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Art of Being|言葉と意識が生まれる場所

変わろうとしてない人から、先に起きている

2026.01.27 23:00

ジョー・ディスペンザの話を聞いていて、

最近、ずっと思っていた。


これ、

「これから起きる未来の話」じゃなくて、

もう、あちこちで起きてる現象なんじゃないか、って。


しかも、

派手な覚醒体験とか、

人生が激変しました!みたいな話じゃなくて。

もっと地味で、

もっと静かで、

気づいた人だけが「あ、もう戻ってたわ」ってなるやつ。



変わろうとしてない人から、先に起きている

ディスペンザはよく言う。

人は、思考で未来を創っているのではない。
神経系の状態から、未来を再生している。


これ、理論として聞くと

「なるほど」なんだけど、


最近見ていて思うのは、

これを“理解しようとしていない人”のほうが、

先に体験してるってこと。


・頑張って変わろうとしてない

・成長しようともしてない

・理想の自分を描いてもいない


ただ、

「今日はこれくらいでいい」

「今は動かない」

「なんか違うからやめとく」


そうやって

体の反応を先に採用している人。


この人たち、

気づいたらもう

ディスペンザが言ってる状態に入ってる。


「腑に落ちた」は、神経系の出来事

よくある誤解がこれ。

腑に落ちた = 理解した

と思ってしまうこと。


でも実際は、真逆。

腑に落ちた瞬間に起きているのは、

・説明が止まる

・考察が終わる

・納得しようとする自分が消える

つまり、

👉 神経系が「安全」に戻った瞬間


ディスペンザ的に言えば、

過去の記憶・感情・自己イメージで

未来を再生し続けていた回路が、

一瞬、オフになる。


だから腑に落ちたあとは、

・もう頑張らなくていい

・変えようとしなくていい

・今で足りている感じがする


これは悟りでも覚醒でもなくて、

仕様変更が終わったサイン。


瞑想が「効く人」と「効かない人」の違い

ここも大事なところ。

ディスペンザは瞑想をすすめるけど、

実はこれ、順番を間違えると逆効果になる。


腑に落ちていない状態で瞑想すると、

・うまくできてるか気になる

・効果を期待する

・早く変わりたくなる

= 欠乏モードのまま。


でも、腑に落ちたあとだと違う。

・整えようとしなくても整う

・集中しようとしなくても静か

・「今ここ」に戻るのが簡単


つまり、

瞑想は、変えるための道具じゃなくて

戻ったあとに、安定させるためのもの


ディスペンザが言っていることは、

実はとてもシンプル。


欠乏を満たす時代は、もう終わりかけている

少し前までの文化は、

・足りないものを探す

・理想を設定する

・そこに近づこうとする

完全に「欠乏ベース」。


でも今は、

・もう十分だった

・すでに終わっていた

・思い出すだけだった

という人が、静かに増えている。


声が大きくないから目立たないけど、

確実にいる。


そしてこの人たちは、

・説明しない

・語らない

・アピールしない


ただ、

神経系が落ち着いている。


ディスペンザの世界は、もう入口に来ている

だから思う。

ディスペンザが語っている未来は、

「これから目指す世界」じゃない。


もう入口には立っていて、

中に入るかどうかは、

👉 思考じゃなく、

👉 体が先に知っている


今、起きている変化は派手じゃない。


でも確実に、

欠乏から充足へ、

努力から回復へ、

思考から身体へ、

世界は静かに切り替わっている。


そしてそれに気づいた人から、

もう次のフェーズに入っている。


また、書きます。

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