ありがとうの本当の意味
画像は、「ありがとうございます」で作った「感謝」。
見事です。
人はみな、生きていると同時に、
誰かや何かによって、生かされている。
ついつい忘れがちですが、
感謝の気持ちは常に大切ですよね。
家族に。
友達に。
大切な人に。
生徒や保護者や講師や同僚に。
ものや事柄や現象に。
直接や間接的に繋がる沢山の人に。
「寒いですね」と紙コップに書いてくれたスタバのお姉さんに。
感謝。
見失わないようにしよう。
本日のテーマは「ありがとうの本当の意味」です。
あ、
少し大筋とは逸れますが、
「感謝」と聞いて思い出したエピソードがあるので、
ご紹介します。
社会人になって初めて迎えた母さんの誕生日。
「いつもありがとう」ってプレゼントを渡したかった。でも照れくさいし、もし選んだプレゼントが気に入ってもらえなかったら、と怖かった。
だから「選ぶのめんどいから」って嘘ついてデパートに連れて行って、
「何でもいいから適当に買えよ」とぶっきらぼうに言うと、
「高いエプロンだけどいい?」とおずおずと見せに来て、値札見たらたった3000円。
「こんな安物かよ」とひったくって後ろ向いて、
泣きそうな顔を見られないようにレジに走った。
服でもバッグでも、ほかに何でもあるだろ、
財布の中に給料全部入れてきたんだぞ!って涙が出たけど、
トイレで急いで顔洗って、そ知らぬ顔で袋を渡した。
そしたら、母さんがうれしそうにそれを抱きしめたのを見て、また泣きそうになった。
今でも帰るたびにそのエプロンつけて飯作ってくれて、ありがとう。
ほんと美味いよ。世界一だ。
いつも素直になれなくてごめん。母さん大好きだ。
心温まる、素敵なエピソードですよね。
もしかしたら、
生徒の皆さんの中には、
まだ素直に親に感謝できない子もいるでしょう。
先日も、生徒面談の中で、
「俺は親に嫌われている。俺なんて居ないほうがいい」と、
とても悲しそうに言う子が居ました。親と喧嘩したそうです。
私にも、そんな風に思った時が少なからずあったように思います。
でもね、少しだけ、考えてみて。
例えば、親御さんにとってあなたがもしも大切じゃないのなら、
わざわざお金を払ってまで、塾へなんて通わせるでしょうか。
もちろん、親だって人間だから、
うるさくしたり、心配の仕方を間違えたり、
時にはあなたを傷付けてしまうような、大きな失敗もするでしょう。
だけど、それが、
少しだけ下手くそな愛情表現だったことに、
いつかみんながちゃんと気付く日が来るといいな。
それもなるべく早くに、ね。
別に感謝の気持ちを言葉や行動で表わせというわけではありません。
納得して、感謝しろというわけでもありません。
たとえ今、素直に感謝できないとしても、
知ってほしいことだから、記しておきました。
感謝は、されるのは勿論、
するのもすごく気持ちのいいものですからね。
では、本題です。
大切な感謝の言葉「ありがとう」には、
一体どんな意味が込められているのでしょうか。
もちろん、諸説はありますが、
共有したい素敵なお話があったので紹介します。
「ありがとうの意味」を説いたものです。
苦難、困難、災難。
世の中には色んな難がある。
でもね、これらがなければ無難になる。難があるからこそ、人生は楽しい。
だから、「有り難う」って言うんだよ。
困難や苦難にまで感謝をする精神は、
なかなか真似できないものかもしれませんが、
確かに、苦難や困難は人に成長を与えてくれます。
降り掛かる色んな大変なこと。
でも、それが何か意味のあることだと思えたら、
家族や友達にするように、
それらに対しても、素直に感謝できる日がやってくるのかもしれませんね。
そういえば、
感謝はされるのは勿論、
するのもすごく気持ちのいいものですよね(二回目)。
だから、もしも色んな「難」にまで感謝ができたなら、
きっとその人は、とっても気持ちのいい人生を送れるのではないでしょうか。
お互い、精進しましょう。