない。
だから、ある言葉や出来事に触れたとき、
過去の体験たちが一斉に反応する。
「そうだった」
「無理してた」
「やっぱり違ってた」
その合唱が揃った瞬間、
人は「腑に落ちた」と感じる。
面白いのはここから。
腑に落ちたあと、
未来の話をしたくならない。
目標も、改善も、
次の一手も浮かばない。
ただ、
静かになる。
それは前に進んだんじゃなくて、
過去が静かになった状態。
争っていた自分たちが、
もう言い争わなくてよくなった。
だから安心が出る。
「腑に落ちる」とは、
新しい答えを得ることじゃない。
過去の自分たちと、和解が起きた状態。
だから、
説得も、説明も、いらない。
今日、腑に落ちたなら、
それ以上考えなくていい。
体の中で、
ひとつ片づいた。
それだけで、十分。
また、書きます。