欠乏を満たす文化から、充足に気づく文化へ
——神経系が、次のモードに切り替わり始めている
少し前まで、
「足りない」という感覚は前提だった。
もっと成長しなきゃ。
まだ十分じゃない。
このままでは届かない。
だから私たちは学び、
証明し、
未来を掲げて走ってきた。
それは間違いじゃない。
むしろ、その時代においては
とても健全な生存戦略だった。
ただ、ここにきて
同じやり方に疲れを感じる人が増えている。
それは気合いが足りないからでも、
意欲が落ちたからでもない。
神経系のモードが変わり始めている
それだけの話かもしれない。
欠乏を満たす文化は「サバイバルモード」だった
欠乏を満たす文化は、
神経系でいうと
交感神経優位──いわゆるサバイバルモードで動く。
- 危機を想定する
- 未来に備える
- 取りこぼさないように急ぐ
- 評価や承認で安全を確認する
このモードでは、
「足りない」という感覚がエンジンになる。
だから目標設定、宣言、自己啓発、
モチベーションアップはとても相性がいい。
問題は、
その状態が長く続きすぎたこと。
なぜ今、違和感が出てきたのか
最近、
- 宣言がうるさく感じる
- 成長ストーリーに乗り切れない
- 「まだ足りない」がしんどい
そう感じる人が増えている。
これは意識の問題というより、
神経系がもうその緊張に耐えなくなってきた
という変化に近い。
体はもう分かっている。
今ここは、
命を守るために走り続けるフェーズではない、と。
充足に「気づく」文化は、安全モードから始まる
新しく立ち上がってきているのは、
「何かを足す文化」ではなく、
安全に戻る文化。
神経系が安全モードに入ると、
起きる変化はとても静か。
- 無理に意味づけしなくなる
- 今日がちゃんと終わったと感じられる
- 小さな感覚が戻ってくる
- 体が先に「大丈夫」を知っている
ここで初めて、
人は「充足」に気づける。
充足は獲得するものではなく、
安全な状態でしか知覚できない感覚だから。
「頑張らない」ではなく「神経系が戻った」
よくある誤解だけれど、
これは「頑張らない」思想ではない。
むしろ、
- 危機を仮定しなくていい
- 自分を追い立てなくていい
- 常に前進しなくていい
という、前提の書き換え。
神経系が安全に戻ると、
行動は減ることもあるし、
逆に自然に増えることもある。
違いはただ一つ。
行動の出どころが
「足りなさ」ではなく
「今ここにある感覚」になる。
欠乏を満たす文化は終わりつつある
欠乏を満たす文化が悪いわけじゃない。
それは必要な時代の装置だった。
でも今、
体がもう別のリズムを感じているなら、
無理に戻る必要はない。
- 盛らなくていい
- 説明しなくていい
- 未来を急がなくていい
充足は、
努力の先にある報酬じゃなく、
神経系が安全になったときに立ち現れる景色。
それに気づいた人から、
静かに、
とても静かに、
別の文化へ移行している。
音もなく、
旗も立てずに。
また、書きます。